伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」制作秘話~作家・寺坂が聞いたミラーゲートの裏側~

TBSチャンネル2で再放送中「ザ・ベストテン」を100倍楽しむ為の連載がスタート!

第2回 担当ディレクター・石川眞実さんにインタビュー!大切なものを教わった「ザ・ベストテン」

2020年9月18日

コラムの第二弾は、9月24日(木)に放送する回を演出した石川眞実さんにインタビューしました。「ザ・ベストテン」のファンの間では、放送を見て担当ディレクターは誰かを当てるのも流行っていたくらいですから、演出したご本人にお話を聞けるのは非常に楽しみです!

寺坂)私、寺坂と申します。音楽番組の構成などしておりまして、「ザ・ベストテン」の作り手の方のお話を聞けるのを楽しみにしていました。よろしくお願いします。

石川)よろしくお願いします。大きい作家事務所に入ってるんですか?

寺坂)いえ、フリーランスです。

石川)じゃあ安心して話せます。

寺坂)(笑)

写真 終始なごやかな雰囲気でお話しくださった石川さん 終始なごやかな雰囲気でお話しくださった石川さん(左)

■スタッフロールで「あの時のあの人だ」と思い返してもらいたくて

寺坂)そもそもなんですけど、石川さんはなぜTBSに入られたんですか?

石川)恥ずかしい話なんですけどね、大学の時に映画研究部で映画ばっかり見ていて、そのうち学生の映画を作ったりするのに参加してですね、ものをつくるのに興味があったんですけど、映画業界はなかなか商売にならないというのがあって、ならばTV局でドラマを作りたいと漠然と思ってね、それで目指したと。それと…女の子にモテたかったんですね(笑)

寺坂)ハハハ

石川)私を邪険にした女の子がね、テレビでドラマを見て感動して、番組最後のスタッフロールで“演出:石川眞実”と出て、「あー、あの時のあの人だ」と思い返してもらえたら…。半分冗談だけど、それくらいの気持ちで志望したんです。入社当初の担当番組が「子供電話相談室」のテレビ版が当時あって、それに配属されたんですよ。他の制作局に配属された同期は華やかなバラエティ番組とかドラマとか、タレントさんと会えたりするのに、私がお相手するのが大学教授や病院の先生方だったりして…なんだこの地味な感じは、と悶々と過ごしていました。
それからしばらくして異動の話があって、「ロッテ歌のアルバム」っていう歴史ある歌番組に配属される事になりました。そこで初めて派手な、いわゆる脚光を浴びる番組の担当になりました。

寺坂)エンターテインメントの世界!

石川)そうそう。そこからどういうわけか歌番組に携り、ディレクターになりました。中継でどこかの公会堂とか市民会館とか、そこの舞台から放送するっていう番組だったので、前乗り(放送前日から現地入り)で中継のスタッフと一緒に行って、美術さんと本番前夜建て込みのあと飲んだり、そういう生活をしていましたね。日曜の昼間の放送で、演歌歌手の出演が多くて、アイドルは少なかったんですよ。たまに岩崎宏美ちゃんなんかが出ると「うぉ〜」っていう感じでね。

寺坂)ハハハハハ

石川)それで私が夜中にスタッフルームでカット割(歌を撮る際のカメラのサイズやカメラワーク、アングルなどを事前に決める事)をしていたら、ベストテンのスタッフが通りかかったので「俺もたまには百恵ちゃんの割(カット割)やりてーな」と聞こえるように言っていたら、異動がかなったんですよ。でも、社員の番組スタッフの中では最年少で、「ロッテ歌のアルバム」ではディレクターになったのに、またAD(アシスタント・ディレクター)からのやり直し。それでも「ザ・ベストテン」に携われるだけで嬉しくてゴールデンで歌番組が出来るんだ!と思ったのは覚えています。

■「もっと良いアイデアは」夜中まで続く地獄の会議

寺坂)そうなんですね。「ザ・ベストテン」は仕事が過酷だったと聞きますが、実際どうだったんでしょうか?

石川)木曜21時の生放送に向けて、前の週(9日前の)火曜日に打ち合わせがあるんです。その日の夕方にオリコンランキングの速報が出るので、それで大体の構成が決められますから。ベストテンにはスケジュール番っていう人がいて、この週のこの歌手はスタジオに来られる、とかこの人は地方にいるから中継になる、とか把握していて、それを元に、どんなネタをやろうかと、構成作家も集まってみんなでアイデアを出し合う。この会議が“地獄の会議”でね、大体夜7時とか8時に始まって、夜中3時4時まで(10時間以上)続くのは当たり前!演出・プロデューサーの山田修爾さんが“ねばる人”で、「もっと良いアイデアはないか」と言って、なかなかOKが出ないんですよ。ディレクターたちは良いアイデアがあっても、自分のメインの担当の時にとっておきたいから、ずるいんだけど、隠して言わなかったりもしましたねえ。

寺坂)わかります、わかります!

石川)それで火曜日にはその会議とは別に、その週の木曜日の打ち合わせを黒柳さんとしていたんですよ。それには山田さんと担当のディレクターが行っていたんだけど、残された人達で、「山田さんがいないうちにどんどん進めちゃえ!」ってやってると、山田さんが戻って来て、「これじゃ面白くないでしょう」って。

寺坂)覆されるんですね!

石川)そう、それでまたやり直しという、その繰り返し。それと、黒柳さんは「徹子の部屋」でゲストに来ている方の事は結構深い事を知っていたりするんですね。ディレクターが事前に歌手に取材に行くんですが、その時は心を開かないんだけど、黒柳さんには心を開くから、黒柳さんの方がその人の事を知っている事が多くてね。それで司会打ち合わせで恥をかくっていう。

寺坂)はぁ〜すごいですね…。

石川)無口な歌手がいて、事前の取材では何も喋ってくれなくて、黒柳さんに「すみません、何も引き出せませんでした」っていったら「大丈夫よ、その方『徹子の部屋』でお話してるから」って。

寺坂)そうなんですね〜。僕も「徹子の部屋」を毎日見ていて、録画して歌手の方のお話を全部書き起こしたりしていますが、「すごいな徹子さん」って今思っています。

写真 「ザ・ベストテン」スタッフルームにて 「ザ・ベストテン」スタッフルームにて

■ファンの家に押しかけたら留守!語り継がれる“最低の中継”!?

寺坂)石川さんの演出の回はご自分で振り返ってどんなカラーがあったと思いますか?

石川)僕は“外連味(けれんみ)が無い”とよく言われたんですが、「ロッテ歌のアルバム」出身だから、歌をちゃんと聞かせたいな、という思いがあってね。どうやってベストテンのカラーにしようかと、分からなくて悩んでね、それで変な事になって失敗したり。ただそれが“結果的にハプニングで面白い”なんて言われました。山田さんは、ハプニングが起こるように計算して演出していたんですよ。それでいうと私は一生懸命やろうとして失敗して、本当のハプニングが起こっちゃって。

寺坂)なるほど〜。一番思い出に残るハプニングというと何でしょうか?

石川)“最低の中継”って言われたんですけど、アルフィーの大ファンっていう人がいて、その人の家に突然押しかけようという企画を考えたわけですよ。絶対秘密にして。そしたらね、その人が当日留守でいなかった!

寺坂)あ〜知っています!

石川)しかも(留守宅で)犬がワンワン吠えている。でもしょうがないからその場で歌おうっていうことで、本番、照明をつけたら、電圧が足りなくなって音声が出なくなっちゃった!電源がないから、音声さんがあわててテープを手で回したんですが、音が“モワ〜ン”っていうような感じになっちゃって、アルフィーは「最低だ!(笑)」と言いながらも仕方がないからそれに合わせて歌ってくれたんですけど…。私は頭抱えちゃって、もうこれで人生終わったって思っていました。でもそれが今でも迷シーンとしてよく出てくるようになってね。

寺坂)ベストテン恒例の名場面集で私見た事があるんですが、久米さんはそういうハプニングを喜んでますよね!

石川)そうそう。あれに出るのは嬉しいのか悲しいのか。

寺坂)(笑)

■“どこまでも情報を詰め込む” 山田修爾のこだわり

寺坂)今回放送の回にも登場しますが、石川さんはよく人形を使った演出をされていますよね?

石川)はい。西城秀樹さんの「ヤングマン」のバックで人形が「Y・M・C・A(笑)」
ってやったりね。当時、演出はディレクターによって個性がそれぞれ出ていたんです。遠藤環さんは、外連味溢れていて、手品や大がかりなセットを組むのが得意。変なお坊さんが出たり、マッチョの人が踊ったり、奇想天外なのは山田修爾さん。すごくカメラ割に凝っているのが滝本さん(滝本裕雄さん)の回だったりとか。そういうことでファンの人たちは、人形が出て来たから石川の回(石川さんが演出担当の回)だとか、話題にしてたんです。当時、今では考えられない様な数のハガキが一週間に何万枚と来ていて、構成作家だった秋元康さんもハガキをチェックしてくれていて、面白いのがあると見せに来てくれたんですよ。その中に、「放送を見て担当ディレクターを考えてスタッフロールを見て当たった!っていうゲームをやって楽しんでいます」というのがあって。それで視聴者がそういう事をしていると知ったんですけどね(笑)。

写真 西城秀樹さん 西城秀樹さん

寺坂)当時の台本を見させて頂いて、オープニングは「久米(時事ネタ)」とか、イントロの曲紹介も「久米 (楽屋取材)」など、実際、ほとんど内容は決めていなかったんですか?

石川)台本入れは直前なので、その日に何があるか分からないから、生放送っていう事を強調するために、時事ネタにはこだわりました。イントロが何秒かある時に、山田さんの考えとして“どこまでも情報を詰め込むんだ”というのがあって、歌いだす直前まで歌手のネタを何か入れていました。ところが当時、視聴者はテレビの音をラジカセで録音していて、視聴者からは「イントロで色々なことを言うのはうるさい」「久米宏黙れ」とかご意見をもらったことも。

寺坂)ハハハ!

石川)イントロからしっかり録音したいのに、っていう意見もあって面白かったですよ。

寺坂)今思うとそれがベストテンのカラーというか、最近はそういうのが無いので魅力的です!

石川)台本にイントロが何小節かが書いてあるのはそういう訳なんですよ。

寺坂)当日の台本の裏表紙にあるスケジュールを見ると、音合わせ(リハーサル)をしないで本番だけ来て歌う歌手も多かったようですが…?当時は当たり前だったんですか?

石川)飛び込みで来る歌手・ぶっつけ本番の歌手も多かったですよ。代役歌唱という役割で歌手志望の人を男役と女役で二人雇っていて、本人が来られない時は、その人がミラーゲートから出てきて振りも歌詞も全部覚えていて、本番と同じにやるんだけど、時々その人たちが来られない時があって。AD時代、代わりに歌わされて、これが結構きつくてね。恥ずかしいんだけどそうも言っていられなくて。でも素晴らしいセットの前でフルオーケストラで歌を歌えるのは、実は気持ち良かった!!

寺坂)そうですよね!!

■自前のセットをスタジオに持ち込み?

寺坂)9月放送回で一位を獲得したのは近藤真彦さんでしたが、一位の方のセットはやはり気合が入りますよね。

石川)そうですね。それに近藤さんは作ったセットとか、演出とか、何でも喜んでくれるからね。一生懸命やってくれる方で、やりがいがありましたね。この日のセットでは彼がコンサートで使っているセットを持って来てくれて、それまでに無かった事だったから画期的でしたね。逆にね、他の歌手の方なんかは、ベストテンで作ったセットを持って帰っちゃったりすることもあったんですよ。

寺坂)え〜!!

石川)曲に合わせて作るじゃないですか。それくらいベストテンのセットというのは人気がありました。

寺坂)今回スポットライト出演の小泉今日子さんに「大物の片鱗」を感じたとメモに書いていらっしゃいますよね?

石川)初登場の打ち合わせに、ラジオ局に行ったとき、普通、新人の人は「ザ・ベストテン」というだけで舞い上がっちゃうんですが、小泉さんは落ち着いてましてね。この人は凄いな〜って思いましたね。その後もよくご一緒しましたが、プロ意識が高かった。「この衣装は、お尻の方から撮った方がかわいいから」なんて言ってくれて助かりました。

写真 小泉今日子さん 小泉今日子さん

■「ザ・ベストテン」から教わったもの

寺坂)「ザ・ベストテン」が高視聴率、国民的番組だと、肌で感じた事はありましたか?

石川)どちらかと言うと、失敗したら全国の人からバキ打ち(怒られる)されるんじゃないかなっていうのが怖かったね。

寺坂)S N Sのない時代でもそうでしたか・・

石川)苦情のハガキが山の様に来て、電話もいっぱい掛かってくるから、嫌だったな〜。

寺坂)それだけみんなが注目して見ていたっていうことですよね。

石川)そうですね。中継をやるとスゴイ数の人が集まっちゃうんですよ。絶対中継場所は明かさないのに、どこからか漏れてるんですよ。事故が起こらないか?周りに迷惑が掛からないか?それが心配でした。

寺坂)石川さんも中継はたくさん行きましたか?

石川)中継もいっぱい行きましたよ。スタジオの担当じゃない時は中継に行くんですけど、“地獄の”火曜日の会議が深夜に終わって、昼過ぎに起きて翌日水曜に移動して中継現場でスタンバイ。そして木曜本番。で翌日朝一番の飛行機で帰って来て次の週の美術セットの打ち合わせとか、ハードだったなぁ。

寺坂)今では考えられないですね…。

寺坂)黒柳さんは「ザ・ベストテン」は「青春」と言われましたが、石川さんにとっては何ですか?

石川)その時は「悪夢」だと思ってましたよ。休みが一年に10日しかないんだもの、過酷でしょ(笑)。

寺坂)過酷すぎますよ。

石川)でも今思うと、視聴者がどんなものを見たいのか、と言う事を考える事が大切だと教わりましたし、中継の演出や警備や段取り、曲の撮り方とか全部勉強させてもらいましたね。

寺坂)その後「CDTV」を立ち上げられて現在も続くのは、ベストテンの経験があってこそですよね。

石川)今でも続いているのは凄い事ですよね、本当に。

寺坂)石川さんが「ザ・ベストテン」に込めた情熱が、現在放送中の音楽番組に受け継がれていてつながっている事が素敵だと思いました。本日は貴重なお話をありがとうございました!

石川)ありがとうございました!

石川眞実(いしかわ まこと)プロフィール

1974年に東京放送に入社。『ロッテ歌のアルバム』などの制作を経て、1978年4月から約8年間『ザ・ベストテン』を担当。『東京音楽祭』『日本有線大賞』『輝く!日本レコード大賞』の音楽特番に携わるほか、『はなまるマーケット』『COUNT DOWN TV』などの多くの番組を立ち上げた。

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