コラム

2018年12月29日更新 text by 寺田辰朗

第6回MGCファイナリストの佐藤&村澤が日清食品グループを牽引
我那覇、三浦ら中堅・若手の頑張り次第で上位争いも

内容

日清食品グループには佐藤悠基(32)と村澤明伸(27)、MGC(*)出場資格獲得者(MGCファイナリスト)が2人いる。トヨタ自動車の3人に次いで、MHPSとともに2番目に多い人数だ。
ニューイヤー駅伝に2010年、12年に優勝したチームが、マラソンでも諏訪利成(現コーチ。04年アテネ五輪6位、07年大阪世界陸上7位入賞)以来の代表入りに近づいている。
だが駅伝では、前回のニューイヤー駅伝が15位、今季の東日本実業団駅伝が9位と低迷が続く。学生駅伝で注目された選手たちが入社しているが、伸び悩んでいるのが現状だ。
エース2人のMGCへの挑戦と、チームとしての再建。そのまっただ中で迎えるニューイヤー駅伝を、名門チームはどう戦おうとしているのか。

*マラソングランドチャンピオンシップ。東京五輪代表が最低でも2人決定する選考レース。9月15日に東京五輪に準じるコースで開催される

独自のマラソン練習でサブテン連発の佐藤

チームとしての成熟を示しているのが、2度の駅伝優勝時に区間賞(2010年3区、12年4区)を獲得した佐藤が、結果を出すまでに時間がかかったマラソンで2時間8〜9分台を連発していることだ。
佐藤はニューイヤー駅伝では11年も4区で区間賞を獲得し、日本選手権10000mも11〜14年と4連勝。五輪&世界陸上&アジア大会の代表に、4年続けて入った日本屈指のスピードランナーだ
ところが13年から出場し始めたマラソンでは、5レース目(17年12月の福岡国際マラソン)まで2時間12分台が最高タイム。結果を残すことができなかった。佐藤のマラソン全レースの成績は以下の通りである。

回数|年月(大会)|順位|記録
1、2013年 2月(東京)31位|2時間16分31秒
2、2015年 2月(東京)20位|2時間14分15秒
3、2015 年 9月(ベルリン)14位|2時間12分32秒
4、2016 年 4月(ロンドン)11位|2時間12分14秒
5、2017 年12月(福岡国際)途中棄権(35km)
6、2018 年 2月(東京)10位|2時間08分58秒
7、2018 年 9月(ベルリン)6位|2時間09分18秒

実は佐藤は、マラソンで急がなかった。3回目までは「試行錯誤」(佐藤)の練習で出場していたという。
「1・2回目は40km走も数回やりましたが、しっかりマラソン練習をやったというよりも、現状で出てみてどのくらい走れるかを確認したマラソンでした。3回目のベルリンは2カ月間スピードを意識せず、距離の練習だけをやったらどうなるかを試して、そこそこの手応えは得られました。リオ五輪の代表入りは考えていなかったので、4回目はロンドンに出て、このときはタイムも出せると思っていました。しかし30km以降は足が残っていなかった(体が動かない状態)。トラックと同じように調整段階で徐々に距離を減らして(体感を)軽くしていく方法は、自分のマラソンには当てはまらなかったんです」
5本目の福岡国際は左ふくらはぎに痛みが出て途中棄権に終わったが、このときの練習で試行錯誤から導き出されるものがあった。11月の東日本実業団駅伝でふくらはぎを痛めたが、そこで休んだことで疲れが完全に抜けた。練習を再開して約2週間でマラソンに出場したが、1週間前の30km走を1時間39分台で行い、30km走の最後5kmを良い感じで上がることができた。

ニューイヤー駅伝をはさんだ18年2月の東京が6本目のマラソンで、2時間8分台まで記録を短縮してMGC出場資格も得た。7本目のベルリンは直前にぎっくり腰になったり、ペースメーカーが設定以上の速さで走ったあおりで単独走になった影響もあったが、「2時間7分台を狙えるところまで来ている手応えはあった」という。
本番の1カ月〜3週間前まで走り込んでスタミナ面の貯金を作り、そこから距離を減らして行き、疲れを取りながらレースペースに近い練習を行っていく。マラソン練習をざっくり説明するとこうなるのだが、佐藤のマラソン練習は一線を画す。
「走る時期には月間900kmくらいの距離になりますが、レースの1カ月〜3週間前に疲労を抜きます。一度、完全にフレッシュな状態にしてから40km走、30km走と距離走を入れてレースに合わせて行く。(一般的なマラソン練習のように)直前に疲労を抜くやり方では、抜ききれない可能性もありますし、抜きすぎてしまうこともある。マラソンは(体の状態が)軽すぎてもダメだし、重すぎてもダメ。感覚的には3週間前に疲れを抜ききっておけば、距離を増やしながら調子も上がるところでレースを持ってきやすくなります」

「確実に(4区で)区間5位以内を」(佐藤)

近年、日本のマラソン練習は多様化している。
川内優輝(埼玉県庁)や設楽悠太(Honda)のように、レースに多く出てマラソンに合わせる選手がいる。設楽や大迫傑(ナイキオレゴンプロジェクト)、藤本拓(トヨタ自動車)は40km走を行わない。女子でも資生堂の川越学監督やヤマダ電機の森川賢一監督は、基本的に40km走は行わない。反対に井上大仁(MHPS)や服部勇馬(トヨタ自動車)は40km走を重ねていく。
大迫や藤本は体幹トレーニングなど走るメニュー以外の練習にも、かなりの時間を割いている。高地練習を行う選手もいれば、行わない選手もいる。高地で生活をして、低地で練習する考え方も普及してきた。

佐藤のやり方は初めて聞いた調整法だが、スピードが特徴の女子選手が採用していたマラソン練習に近いものがあったかもしれない。スタミナではなくスピードを土台ととらえて先に作り、マラソンが近づいていくにしたがって走る距離を伸ばしていく練習法だ。
佐藤は今後、“佐藤オリジナル”とでも言うべきやり方で3月の東京マラソンに出て「2時間6分台も視野に入れて」走る。東京マラソン前の走り込みの時期に、駅伝を使ってスピードも刺激を入れる。これは1年前に試して成功しているパターンだ。
5年ぶりに走る4区の目標を問われると、「あまり高望みはしません」と笑いながら答えた。
「確実に区間5位以内で走りたいと思っています。トラックもそうですが、32歳になって自己新で走るのはやはり厳しい。やろうと思えば5000mの13分20秒くらいは出せると思いますが、マラソンにつながるのは13分40秒の走りを安定してすることです。駅伝も確実に走った方が、(無理をして失速するよりも)チームのプラスになる」
このコメントには多少の謙遜もあるように感じられた。18年2月末の東京マラソンを2時間8分台で走った後、4〜5月にトラック3試合を走った。力みなくスピードを出す様子に「日本選手権で勝つのでは?」、という声も他チームの指導者から出ていたほどだった。マラソン練習で長い距離を走っても、スピードは大きく落ちないタイプなのだろう。
4区を確実に走っても区間2〜3位だった、ということも十分ありそうだ。

村澤は駅伝でスピードを入れてマラソンへ

村澤も3月のびわ湖マラソンに出場を予定しているが、「駅伝を利用しながらマラソンに持って行けたら」と、明確にスピードを意識している。
村澤は同じ佐久長聖高出身でも先輩の佐藤と違い、スタミナ的な要素とスピード的な要素を両立させるのに苦労している。駅伝では入社後4年間は4区を続けて走ってきたが、年に1回は1カ月程度休むようなケガもあり、10000mで27分台を出した学生時代のようにはトラック種目を走れなかった。そこをまず何とかしよう、という気持ちがあり、将来的なマラソンに備えた練習ができなかったようだ。

初マラソンは17年3月のびわ湖で、25km過ぎに集団を抜け出したが終盤は一気にペースダウン。35〜40kmは20分以上、最後の2.195kmは10分以上もかかった(2時間17分51秒で28位)。2回目が同年8月の北海道で、そこで優勝(2時間14分48秒)してMGC出場資格獲得者第1号になったが、村澤本人は「マラソンを走りきる」ことだけを考えていた。北海道マラソンのMGC資格タイムの2時間15分00秒は、ラスト1kmでスタッフから声をかけられて初めて意識した。
18年2月の東京マラソンで2時間09分47秒とサブテンを達成したが、14位(日本人9位)と順位は良くなかった。2カ月前のニューイヤー駅伝4区が区間12位。「距離への対応力をつけたかった」ため、スピード練習が不足していた。

そのスピードを、18年10月のフランクフルトに向けてはしっかりやりたかったが、東京マラソン後に思ったようなスピード練習ができなかった。その状況でも量は積み重ね、「体が動かなくなる」状態まで追い込んだ。意図した形ではなかったが、「一度は試してみたかった形の練習」を行なってフランクフルトに挑戦したが、2時間15分41秒(18位)と低調な結果に終わった。
次戦のびわ湖に向けては、前述のように駅伝を使ってスピード的な要素も入れながら作っていく。
「初マラソンのときも(直前の)コンディショニングは上手くできました。4区で区間上位を続けている頃で、スピード的には余裕がありましたが30km以降でやれていない部分が露呈しました。今は(長期的に見て)スタミナの貯金もありますし、駅伝の練習を使ってスピードも入れています。初マラソンのときと同じコンディショニングをして走れば、ここまでやってきたことが見えてきます」
具体的な目標タイムなどはないと言うが、「自信はあります」とも。
ニューイヤー駅伝の区間は取材時には決まっていなかったが、マラソン仕様の走りのなかで高いスピードが出せれば、びわ湖では2時間8分台、7分台といったところが期待できそうだ。

我那覇&三浦にチーム活性化の期待

佐藤も村澤も10000mで27分台と日本トップレベルのスピードを持つが、だからといってすぐにマラソンが走れたわけではない。2人ともMGCファイナリストになるまで、そしてファイナリストになった後も、不断の努力と創意工夫を続けている。
岡村高志監督代行は「2人が頑張っている間に、若い選手は多くを学んでほしい」と願っている。「2人は色々な経験をして、何をしないといけないかわかっている。MGCを目指すプランの中に駅伝も上手く活用しています」
ベテランの若松儀裕(32)は東日本実業団駅伝でも1区区間賞を取り、期待できる状況だ。ニューイヤー駅伝でも1区の若松、2区のバルトソン・レオナルド(23)、4区の佐藤はほぼ確定している。
だが故障者が多いのが現状だ。キャプテンの高瀬無量(29)や矢野圭吾(27)、戸田雅稀(25)は実業団駅伝で区間賞を取ったことのある選手たちだが、出場は微妙な状況だという。戸田はエントリーメンバーにも入れなかった。
入社2〜3年目の若手もなかなか伸びていない。
その状況で岡村監督代行が期待するのが、我那覇和真(25)と三浦洋希(22)の2人である。

我那覇は11月の八王子ロングディスタンスで28分43秒86の自己新をマークした。岡村監督代行は「練習はしっかりやるのにレースで結果を出せなかった。本人も苦しんでいましたが、やっと形に現れました。日清食品グループの選手として、もっと上を目指してやっていってほしい」と期待する。
神奈川大1年時に箱根駅伝7区で区間賞を獲得した選手。入社1年目は足首の故障で練習ができず、2年目から少しずつ練習を積み重ねることができるようになった。自己記録を更新できずに苦しむ若手が多い中、我那覇の自己新記録でチームの雰囲気も良くなっている。
「東日本実業団駅伝の後で、難しいレースでした」と我那覇。
「記録を狙っていなかったわけではありませんが、合宿もあって、そこまで調整して出たレースではありません。そこで自己記録を更新できたのは良かったですね。チームにはポテンシャルのある選手が集まっています。チームは再建の最中ですが、そのなかで自分も成長したい。駅伝では強い選手が来る区間を走りたいと思っています。箱根の7区は最初の1kmを2分45秒で入りました。前半のスピード区間でも大丈夫です」

三浦は大学を1年時の途中で中退して日清食品グループに入社した。高校時代に10000mを29分19秒32(そのシーズンの高校2位記録)で走り、全国都道府県対抗男子駅伝では5区の区間賞を取ったこともある。入社2年目に5000mで13分57秒73を出したが、3年目の17年はメンタル面の不調で試合に出られなかったという。
今季は東日本実業団駅伝の6区を走ったが区間16位。区間1位と2分近い大差だったが、10月まで村澤のパートナーでマラソン練習をしていた状態から切り換えが不十分だった。だが、そのブレーキが自身を見つめ直すきっかけになったと三浦は言う。
「練習への取り組みや食事などの日常生活など、陸上競技中心の実業団選手としてふさわしい生活に変えました。スタッフからのアドバイスも、それまでは頭ではわかったつもりでも理解できていなかったんです」
その後の練習ではすごい走りができているという。「単純に、周りの選手よりも前で走ることができています。13分台を出した頃より全然良い」

村澤のパートナーを務めたことからもわかるように、長い距離を走ることを苦としない。「月間1000kmくらいは普通に行けます」
ニューイヤー駅伝の目標も「後半区間を1人で押して行く走りをイメージしています。区間賞は狙えると思っています」と、ためらわずに言い切った。練習の強さとレースの結果はイコールではないが、考え方の部分も含め、型破りな選手が現れた。
1区の若松に区間上位が期待できる日清食品グループ。佐藤も間違いなく区間上位で走るだろう。そこにもう2区間、区間上位で走る選手が現れれば、目標とする8位入賞は確実に達成できる。
そして我那覇や三浦が継続的に結果を残せばチーム全体が活気づく。佐藤と村澤が高いレベルの取り組みを続け、若手が成長すれば数年後には、日清食品グループは再び優勝争いをするチームになる。

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寺田辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。選手、指導者たちからの信頼も厚い。
AJPS (日本スポーツプレス協会) 会員。

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