第2回MGC出場資格最多の3人を擁するトヨタ自動車
藤本と服部が2時間7分台。“マラソンのトヨタ自動車”の真の姿は?
内容
旭化成、富士通とともにトヨタ自動車が3強の1つに挙げられている。
2連勝中の旭化成の前に2連勝し、至近10年間では最多優勝3回を誇る強豪だ。
2019年9月に開催されるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ。東京五輪代表が最低でも2人決定する選考レース)の出場権を獲得している選手も3人と、最も多い。
2月の東京マラソンで宮脇千博(27)が2時間08分45秒、10月のシカゴ・マラソンで藤本拓(29)が2時間07分57秒、そして12月の福岡国際マラソンで服部勇馬(25)が2時間07分27秒と快走が続いた。これまで“駅伝のトヨタ自動車”のイメージが強かったが、今は“マラソンのトヨタ自動車”に変わっている。
マラソンの強さ、イコール駅伝の強さにはならないが、“マラソンのトヨタ自動車”にはどんな強さがあるのだろうか。
藤本が主要区間の区間賞候補に成長
服部と窪田忍(27)が福岡国際マラソンに出場し、キャプテンの大石港与(30)も故障から11月に復帰したばかり。
主要区間候補の選手たちが万全ではないが(これはどこのチームも同じ)、トヨタ自動車で今季、大きく成長した選手がいる。それが藤本だ。
過去2年は連続1区で2回とも区間10位。トップとは9秒差と11秒差で、1区の役割は果たした。14・15年も1区で区間3位と4位、トップとは7秒差と6秒差だった。
学生時代には関東インカレ5000mに2連勝したこともあり、優勝を狙うチームのスターターとしては最適の選手だった。
その藤本が今年3月の初マラソン(びわ湖で2時間15分30秒・18位)を経て、10月のシカゴで2時間07分57秒(8位)と日本トップレベルのタイムを叩き出した。
12月の甲佐10マイル(約16km)では45分57秒で、旭化成など駅伝上位チームの主力選手もいるなかで快勝した。
だがニューイヤー駅伝では、前を追ったり追われたりする中間区間の経験の少なさが指摘されている。
「(中間区間の適性は)なんとも言えませんが、自分の走りをするだけだと思っています。シカゴから帰国後1カ月で出た中部(実業団対抗駅伝・1区区間賞)も、八王子ロングディスタンス(10000mで28分08秒30の自己新)も甲佐も走れたので、マラソンを目指すためにやろうとしている走りができれば、駅伝も走れると思います」
ニューイヤー駅伝の3・4・5区でも、区間賞が十分期待できそうだ。
トヨタ色に染まろうとした異色選手
藤本は89年生まれの29歳で、キャプテンの大石港与(30)に次いで年齢はチーム2番目になる。
入社時には「トヨタ色に染まりたい」と思って陸上部が拠点とする愛知県田原市にやってきた。
「高校(山口県高水高)、大学(国士大)と、全国高校駅伝に出たい、箱根駅伝に出たい、という気持ちがそれほどなかったので、トヨタでは駅伝をしっかりとやりたいと思った」
高校時代には全国大会での活躍はなかったが、前述のように国士大3・4年時には関東インカレ5000mに2連勝した。ケガが多かったため、長期的な集中力が持てなかった。
だが、入社後に先輩たちを見習って練習量を増やしてみても、結果は出なかった。
「1年目は月間走行距離にこだわって、マラソンを始めた今よりも走っていました。そこを美徳と思っていたんです。でも、故障は減らなかった」
入社2年目に佐藤敏信監督の指示で故障歴をリストアップしたところ、疲労骨折が10年間で10回以上あったという。いい加減だった食生活を見直したことが大きかったが、「外向きに蹴るような接地の仕方で、そこもケガの要因の1つ。どこが弱いからそのフォームになるのか、というアプローチもした」と言う。
入社3年目に10000mで自己新、ニューイヤー駅伝1区区間4位、そして全日本実業団ハーフマラソンを1時間01分31秒(8位)で走り、マラソンを考え始めた。
そこから初マラソンまで丸3年。走り込まないとマラソンは走れない、という思い込みを徐々に改め、自分に合った練習距離、練習強度を見つけていった。シカゴ前に行った距離走は35kmが最高で、40kmは1本も行わなかったという。
「1回に走る距離にこだわる必要はないと、マラソンを2回走ってわかりました。トータル的に負荷をかければ、後半のスタミナにつながります」
藤本自身は「佐藤さんのマラソン練習をやります」と申し出たが、佐藤監督が藤本の特性を見極めて、話し合いをしながらマラソン練習を進めていった。
佐藤監督は「持久的能力も実は、ポイント、ポイントで発揮されていました」と言う。
「北海道マラソンのペースメーカーをやったときも、25kmまでは向かい風もありましたし、力があると思いました。フィジカルトレーニングもものすごくやっていますし、朝練習でケニア選手と速いペースで不整地を走っています。僕らが現役だった頃の、ロードでしっかり走り込んでいく方法とは違いますが、練習の裏付けはあったんです。マラソンは色々な選手がいて、それぞれに合った練習をやっていけばいいのだとわかりました」
藤本は自身のターニングポイントに「佐藤監督と出会ったこと」を挙げている。実業団選手としての競技観やトレーニングの組み立て方など、佐藤監督の影響は大きかった。
藤本は自身が成長した理由の1つに「距離走を行った次の日のジョッグのペースを、4分を切るくらいに速くした」ことを挙げた。これは服部が強くなったトレーニングとも重なる部分がある。
「トヨタ色」に染まりながら自身の色を見つけたことが、藤本のMGC出場権獲得の一番の理由だった。
トヨタマンとして頑張った服部
服部が福岡国際マラソンで、日本人選手としては14年ぶりに優勝した。
それを実現できたのは、トヨタ自動車のトレーニングを服部独自の考えで進化させたからだろう。
40km走は8月以降で7本行い、そのうち1本は45km走だったが、これは11年テグ世界陸上マラソン代表になった尾田賢典らも行っていたメニューだ。
以前の服部は40km走などの距離走を行った後、何日も休養的な練習を挟んでいたが、福岡に向けては2日後に2時間走るなど、疲れがある中でも体を動かすことができるようになった。
そして服部独自の考えで、「レースの動きをジョッグと同じ感覚で行う」ことができるようになった。
「5月のプラハ・マラソン(2時間10分26秒)の終盤でそれができると感じて、練習で意識して走るようにしました」
距離走を負荷の高いポイント練習と位置づけるのでなく、ジョッグの1つと考えるようにした。ジョッグのスピードを上げて、距離走とのスピードの差を小さくすことで、同じ動きの感覚で走る。
肩甲骨の使い方など走りの技術も、純粋に体力的な向上もあったが、服部はトヨタ自動車社員としての自覚もマラソン成功の背景にあったという。
「競技への姿勢が変わってきた結果だと思います。東洋大では学生スポーツとして、箱根駅伝などで注目されて走ることができました。この1年間は自分がなぜ、トヨタ自動車の社員として走っているかを考えてきました。(結論としては)自分が会社にとってメリットになる存在でなければいけない。一般の社員は業務を通じてトヨタ自動車の課題や問題を解決していきます。それに対して僕は、マラソンを通じてMGCの出場権を取ることが課題でした。そのための方法(トレーニング)の改善を今シーズンは進めてきたわけです。問題解決が福岡でできたので、トヨタマンとして働けるようになった」
次はニューイヤー駅伝で貢献することが仕事になる。
「本当にそこは頑張らないといけないところです。ただ現時点(12月7日)で、最長区間の4区は考えていません。体のきつさと、他の選手の状態を考えれば、自分が4区を走ることがチームのためになるとは思えません。監督が決めることですが、自分が役割を果たせる区間で使ってもらえたら」
駅伝を仕事ととらえれば、状況を冷静に判断する姿勢は理解できるが、服部がこう言ってから本番まで3週間以上の期間がある。判断基準の1つの“体のきつさ”は当然変わっているはずだ。
キャプテン大石が示す自立精神
トヨタ自動車にとって、キャプテン大石の復帰は心強い。
ニューイヤー駅伝の区間賞を5区(15年)と3区(17年)で取り、トラックの10000mでは27分台を16年、17年とマークした選手。ライバルチームの選手からも「大石さんとは走りたくない」という声も出ている。
17年2月の別大で初マラソンながら2時間10分39秒(4位)で走り、トヨタ自動車勢のマラソン記録ラッシュの先鞭をつけた。だが今年2月の東京マラソンは5kmの給水所で転倒。右の骨盤やヒザを強打し、16km地点まで走ったが、そこで途中棄権せざるを得なかった。
その後も内蔵疲労などが続き、なかなか試合に復帰できない。その間に後輩3人がMGC出場権を獲得した(宮脇は大石が転倒した東京マラソン)。MGCを早く取りたいと考えるのが普通だが、大石はいつも、普通とは違った考え方をする。
「MGCを取りに行きたいとは思いませんが、マラソンでどのくらい走れるかをやってみたいんです。別大の2時間10分39秒は、狙わずに出てしまった記録です。東京は真面目に狙いに行ったのに転んでしまいました。次のマラソンは、周りの雰囲気でMGCを取りたいとか言うのでなく、自分のやりたいマラソンを走る。そういう気持ちになれたのは良かった」
トヨタ自動車には間違いなく、チーム全体に共通する雰囲気がある。
大石も練習に早く来て体を動かしたり、自主的に筋力トレーニングに取り組んだり、プラスアルファを積極的に行っている。
だが、それも大石に言わせると「監督にやらされるのが嫌だから自分から動いている」という理由になる。
「ニューイヤー駅伝はまったく出る予定はありませんでしたが、中部予選で走れたので、ニューイヤーも走りたいと思うようになってきました。でも“メンバーになりたい”は勝てないチームの選手の考え方なんです。“本番でこう走りたい”に変えていきたい」
佐藤監督がコニカミノルタのヘッドコーチから、トヨタ自動車の監督に着任したのが2008年。練習にも競技に取り組む姿勢にも、全員に厳しさが求められるようになったのは間違いないが、そのなかでも結果を出す選手は自身の考えをしっかり持っている選手だった。
大石は佐藤監督からマラソンを勧められたとき、簡単に応じようとはしなかった。“やらされるマラソン”が嫌だったのだ。独自の考え方を強調して自身を貫き、“自分のマラソン”と考えられるようにしていった。
ニューイヤー駅伝で3回区間賞を獲得している宮脇は、マラソン進出に苦しんだが、2月の東京マラソンで2時間8分台の好タイムで走った。
だが4月以降は故障が続き、10月末からやっと走る練習を再開した。
以前、“脚抜け”と言われる故障で苦しんでいた宮脇が、11月のトラックレースで不本意な走りしかできず、レース後に涙していたことがあった。本人は現状を「もう1本マラソンを走っておきたかったので、気持ちにゆとりはありませんよ」と言うが、以前の宮脇に比べれば明らかに余裕がある。
「駅伝メンバーに入れば走れる状態に持っていきますが、他の選手も頑張っているので、冷静に見れば自分のメンバー入りはどっちでも良いと思います」
どんなに悪い状態でも、以前の宮脇なら“どっちでも良い”という言葉は出てこなかった。チーム状況の良さと、自分の状態を冷静に観察できる余裕から出た言葉だろう。
宮脇はこうも続けた。
「ただ、駅伝の距離であれば、ある程度は戻せる見込みを持てます。ニューイヤー駅伝は8回走ってきましたから」
20歳で27分41秒57と10000mの五輪標準記録を突破して注目された宮脇に、気持ちや個性の強さが加わってきた。
それがマラソンのトヨタ自動車2時間8分台一番乗りを成し得た背景にある。
“マラソンのトヨタ自動車”になって、どんな違いをチームに感じているか。そこを藤本に聞くと次のような答えが返ってきた。
「各選手が強い目的意識を持っていることが伝わってきます。記録を抜かれて悔しい気持ちもありますが、勇馬は僕ができない練習をやって出しました。それを真似しようとは思いませんが、集中力とか取り組む姿勢とか、学ぶべき点が多くあります。宮脇のMGC獲得から始まって、具体的に説明することは難しいのですが、プラスの相乗効果が間違いなくありました」
ニューイヤー駅伝の各区間の距離は、最長区間の4区でも22.4kmで、8.9kmの2区を除けば残りは12~15km台。マラソンの強い選手が増えることと、駅伝の強さはイコールではない。
だが新しい種目に挑戦することで、トヨタ自動車の選手たちには新たに気づくこと、身につけられたことがあった。それは走る距離に関係なく、その選手の“強さ”になっている。
“マラソンのトヨタ自動車”は“強いトヨタ自動車”と言い換えることもできるのではないか。