スタッフインタビュー

プロデュース植田博樹さん

『家族狩り』をドラマ化しようとしたきっかけをお聞かせください

以前、天堂荒太さんの『包帯クラブ』(2007年9月公開)という作品を映画化させていただいたのですが、その時に『家族狩り』のことを合わせて知りました。それ以来、ドラマ化したいと企画書を提出してはいたのですが「タイトルがなあ」などと抵抗する方ばかりで企画が通らず。……そんな中、今回は「やりましょう」と言ってくれた方がいたので、実現しました。

キャスティングはどのように決まったのですか?

僕たちの求めるキャラクターのイメージに忠実にと。原作の魂には忠実に作っていますが、実は原作からテレビドラマ用に色々チューニングしてあります。そのチューニングされたキャラクターに忠実にキャスティングを考えました。原作がすごくしっかりしていて、その年齢・性別・職業、人格でないと描けない問題や物語がありますから。
やっぱり上手い俳優さんが的確に役を演じたときって、すごく面白くなると思うんです。それはドラマの原点だと思うし、お芝居の原点だと思うので。そういう意味でこのキャスティングに迷いはありませんでした。氷崎游子は松雪さんにやっていただきたいと最初から決めていたし、『SPEC』のときに巣藤浚介を伊藤淳史さんがやってくれたら突破できるかもしれないと感じましたし、馬見原光毅も遠藤憲一さんしかいないとお願いしました。

出演者のみなさんは原作を読んでもらいましたか?

出演者のみなさんには「原作は読んでください」と伝えた人と「読まなくてもいい」と伝えた人がいます。それは、「“原作の魂”を忠実にドラマ化しますが、ディテールは全く違うものになるので、演じるにあたっては台本をベースにしてください」ということです。 その上で最終的に物語がどこへ向かうのかは、原作を読んでいただければ分かっていただけるので、演じる上で結末を知ることが必要な人には「読んでください」とお願いしました。原作のエピソードや設定を別のキャラクターに載せ変えたりしているので、原作を最初に読むと背景を勘違いする場合があります。今回、非常に細かいディテールを芝居で表現してもらいたいと考えていたので、台本主義をお願いしました。だから、現場で練りこまれた設定や癖、ストーリーラインも、すぐに台本に反映しています。視聴者の皆さんも、原作にいつか必ずたどり着いて、みっちり読み込んでいただきたいと思いますが、テレビドラマ版は、一見すると少し異なったアプローチをしていますので、このドラマはドラマとして楽しんでもらったほうがいいかなと思います

“原作の魂”を忠実にした台本ということですが……

大石さんとの打ち合わせは非常にシンプルでした。原作は書かれた瞬間の世界を絶対的な密度で描かれています。つまり、発表されて少し時間が経っていますので、2014年の現代の物語として描くために、このキャラクターをこういう風に変えたい、この話をこういう風に変えたいというコンセンサスを作るのに時間をかけました。変える意図というのは、家族の問題の生々しさ。つまり、今の問題とは何か、ということを検証したのと、テレビドラマと小説のアプローチの違いが理由。原作の切り取っている問題の大きさや描かれている密度を変えたくない。それこそが、この原作の魂だと考えました。
判りやすく言えば、天童先生が、2014年の今、この「家族狩り」をテレビドラマのシナリオとしてリライトされるとしたら、どういう風にお書きになるだろうか、というその一点を大事に大事に考えました。そのコンセンサスが出来てしまえば、あとは流れるように次々と完成していきました。素晴らしかったです。
脚本を大石先生にお願いした理由は、大石先生がお書きになった『長男の嫁』(1994年TBS)のときに、僕はADとして入っていた時のエピソードにさかのぼります。
「長男の嫁」の中でおじいちゃんがボケてしまうエピソードがありました。それを最初に読んだ若き日の僕は、こんなエピソードをホームドラマで描いたら痛々しくなるだけで楽しめないのではないか、と、考えたのです。でも、心配することなんてなかったんです。視聴者のみなさんは、我が身のように、おじいちゃんの問題を考えてくれたし、心から愛してくれた。若き日の僕は己の不明を強く強く恥じました。その時の記憶が僕の中で強く残っていて。クリエイターの力、そして、何より受け止める視聴者の感受性、許容性を、もっともっと、テレビの現場や編成こそが信用すべきだと思うのは、その出来事があってからなんです。
しかし現代のテレビドラマの現場は、すごく、おびえています。脚本家や監督という創作の先鋭でないといけない立場の人たちが「それは視聴者をはじきませんか」とすぐ言う。
たとえば僕が「家族で死を選ばないといけない人の気持ちを描きたい」というと「僕はそういう考え方は許せないですね」とか「理解できない。無理」というような作家さんは、少なくともそのシーンは絶対に描けない。
けれど、大石先生は、どんな人間の闇でも芥でも、愛おしく描ける。とても豊かで繊細で優しくたおやかで、しかも凛として向かい合う、底知れない器量の作家です。今回、様々な人間の闇を描く必要があり、まさに、それをなし得る作家として、大石先生にお願いしたのです その結果、游子(娘)と民子(母)のシーンは生々しく出来たと思いますし、どのキャラクターも非常に立体的な愛すべき人物に描いてくださいました。

台本をもとに、出演者のみなさん、監督、スタッフのみなさんが会話している姿をよく見かけますが……

みなさん、たくさん提案をしてくださるので、僕は本当にありがたく嬉しく思っています。というのも、僕の師匠である貴島誠一郎さんが『ずっとあなたが好きだった』(1992年TBS)というドラマの顔合わせの時に、「現場へ来るときに、何でもいいから、みなさんひとつアイデア持ってきてください。そのアイデアの質量こそが面白いドラマを生む根源だと思います」と挨拶されていて。僕も、その貴島さんの教えどおりに、出演者、スタッフに、そう、お願いしています。今回もスタッフやキャストの皆さんに「なんか思うことがあれば黙って済ませるのは禁止。間違っててもくだらなくても、何かを必ず提案して欲しい」と伝えています。効率の点からすると、本当は台本どおり、何も変えずにやる方が、圧倒的に撮影は早く進む。でも作品の面白さや深みは、考えた時間の総量に比例するんですよ。やっぱり。だから本当に全員がわいわい言いながら作るほうがいい。自分がアイデアを出したら、そこに責任が生まれる。するとみんな、本気で、このカット、この芝居、この台詞を考える。もちろん、それをまとめるディレクターやプロデューサーは、その分手間隙かかるし、時間に追われたりと苦しさも増えるけど、実際に一人では思いつかなかったアイデアが多くて、今回、特に助けられています。

たった一言のセリフでも、現場で話し合っていますよね……

“てにをは”の1文字違うだけで意味が違うからね。
「これからちゃんとやれ」という台詞に天童先生が「も」をつけたほうが良いのではないか、とアイデアをくださいました。「これからちゃんとやれ」だと注意しているけれど、「も」をつけるだけで方向が変わる。応援している意味になります。二人に愛情や思いが見え隠れする。そういう部分ってすごく効いていると思うんです。そういう細かいディテールを話し合える現場ってワクワクします。

『家族狩り』で描きたいこと

『家族狩り』を読んだとき、子育て。進学。ひきこもり。離婚。不倫。就職。結婚。出産。貧困。アルツハイマー病、家庭内暴力、DV、介護などの様々な問題を抱えた人たちの“痛みや苦しみ”は、ひとつのハンディキャップなんじゃないかと思いました。例えば腕や脚など身体の一部を失ったら、誰もがその怪我を見て「その怪我、大変だね」って心配しますし、助けも普及しつつありますよね。だけど、家族を失ったり家族に問題を抱えていたりするときにも、腕をもがれたときと同じくらいの“痛み”を感じているはずなのに、他人には伝わりづらい。もしかして自分さえも気づかない。しかし、それは、ハンディーを抱えているのと同じだよ。それゆえ、仕事や勉強に、支障をきたしたりとか、家族関係や社会に不適応の部分が出てきたりすることも多いはずだけど、それにまだ理解はされない。
DVやひきこもりとか、概してメンタルヘルスの問題とか、PTSDとか、括られて終わったりするけれど、本当は、様々な原因と症状があるはずだし、それは、誰もが抱えている病(悩み)であると思うのです。 『家族狩り』では一家心中も描かれているのですが、「これは特殊な家族だね」「追いつめられた家族の話なんだ」と週刊誌やニュース上の“他人事”として感じるのではなく、“一歩間違えば自分もその事件の「中のひと」になっていたかもしれない”“自分自身にも起こり得る出来事”として生々しく突きつけたい、自分も自身の問題として向かい合いたいと思いました。「包帯クラブ」や「悼む人」という天童作品に通底するテーマでもあるし、扇情的なだけの娯楽作品とは一線を画す、人間賛歌として昇華できることを願って制作しています

スペシャルコンテンツ

グッズ発売中!

PAGE TOP