寺田的 世陸別視点

第21回2013.08.24

日本人初の五輪&翌年の世界陸上マラソン連続入賞。
普通のランナーの規格外の強さ

寺田的 impressive word
17th AUG.中本健太郎
「今回は結構速いリズムで行くことができました。ロンドン五輪の自信と、モスクワに向けたトレーニングの成果だと思います」


●ロンドン五輪からの進歩
ロンドン五輪の6位からモスクワ世界陸上の5位へ。順位が上がったのは1つだけだったが、中本健太郎(安川電機)のレース内容は変わっていた。

ロンドンでは10kmから14分20秒台にペースアップした3選手にはつかず、第2集団から30km以降で抜け出し6位まで順位を上げた。モスクワでは30kmまで先頭集団で走り、いったん離されたが35kmでもう一度先頭集団(6人)にとりついた。
ロンドン五輪の方がペースが速かったので単純な比較は難しいが、“トップ集団で走った”という点は明らかに違った。

「今回は積極的に行くことを課題の1つにしていました。去年よりも練習のタイム設定も上げられて、自信をもってスタートラインに立てました。自分なりの積極性は出せたと思います」
積極的ななかでも、落ち着いた走りをした。同じ日本選手でも川内優輝(埼玉県庁)は先頭の動きに敏感に反応しすぎて「5〜10kmで前に行きすぎました。中本さんみたいに冷静に引けばよかった」と反省する。

解説の瀬古利彦氏(DeNA総監督)は、その点が明暗を分けたという。
「スピードランナーだと対応できてしまって、結果的に消耗してしまうことがあるんです。中本君は上手く力を残しながら対応していました。42.195kmの距離に、自分の能力を100%発揮できる選手です。心と体がマッチしている」

中本のトラックのベスト記録は5000mが14分04秒31、1万mが28分54秒59。箱根駅伝出場の学生のなかに入っても平凡な記録しか持っていない。そんな普通の選手が、マラソンで2年連続世界と対等の走りをする。そこが中本の強さの1つだ。

もちろん、中本もスピード強化をしている。練習のタイムは1000mあたり3秒上がったという。元のレベル次第で評価は変わってくるが、1シーズンで3秒上げるのは簡単なことではない。
自分の型を大きく変えることはできないが、突き詰められる部分を突き詰めていく。それが中本流の世界戦略といえそうだ。

●2年連続入賞へのきっかけは川内
五輪とその翌年の世界陸上に連続入賞した選手は、日本のマラソン史上で中本が初めてである。連続出場した選手ですら、2008年北京五輪と翌年のベルリン世界陸上の佐藤敦之(中国電力)1人しかいなかった。五輪を最大目標とする日本選手は、その翌年は休養主体となるのが常識なのだ。規格外の強さと言えるだろう。
どうして中本が常識の枠を超えることができたのか?そこに、川内優輝の存在が絡んでくる。

中本も当初は、テグ(10位)、ロンドン(6位)と頑張った疲労を考えて、今季は休むことを考えていた。だが、マラソンで一度勝っておくことが今後にプラスになると判断。出場したのが今年2月の別大マラソンだった。モスクワ世界陸上の選考競技会ではあるが、グレードが一段低く、出場メンバーも他の3大会ほど強豪が揃わない。
ところが、そこに川内が出場してきた。日本のマラソン史上に残るデッドヒートの末、川内が2時間08分15秒で優勝。中本は勝てる試合を選んだのに勝てなかった。10レース目のマラソンで一番悔しい結果だったという。

しかし中本も2時間08分35秒の自己新で、モスクワ世界陸上代表入りが可能な状況になった。辞退する選択肢もあったが、中本は世界陸上を走る決心をした。
「(川内と)同じ代表になって、モスクワでリベンジしたい」
川内は中本たち実業団選手とは違い、市民ランナースタイルのやり方でマラソンに取り組んでいる。従来の強化方法の枠を超えた選手と評価も高い。その川内の存在が、中本の五輪翌年の取り組みを変えさせた。

●「マラソンはリズム」(中本)
川内が中本を大きく刺激したのは事実だが、中本に“息切れしない力”がなければ、2年連続入賞をやり遂げることはできない。取材してきて感じるのは、相反する要素を自身の中でまとめる能力である。

スピードがない中本は、高校・大学時代に活躍する場がなかった。トラックも駅伝も、全国大会とは縁遠い選手。箱根駅伝も出場は1回だけで、7区で区間16位という成績しかない。安川電機入社後も駅伝ではなかなか芽が出ず、3年目くらいには退部勧告されそうだったと聞く。
「エリート育成路線からの落ちこぼれ」と自身の高校・大学時代を振り返ったのは川内だが、中本もそれに近い状況だった。世界を目指すポジションではなかったのである。今からは想像つかないが、メンタルの弱さも目立った。

しかし入社4年目の2008年からマラソンに出場するようになったことで、競技人生が大きく変わった。
「それまでの練習でも、特に夏場は距離走で遅れることはなかったので、マラソンなら結果を出せるのでは、という思いはありました」
中本は自分を最大限に生かせる種目にめぐり合った。少しの失敗はあったが、特に2011年のびわ湖以降は高いレベルで安定している。“外さない男”の異名をとるまでになった。

中本のマラソン全成績

月日 大会 順位 タイム
2008 2.24 延岡西日本 3 2時間13分54秒
2008 8.31 北海道 2 2時間15分21秒
2009 3.22 東京 9 2時間13分53秒
2010 2.07 別大 8 2時間11分42秒
2010 10.17 アムステルダム 9 2時間12分38秒
2011 3.06 びわ湖 4 2時間09分31秒
2011 9.04 テグ世界陸上 10 2時間13分10秒
2012 3.04 びわ湖 5 2時間08分53秒
2012 8.12 ロンドン五輪 6 2時間11分16秒
2013 2.03 別大 2 2時間08分35秒
2013 8.17 モスクワ世界陸上 5 2時間10分50秒

昨秋の取材中に印象に残ったのは「マラソンはリズムです」という言葉。自身のリズムに乗れば押していける。夏場の合宿で行う時間走などで身につけた。中本の時間走は3・5時間で行うことが多く、「なかなか真似できない」と他チームのコーチも驚く。それがトラックになると、無理をして体を動かさないといけない感覚があった。
そのリズムがモスクワでは違いがあったのか。
「今回は結構速いリズムで行くことができました。ロンドン五輪の自信と、モスクワに向けたトレーニングの成果だと思います」

山頭直樹監督の言葉も、中本の変化を裏付ける。
「以前はトラックレースの最後で、硬くなって失速していました。そこが強化できたと思います」
言葉を換えれば、速いペースでも自分のリズムで行くことができるようになった。
上半身の動きの柔らかさは、多くの指導者が絶賛する中本の長所。モスクワではそこがさらに洗練され、余裕が感じられた。

●淡々としているのが中本の強さ
中本の特徴として、「淡々としている」と指摘されることが多い。これはメンタル面だけでなく、走りや行動も含めての評価だろう。ロンドン五輪で6位に入賞したとき、喜びの表情はまったくなかった。カメラマンたちの要望に応えてとったガッツポーズも、本当に控えめだった。
中本が強い意思を持っているのは間違いない。そうでなければ世界と戦うことなどあり得ないからだ。だが、“やってやるぞ”という意気込みが力みになってしまったら、長続きはしない。

山頭監督によればモスクワ世界陸上に向けての練習は「1回も外さなかった」と言う。大きな集中力やエネルギーの要ることだが、中本はそれすらも淡々とこなしていたのではないか。
それには遅咲き選手という部分も、影響していたかもしれない。自分のペースでやっていくことが結果を出す。それしか方法はないと肌で理解している。他の選手に比べれば、オリンピックで燃え尽きないタイプだった。

ルジニキスタジアムに5位でフィニッシュした中本に、今回もガッツポーズはなかった。
「入賞したくらいでは…。満足したら成長も止まってしまいますし。また課題を見つけてやっていきます」
淡々として派手さがないことが、中本の強さの証明でもある。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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