寺田的 世陸別視点

第4回2013.07.18

「真っさらだった」テグから2年。
「8位が最低限の仕事」と言い切る新谷仁美のプロ意識

●積極レースで8位入賞を
「走っている最中に順位を数える余裕はないと思います」
モスクワ世界陸上のレース展開について質問された新谷仁美(ユニバーサルエンターテインメント)は、きっぱりと答えた。

昨年のロンドン五輪女子1万mの終盤。新谷は自身の順位を知らないで走っていた。フィニッシュでは30分59秒19の自己新と健闘したが順位は9位。10mちょっとの差で8位入賞を逃す結果となった。

ロンドン五輪女子1万m

POS BIB ATHLETE COUNTRY MARK  
1 1706 Tirunesh Dibaba エチオピア 30:20.75 SB
2 2336 Sally Jepkosgei Kipyego ケニア 30:26.37 PB
3 2327 Vivian Jepkemoi Cheruiyot ケニア 30:30.44 PB
4 1710 Werknesh Kidane エチオピア 30:39.38 SB
5 1713 Belaynesh Oljira エチオピア 30:45.56  
6 1258 Shitaye Eshete バーレーン 30:47.25 NR
7 1871 Joanne Pavey イギリス 30:53.20 PB
8 1849 Julia Bleasdale イギリス 30:55.63 PB
9 2257 Hitomi Niiya 日本 30:59.19 PB
10 2250 Kayoko Fukushi 日本 31:10.35 SB

順位を把握していれば、最後の踏ん張りができたのではないか?
「ラストスパートができる選手ならそれも有効だと思いますが、今の私にその力はありません。最初から全力を出して、どんな(苦しそうな)顔をしてでも最後まで行かないと。いったん後ろに下がってしまったら、“日本の恥”というレッテルを貼られるくらいに後ろを走ってしまいそうですから」
冗談を交えた“新谷トーク”ではあったが、自身の特徴と世界の現状を分析した上での戦術を明確にイメージできている。

近年のアフリカ勢は最初からハイペースで飛ばさず、途中から急激にペースアップする。
「3000mくらいで(1周)10秒くらい上がることもあるんです。5000mで落ちて、7000mくらいでまた上がる」(新谷)
日本選手がそれに対応するのは難しい。アフリカ勢のリズムを封じるために、「最初から一定のリズムで押していく」ことを新谷は考えている。ロンドン五輪でも福士加代子(ワコール)、吉川美香(パナソニック)、新谷の日本トリオが試みて、一定の成果は挙げられた。

だが、モスクワの日本代表は新谷1人になってしまった。大舞台で先頭を走るのは勇気が要ることでもある。特別なことをする意識が強くなったら力みが生じ、後半で失速するだけだ。先頭を走りながらもリラックスができるかどうか。
新谷にはもう1つプランがある。先頭を走り続けてロシア人観客を味方に付けることだ。
「ロンドン五輪で私の前を地元イギリスの選手が2人走っていましたが、スタンドからの声援が明らかに集まっていました。力の差もあったと思いますが、声援の力もありましたね。モスクワでは1人でも多くの観客に私を見てもらって、できれば応援してもらいたい。ラストも思ったより力が出るかもしれません」

奔放な発言でも知られる新谷は、「監督がイケメンならもっと走れます」とあちこちで話している。ルジニキスタジアムのスタンドからイケメン観客の応援があれば、新谷が入賞する確率が20%くらい上がるのではないか。

●“夢”ではなく“仕事”
冗談はさておき、新谷は「8位が最低限の目標」と真顔で話す。
「そのためにはタイムも必要ですが、今回は順位が全てだと思っています。入賞は譲れないですね。最低限の“仕事”はしないと」
新谷には「私たちプロは結果が全て」という信念がある。昨年の東日本実業団駅伝で発した言葉には、周囲を圧倒する迫力があった。
「私たちは会社から環境を与えてもらっているんです。プロのアスリートとして、その対価として結果を出すことが求められている。綺麗事ではないですよ。それはオリンピックに出て再確認したことでもあるんです。(ロンドン五輪の結果を)個人的に褒めてもらうこともありますが、世間から見たら自己新を出しても何の意味もない。メダルを取るか、取らないか。評価されるのはそこだけです」

中学で陸上競技を始めた頃の新谷は、シドニー五輪マラソン金メダルの高橋尚子さんに憧れていた。自身もそうなりたいと夢見る少女だった。高校ではインターハイ、国体の個人種目でタイトルを取り、全国高校駅伝では3年連続1区区間賞。3年時には興譲館高を初優勝に導いた。

2006年の実業団入り後も“夢”を持ち続けていたが、いつの頃からか虚しさを感じるようになっていた。理想と現実のギャップに、気持ちの中でどう整理をつけたらいいかわからなくなってしまった。

練習拠点の千葉県佐倉から、岡山県の実家に何度も逃避した。自身の生き方を見つめ直したのだ。最終的にはいつも陸上競技を続ける結論を出すのだが、新谷の競技への考えは方は大きく変わってきた。
「以前は手が届かないところにある“夢”だけを見ていました。自分だけはかなえられると思って。それが単なる空想に過ぎなかったことに気づいて、私は陸上競技に“夢”を持たなくなったんです」
“夢”の代わりに持ち出したのが、自分は“仕事”として走っているという考え方。自身がはまった迷宮から抜け出す、唯一の方法だったのだろう。

●半端でない新谷の集中力
結果を出すためなら、指導者の立てる練習メニューを否定することもいとわない。そう考えるのが新谷仁美という選手である。日本の実業団はそれができないと誤解されている向きもあるが、個別練習を認めているチームも多い。新谷もチームの理解を得て独自のメニューを行っている。

ただ、自分流を貫くからには言い訳はできない。その分、練習に臨む自身に対しても厳しい姿勢を貫いている。
「試合で最高のパフォーマンスをするのが私たちの仕事ですが、そのためには準備段階を万全にしないといけません。モスクワに向けては1000mを3分3秒で走りきるペース感覚を、自分のなかにつくる練習をします」
高地トレーニングのために海外に行ったり、涼しい北海道などで合宿をする選手が多いなか、本番まで佐倉で練習をするのも新谷なりの考えがあってのこと。
「佐倉が集中できる環境だからです。合宿した方が効果は上がるのかもしれませんが、私は短い時間しか集中できない人間です。佐倉ならオンとオフの切り換えもしやすい。私は集中できる環境を選びました」
1日のうち練習時間しか競技のことは考えず「日常生活にはできるだけ陸上競技は持ち込まない」と言う。

しかし食事に細心の注意を払い、半身浴を毎日数回行うなど、日常生活でも競技のことを意識した行動が多い。
「半身浴をすると疲れが残らず、次の日の練習に集中して取り組めます。今日も練習がよくできて、明日も練習ができると感じられることが、全体として良いトレーニングになるのだと思います」
生活もトレーニングの一部。新谷には当たり前のことになっている。

●新谷の語る“夢”
新谷が本来の力を発揮し始めたのが実業団6年目の2011年のこと。5000mで15分13秒12の自己新を出し、記録的な停滞状態から抜け出した。テグ世界陸上代表入りすることに成功し、テグでは予選を突破して13位と健闘した。そして昨年のロンドン五輪では、5000mでは惜しくも予選落ちしたが、前述のように1万mで9位。両種目とも大舞台で自己記録を更新する健闘だった。
「テグは初めての世界陸上で、真っさらの状態で臨みました。チャレンジャーの意気込みでしたね。でも、今回は普段通りです。結果がすべてという姿勢で臨みます」

“夢”に向かって走るのではなく“仕事”として走る。新谷はロンドン五輪の前から、このスタンスを鮮明に出していた。昨年4月に1万mで五輪A標準を破ったときも、「1万mは長いから」という理由で、ロンドン五輪は5000mだけの出場にするつもりだった。5000mで14分台を出せるのでは?と期待する声にも「私は“夢”は持っていないんです」と答えている。

ところが五輪本番では1万mも走り、帰国後には「世界で戦うためには」と、前向きな話をすようになった。モスクワの出場種目は「世界との距離が近いから」という理由で1万mに絞った。目標タイムは日本記録(30分48秒89)を大きく上回る30分30秒。「メダルを狙うにはそのくらいで走らないといけません」

新谷が“夢”を語るようになった。五輪前後の変化を見てそう感じられたのだが、新谷自身は否定する。
「自分がどんどんストイックになっているのは感じますが、“夢”という感覚はまったくありません。私の中の陸上競技は、“夢”や希望とは真逆のものなんです。“仕事”として完璧にやりたい、としか考えていませんが、それを第三者が見て“夢”ととらえてくれるのは嬉しいですね」
新谷は今の中高生にも、“夢”を持てるような強さを日本の陸上競技が取り戻してほしいと願っている。かつての自分がそうだったように。

「そんな状況を作りたいとは思っているんですが、自分がその中心には居たくない。『新谷なんかもう要らないよ』と言われるくらいに、日本の陸上界がなってほしいですね」
その第一歩をモスクワ世界陸上で記す。“仕事”として完璧に実行する。それは“夢のある仕事”以外の何ものでもない。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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