寺田的 世陸別視点

第13回2013.08.11

後半の落ち込みをなくした福士が銅メダル!
福士バージョンのマラソン完成はあるか?

寺田的 impressive word
10th AUG.福士加代子
「マラソンで初めて人を抜きました!やっぱり人が落ちてくると元気になるんですね(笑)」


●課題だった後半に進境
36km手前でメセレック・メルカム(エチオピア)を抜いた福士加代子(ワコール)は、驚いていた。これまでのマラソンでは、自分が終盤で抜かれることはあっても、自分が誰かを抜くことはなかった。
「マラソンで初めて人を抜きました!(後半の課題を)克服?やっぱり人が落ちてくると元気になるんですね。落ちてきてくれなかったら、私もあのままだったかもしれません」

福士のマラソン全成績とレース展開

回数 月日 大会 順位 記録 レース展開
1 2008 1.27 大阪国際女子 19 2時間40分54秒 スタートから独走したが30kmから失速して最後は何度も倒れながらフィニッシュ
2 2011 10.09 シカゴ 3 2時間24分38秒 中間点を1時間09分25秒のハイペースで通過したが、後半に腹痛を起こしてペースダウン
3 2012 1.29 大阪国際女子 9 2時間37分35秒 中盤まで優勝した重友梨佐とトップを快走していたが、26km付近から後れ始めて9位まで落ちた
4 2013 1.27 大阪国際女子 2 2時間24分21秒 ペースメーカーが外れた30kmから独走したが、残り1kmを切ってガメラッシュミルコに逆転された
5 2013 8.10 モスクワ世界陸上 3 2時間27分45秒 30km手前で4人の先頭集団から後れたが、36kmでメルカムを抜いて3位に浮上

初マラソンの2008年大阪、3度目の2012年大阪、そして今年の大阪。順位は19位、9位、2位と上がって来ているが、独走態勢に入りながら終盤で抜かれている。

今回順位を上げることができたのは、メルカムが自滅したのが直接の理由。だが、30km手前で後れ始めた福士が、過去のマラソンのように大きくペースダウンしなかったことも大きかった。優勝したエドナ・キプラガト(ケニア)も銀メダルのヴァレリア・ストラネオ(イタリア)も、35kmまでの5kmよりも、40kmまでの5kmの方がタイムを落としている。それに対し福士だけがその区間のタイムを上げているのだ。
後半の粘りを身につけたことが、福士のメダル獲得の大きな要因になった。

●体調不良で欠場も考えた
福士はいかにして後半の強さを身につけたのか。7月のサンモリッツ合宿では“力が抜けた練習”をしたという。
「練習を頑張ってもどうしようもない。自分はこれ以上にも、これ以下にもならないですから。力んでいたというよりも、それまで一生懸命にやっていたのを『もうやめた!』と…」
その練習で結果を出せる自信があったのか?
「ないです!あるわけないですよ。マラソンは何を自信にしていいのか、まったくわかりません」

福士は自分の感性だけで言葉にするので、第三者には練習の全体像が見えにくい。永山忠幸監督の話を聞くと、福士の言葉の裏側が見えてくる。

実は4月から5月にかけてインフルエンザにかかったり、内臓疲労がひどくなったりして体重が42〜43kgまで落ちた。血液のヘモクロビンの数値も低下。俗にいう貧血である。
「女子マラソン復活の宿題を与えられている指導者としては、世界陸上欠場も考えました。練習が再開できたのは5月にボルダーで行われた陸連合宿からですが、大会2週間前まではスタートラインに立たせることが怖かった」

では、そこからどんな練習ができて調子を上向かせることができたのか。
「無理をさせませんでした。ストレスを与えないよう休みも入れながら、本人の状態が上向くように、練習パターンを組み替えました。その練習でも最終刺激は、今年の大阪のときよりも良い感じでできたのです」

●福士バージョンの参考書
福士は“トラックの女王”と言われているスピードランナー。3000m、5000m、ハーフマラソンの日本記録を持ち、1万mの日本記録にも何度も迫っている。2003年パリ世界陸上を皮切りに、五輪と世界陸上で7回のトラック長距離種目代表となっている。

ところがマラソン進出で苦しんだ。初マラソンは1カ月に満たない練習期間で、30km以上の距離走は1回しか行わなかった。「ちょっとなめていた部分もあったかもしれません」(福士)
その反省から2012年の大阪に向けては距離走も多く行なった。40km走を2時間21分台と、かなり高いレベルで走ったこともあった。それでもレース終盤で失速。

今年の大阪に向けての練習では、距離走のタイムを抑えぎみにした。モスクワ世界陸上の派遣設定記録が2時間23分59秒以内と、福士の感覚からすると速いとは思えなかったからだ。ところが、ペースメーカーが外れた30kmから独走したものの、残り1kmを切ってガメラッシュミルコ(ウクライナ)に逆転されてしまった。
福士のスピードを生かす練習をしたい。だが、練習で走り込みをしないとマラソンは走りきれない。その2つの組み合わせ方、バランスを考慮してきたが、まだ完成にはいたっていなかった。

今回も体調不良があったため、永山監督が描いている練習はできなかった。それでも、ボルダーで野口みずき(シスメックス)と一緒に練習するなかで学ぶものが多かったし、前述のようにサンモリッツではしっかりと調整ができた。

今後について福士は「ノープラン」と目標を持っていない。永山監督も「リオ五輪よりも福士の人生を優先しないと」と明言しないが、マラソン練習に関しては「ようやく参考書を作れた」と言う。
「これまでは色々な方のアドバイスを聞いても、上手く整理することができませんでした。世界一になるには世界一の練習をしようとしたこともありましたが、同じ方法をやれと言っても向き、不向きがあります。(スピードを重視してきた)私にもこだわりがありますし、理想のメニューやタイム設定も追い求めたい。福士オリジナルバージョンの練習です」

ただ、悲願である1万mの日本記録更新など、今後もトラックを走ると思われる。福士バージョンのマラソン練習が実行できたとき“トラックもマラソンも走れる女王”が誕生する。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

バックナンバー