寺田的 世陸別視点

第6回2013.07.26

普段着の“ピーキング”で6位入賞を目指す川内優輝。
モスクワ用の“強化”が成功すればメダルの期待も・・・前編

●衝撃だった2カ月連続の2時間8分台
陸上界にはかねてから疑問があった。複数の長距離指導者から、「川内はピーキングをしていないのではないか?」というニュアンスの発言を聞いていた。
マラソン練習は大きく見て、疲れがある状態でも追い込んだ練習をする強化期間と、疲れを抜いて試合に合わせていく調整期間に分けられる。後者がピーキングとも呼ばれる部分で、スピードと持久力のバランスや、体調などを調整をして記録を出せる状態をつくっていく。

陸上競技のなかでもマラソンは極端に試合数が少ない。年間2レースが普通で、多い選手で3レース。これはアフリカ選手も同じである。2時間6〜8分で4回も5回も走ったら、間違いなく故障を起こす。あるいは極度の体調不良に陥る。練習は試合よりも遅いスピードか短い距離で行い、レースで初めて、42.195kmでの最高のパフォーマンスを出す。

その常識を覆したのが、昨年マラソン9レースに出場した川内優輝(埼玉県庁)である。さらに関係者を仰天させたのが今年の2〜3月。2月3日の別大マラソンに2時間8分15秒の自己新記録で優勝すると、6週間後の3月17日のソウル国際でも2時間8分14秒(4位)で走った。

川内優輝のマラソン全成績

月日 回数 大会 順位 記録
2009 2.01 1 別大 20 2.19.26.
3.22 2 東京 19 2.18.18.
12.06 3 福岡国際 13 2.17.33.
2010 2.28 4 東京 4 2.12.36.
12.05 5 福岡国際 10 2.17.54.
2011 2.27 6 東京 3 2.08.37.
9.04 7 テグ世界陸上 18 2.16.11.
10.30 8 大阪マラソン 4 2.14.31.
12.04 9 福岡国際 3 2.09.57.
12.18 10 防府 2 2.12.33.
2012 2.26 11 東京 14 2.12.51.
4.15 12 かすみがうら 1 2.22.38.
4.29 13 デュッセルドルフ 8 2.12.58.
7.01 14 ゴールドコースト 4 2.13.26.
8.26 15 北海道 1 2.18.38.
9.16 16 シドニー 1 2.11.52.
10.21 17 ちばアクアライン 1 2.17.48.
12.02 18 福岡国際 6 2.10.29.
12.16 19 防府 1 2.10.46.
2013 1.18 20 エジプト国際 1 2.12.24.
2.03 21 別大 1 2.08.15.
3.17 22 ソウル国際 4 2.08.14.
4.21 23 長野 1 2.14.27.
6.02 24 千歳JAL国際 1 2.18.29.
7.07 25 ゴールドコースト 1 2.10.01.
8.17 26 モスクワ世界陸上    

マラソンの準備(強化期間+調整期間)には3カ月はかかる。それが日本の長距離界では常識で、そのため「川内はピーキングをしていない」という意見が出てきたのだ。
ある指導者は「川内がピーキングを覚えたら2時間6分台を出せるし、世界陸上でメダルもあり得る」という見方をした。
別の指導者は「川内にピーキングという概念はない。いつでも2時間8分台で走れるから入賞はできるが、メダルや2時間6分台はどうか」と、懐疑的にとらえていた。

●「マラソンは3週間あれば準備できる」
結論から言えば、川内もピーキングをしている。他の選手たちと比べると期間が極端に短いので、周囲からはやっていないように見えるのだ。「マラソン直前の3日間だけが調整で、そこまでの練習を変えることはありません。狙って出場するマラソン前3週間のメニューは、ほぼ固定しています」と話している。

ただ、川内のマラソン前の3週間は、強化の要素も含んだピーキング期間ととらえることもできる。7月14日に山形県蔵王で練習を公開したときに「ここから追い込んでもたかが知れています。強化というより、世界陸上に向けて体調を上げていくことに重点を置いています」と話している。

「3週間あればマラソンを走れる」というのが川内の持論。これはピークを合わせて出場する場合だ。練習代わりに出るときは1週間後でも、2週間後でも問題ない。実際、昨年12月には福岡国際を2時間10分29秒で走り、その2週間後に防府を2時間10分46秒で制した。

本気で狙いで行く場合も、前述したように3週間の練習パターンは確立されている。
「3週間前にハーフマラソンに出るか20kmのペース走をして、2週間前に30〜40kmの距離走をします。良い練習ができるときは3週間前のハーフで自己新を出したり、余力をもって走っています」

しかし、どうして3週間で準備ができるのか。それこそが、市民ランナースタイルの川内の真骨頂といえる。フルタイム勤務で1日1回の練習が限界。ポイント練習は週に2回だけで、残りの5日間はジョッグでつなぐ。月間走行距離は500〜600kmと実業団選手の半分程度。

「僕は普段から疲れをためないので、レース前に極端に練習を減らさなくても調子を上げられる。3日間くらい練習量は落としますけど、(太りやすい体質なので)体重が増えないように注意しています。前日に1000mの刺激を入れて、カレーライスを食べ、レースに向かう気持ちを高めていく。そのほかのことはあまり意識せずに調整はやっています」

川内流ピーキングは、モスクワ世界陸上に向けても変えるつもりはない。3週間前に釧路で30kmレースに出て最終チェック。世界陸上が開幕する8月10日の1〜2日前まで通常勤務する。いつもの市民ランナースタイルでモスクワに乗り込む。

>>「川内優輝」後編へ

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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