寺田的 世陸別視点

第3回2013.07.16

“無欲の銅メダル”のベルリンから“すごいやり”のモスクワへ。
村上幸史の技術とメンタル

●プレッシャーがないのが共通点
4年前のベルリン世界陸上で銅メダルの快挙を演じた村上幸史(スズキ浜松AC)に、再びメダルのチャンスが訪れようとしている。今年4月の織田記念で投じた85m96(日本歴代2位)は、7月12日時点で今季世界4位。前回金メダルの男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)、男子20km競歩で今季世界2位の鈴木雄介(富士通)らとともにメダル有望種目に挙げられている。

だが、4年前は無欲で臨んだ結果のメダルである。それに対して今回はメダル候補の1人として、狙って取りに行く立場だ。その違いをどう感じているのか。
村上から意外な答えが返ってきた。
「今回とベルリンのときで似ているのは、プレッシャーがまったくない点です。ベルリンはB標準(80m54)で出場していたんですよ。あの結果は誰も期待していなかったでしょう。自分の中で“調子が良いぞ”という思いがあった程度です。今回はそのとき以上にプレッシャーがない。なぜなのか、自分でも不思議な感じです…まあ、スポーツ選手は幸せなんだなと、改めて感じていますけど」

メダルのプレッシャーとスポーツ選手の幸せがどう関連するのか。
そこを解き明かす前に、ベルリンの村上について説明しておく必要がある。2009年の村上は決して、気楽に競技に取り組んでいたわけではない。

前年の北京五輪に出場した村上は予選落ち。4回目のメジャー2大会(五輪と世界陸上)だったが、ことごとく決勝の壁に跳ね返されていた(表参照)。次のオリンピックを目指すには微妙な28歳という年齢。今治明徳高(愛媛)時代からずっと村上を指導してきた浜元一馬先生は「引退してもおかしくない」と思ったという。
だが、村上の気持ちはまったく違った。
「それまでは自分のために競技をしていましたが、これからはみんなの思いを背負って競技をしよう、と思いました」

“見るもの”が何もかも変わった。自身の競技への取り組みを見直したのはもちろん、気になる外国人選手のビデオも何十回と見直した。日本のやり投界全体のこと、自身が果たすべき役割なども考えるようになった。
技術的には「“核”を持つことができた」という。「左の脇から腰にかけての胴の側面です。そこを、左脚が着くまで進行方向を向けさせておけば良いんです」

助走のクロスステップの4歩目でやりを引いたときの構えだったり、投げの局面(最後の1歩)で右ヒザを曲げて使えるようにしたりと、いくつかのチェックポイントを正確に行えるようになった。
競技への思いは深く、強くなり、技術も一段階上のレベルに到達していたのがベルリンシーズンの村上だった。

●コツを会得したことが裏目に
だが、2011年のテグ世界陸上、昨年のロンドン五輪と村上は予選を突破することができなかった。ベルリンのメダルは、強豪選手たちが記録を伸ばせなかったことにも助けられた。だが、予選を突破できないとなると、村上自身に問題である。
力が落ち込んでいたわけではない。2010年には83m15の自己新でアジア大会に優勝。2011年には7月のアジア選手権、8月の愛媛での記録会と、テグ世界陸上前に自己新を連発していた。昨年は小さな故障が続いてシーズン全体を良い流れにできなかったが、6月の日本選手権では83m95の自己新を投げているのである。

日大の小山裕三監督は「コツをつかんだことが裏目に出ましたね」と説明する。
「こうすればこのくらい飛ぶ、と体が覚えてしまうと、頭打ちになってしまうことがあるんです。コツを日本国内やアジアでは使えても、世界大会に行くと見るもの、聞く音からにおいまで、全てが違うので『これで81m』というところの感覚がずれてしまう。コツをつかむこと自体、悪いことではないんです。余分な力を使わず、ケガのリスクが少なくなる。室伏(広治・ミズノ)みたいに世界にずっと行っていて、コツが世界基準になっていればいいんですけどね」

村上幸史の世界陸上とオリンピック成績

大会 成績 シーズンベスト
2004 アテネ五輪 予選B組9位=78m59 81m71
2005 ヘルシンキ世界陸上 予選B組13位=68m31 79m79
2007 大阪世界陸上 予選B組10位=77m63 79m85
2008 北京五輪 予選A組8位=78m21 79m71
2009 ベルリン世界陸上 予選A組1位=83m10 83m10
銅メダル=82m97
2011 テグ世界陸上 予選A組7位=80m19 83m53
2012 ロンドン五輪 予選A組14位=77m80 83m95
2013 モスクワ世界陸上   85m96

技術的な問題に加え、村上のメンタル面にも力みが生じていた。無欲だったベルリンとは違い、テグ、ロンドンとメダルを期待される立場になった。純朴で生真面目な性格が、周囲の思いを上手く消化して受け容れることを妨げた。ロンドン五輪では日本選手団全体の主将を引き受けることにもなった。
「メダルはそんな簡単に取れるレベルではない、そこまで自分の力は達していない、ということはわかっています。でも、『メダルを目指します』と言っている自分がいる。偽りの気持ちを口にしているな、と思っていました」
ロンドン五輪から帰国した村上は主将として、メダリストたちが主役の記者会見や銀座のパレードなど、行動をともにしないといけなかった。

「オリンピックが終わって1カ月間くらい、どんなことを思っていたか、どんな生活をしていたかさえ、まったく覚えていないんです。本当に何も思い出せません」
引退の2文字が脳裏をよぎり、妻に相談したほどだった。
それでも、予定していた試合には出場した。そのなかで、クロスステップだけの投てきを行ったりしていた。
「無意識なんですけど、何かを試そうとしている自分がいました。だったら、自分はまだ行けるんじゃないか」
かすかではあるが、一筋の光を感じながら冬期練習に打ち込んだ。

●“形”から“感覚”に
今季の村上はシーズン初戦の織田記念で85m96と自己記録を2m01も更新した。「風に助けられた面もある」と慎重だが、この記録は風だけで出せるものではない。
「初戦を重視していました。去年は(直前のケガもあって)織田記念が良くなくて、シーズンの流れを悪くしましたから」
昨年はディーン元気(早大)の台頭もあり、日本選手権にピークを合わせる必要が生じた。無理な調整が続き、体のあちこちに負担をかけてしまっていた。ロンドン五輪前の練習は満足のいくものができなかった。

それと比較するまでもなく、今季は過去最高のシーズンインに成功したといえるだろう。
技術的には何が良くなっているのか?
「ラストクロスのときの目線が変わっています。ずっと前を向いていた去年は、早く体が開いてしまっていました。今年は投げる直前まで前を見ていません。体全体でやりを引く動きができているんです」

だが、助走中に視線を外すことを意識しているわけではない。
「意識しているのはクロスの一歩一歩の“感覚”です。昨年までは“形”から技術を考えていました。助走をスタートした瞬間から、最後の投げの局面に向かって“形”をつくっていく。今年はもう1回基本に戻って、どうしたら最終的にしっかりと腕を振れるのかを考え直した結果、“感覚”を優先しています。一歩一歩の自分の“感覚”を大事にして、それを投げの一連の動作につなげていく。結果的に形に多少のズレが生じてもかまわない。一歩を意識すれば、前を向かなくてもいいんですよ。一歩一歩自分の空間をつくればいいので、楽なんですよね」

ベルリンの頃は形を意識することで上手く投げられたが、それを繰り返すうちにコツで投げられるようになってしまった。テグとロンドンではメンタル面も影響して、さらにこぢんまりした動きになっていたのかもしれない。
「(変えた理由は)去年、失敗し続けたからです。メンタル的な部分ですかね」
去年までの技術とどちらが正しい、正しくないということではなく、その時点の自分に合った方法を採った、ということだろう。

●スポーツ選手の幸せとは?
4年前の銅メダルは、村上にとってどんな意味があったのだろうか?口が悪い陸上関係者は「まぐれだった」と言う。確かに、周りの不調に助けられた面もあったのだが…。
「ベルリンがまぐれだったかどうかは、僕にとってはどうでもいいことです。今はメダルを取ることにこだわりはまったくありません。ただ、あの舞台で“すごいやり”を投げたい。それだけなんですよ」

写真

村上の銅メダル獲得に、ともに涙を流した今治明徳高の浜元先生(左)と日大の小山監督

村上はスポーツ選手のメダルに対する責任は「小さなもの」と言う。この2年間は大きな責任を感じてきたが、選手にできることは最善の努力をすること以外にはない。メダルが取れなくても、具体的に責任を取らされることはないのである。
いい加減でかまわない、と言っているのではない。小さな責任しかないことを実感しつつも、それに対して全身全霊でぶつかっていくことができるのがスポーツであり、それができるスポーツ選手は幸せなのだ。責任を感じ続けた選手だけが到達できる境地だろう。

それと似た心境だったのが、「みんなの気持ちを背負って競技をしよう」という覚悟が固まった2009年だった。今季の村上は、それをさらに一歩進めた心境に至っている。メダルを取りたいとは思わないが、支えてくれてきた人たちに恩返しはしたい。
「ベルリンのとき、表彰を待っている間に浜元先生と小山監督が、男同士で抱き合っているシーンを見たんです。『なにやってるんだ、恥ずかしいな』と、見ていられませんでした。でも、そういう場面をもう一度つくりたいな、とは思っているんです」
技術とメンタル面がそろって良い状態になったとき、村上のやりは勢いを増す。4年前、ベルリンの薄暮の空を切り裂いたように。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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