寺田的 世陸別視点

第15回2013.08.13

山本が跳躍種目過去最高順位の6位入賞。
五輪記録なしから激変の1年間

寺田的 impressive word
12th AUG.山本聖途
「むちゃくちゃ楽しかった。(ロンドン五輪当時と比べ)気持ち的には50cmくらい上がっている」


●山本の特徴が発揮されたモスクワ世界陸上
「むちゃくちゃ楽しかったです」
フィールドから引き揚げてきた山本聖途(中京大)の第一声である。この1年間の成長を象徴している言葉だった。

山本のロンドン五輪とモスクワ世界陸上は、激変と言っていい。順位は予選落ちから6位入賞へ。記録はノーマークから5m75へ。6位は世界陸上の跳躍種目日本人最高順位であり、5m75は世界陸上・五輪で日本選手が跳んだ最高記録だった。
成績だけではない。試合中の表情や仕草がまったく違ったのだ。ロンドンでは終始強張った表情をしていたが、澤野大地(富士通)と荻田大樹(ミズノ)が一緒だったこともあり、モスクワの予選は笑顔で談笑していた。島田正次コーチは「オリンピックはおどおどしていたが、ユニバーシアード(銀メダル)も経験して、今回はドンと構えていた」と話す。
その落ち着きが的確な判断を可能にした。

選手はポールの曲がりが「軟らかい」と感じると、ポールの耐荷重(ポンド)や、硬度の単位であるフレックスを大きくする。今大会の山本は5m50と5m65でポールを変え、5m75を1回失敗後にもう一度変更した。ポールの変更が成功に結びつく割合は正確にはわからないが、自己新レベルではなかなか難しいのが現実だ。

正確な技術を行えなければポールを変えても効果は得られない。この日は助走が走れていたため、踏み切り位置が10cmほどマット寄りに奥まっていた。それを修正するために助走開始位置を10cm下げた。それで踏み切り位置がピッタリと合ったが、踏み切り位置を正確に修正できる選手は多くない。

島田コーチ門下の選手たちはポールワークというドリルを徹底的に行う。山本は今大会2週間前に腰を痛めて跳躍練習ができなかったが、ポールワークは行っていた。助走で正確なステップを踏めば、正確な位置で踏み切り動作ができ、大きな力をポールに加えられる。そして曲がったポールの反発に乗ることに関して、山本は“天才的”と評価されている。

山本は今大会の技術的な修正を以下のように説明した。
「5m75の1、2本目は助走のリズムと突っ込み動作が上手くできませんでした。結果的に踏み切りが弱くなっていたので、そこをしっかり踏み切れるようにすれば、上半身もしっかり浮いてくる。助走で自分のリズムを取り戻せば自信がありました」

●失意のロンドン五輪から再起
ロンドン五輪の山本で印象的なのは、記録なしに終わった後に睨みつけるような目をしていたことだ。
海外初遠征で経験不足はどうしようもなかったが、まがりなりにも学生記録保持者(当時5m62)であり、日本選手権では5m83の日本記録保持者の澤野を破っていた。予選突破を目標にしていたが、最初に挑んだ5m35をクリアできずに記録なしに終わった。

コーチ席から踏み切り位置が見えず、微妙な狂いを指摘してもらえなかった。選手同士でチェックする慣習もあるが、当時の山本にはそれを頼める選手がいなかった。
「海外経験がなくてもなんとかなると思っていましたが、やっぱり必要だと痛感しました」
夕方に選手村に戻った山本は、ユニフォーム姿のまま、深夜の2時頃までベッドで大の字になっていた。
しかし、その経験が山本を成長させた。

帰国後に学生記録を5m65に更新すると、今年2月に5m71の室内日本新をクリア。その後、スウェーデンで合宿も行った。中京大の先輩である室伏広治(ミズノ)のトレーナーから、体幹トレーニングの仕方を教わり「腰回りバランスが良くなった」(島田コーチ)
屋外シーズンも好調を続けた。5月のゴールデングランプリ東京は風が強く、記録は5m50にとどまったが格上の外国人選手たちを相手に優勝した。5月半ばに5m74、6月下旬に5m75と自身の学生記録(日本歴代2位記録)を更新した。
そして7月に今回と同じロシアで行われたユニバーシアードは5m60で銀メダル。学生主体の大会ではあったが、国際試合でも結果を残せるようになった。

●「2年後のメダルが見えてきた」(島田コーチ)
ロンドン五輪からわずか1年。国際試合で何をしたらいいのかわからなかった山本が、今回は世界一を争う外国選手たちのなかで堂々と試合を進めた。
「ユニバーで知り合いも増えたし、今回はアップ場で挨拶もできました。去年できなかったことが色々とできましたね」

日本の跳躍史上に残る快挙を成し遂げられたのは、1年間の取り組みの総合的な成果だが、山本はその結果として「自信が大きくなったから」と理由を説明した。5m65を失敗したときも、ロンドン五輪のときのような追い込まれた表情はなかった。
「5m65に2回失敗しても、自分の跳躍をすれば絶対に跳べると思っていました。慌てることはなかったですね。(この1年間の記録の伸びは12cmだが)気持ち的には50cmくらい上がった気がします」

優勝したラファエル・ホルツデッペ(ドイツ)やロンドン五輪金メダルのルノー・ラビレニ(フランス)、6mジャンパーのブラッド・ウォーカー(米国)らとともに5m82に挑戦する姿に、島田コーチは「風格さえ感じた」と話す。同コーチはこれまで東京大会の竹井秀行、パリ大会の小林史明と小野真澄と、3人の世界陸上棒高跳代表を育てた名コーチ。
「とにかくすごい奴です。コーチ冥利に尽きますね。今回も5m82を一発で跳べば銅メダルでした。2年後の世界陸上のメダルが見えてきました」

山本は21歳5カ月。世界陸上フィールド種目では最も若い日本人入賞者となった。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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