寺田的 世陸別視点

第14回2013.08.12

アフリカ勢を向こうに回して孤軍奮闘。
感動を呼んだ新谷の5位入賞。そして涙…

寺田的 impressive word
11th AUG.新谷仁美
「そう言ってもらえたら、引っ張った甲斐がありました。(最後にアフリカ勢に引き離されて)カモになったとしても、前に出て良かったな、と思います」


●厳しい自己評価
女子1万mで5位に入賞した新谷仁美(ユニバーサルエンターテインメント)の自身への評価は厳しいものだった。涙ながらにレースを振り返った。
「あそこまで行ったらやっぱり、メダルが欲しかった。私たちに求められるのはメダルだけなんです。それはロンドン五輪でわかったはずなのに、この1年間自分に言い聞かせてきたはずなのに、全然わかっていなかった。ラスト1周で離れてしまったのは、そこに原因があったと思います」

新谷の持論は第4回コラムでも紹介している。「わかっていなかった」と言うのは、日々の取り組みに甘さがあったという意味だ。それがラスト1周で力の差となって現れた。

だが、ロンドン五輪と比べたらプロ意識は明らかに強くなっている。レース前の新谷の表情や仕草が違ったのだ。ロンドンは福士加代子(ワコール)、吉川美香(パナソニック)と3人での出場だったこともあり、“オリンピックという場を楽しもう”という雰囲気が見て取れた。

今回の1万mは1人だけの出場。スタートラインに着くと自身で顔を叩き、天を見上げ、両拳を合わせて何かに祈る。結果を出すために集中している様子が見ている側にも伝わってきた。

だが、結果は新谷自身が求めるものではなかった。残り500 mからアフリカ4選手に引き離され、30分56秒70の自己新(日本歴代3位)だったものの、4位とは7〜8mの差が開いた。
「残り1000mの時点でいっぱいになっていました。練習していた割に力を使い果たすのが早かったと思います。(優勝した)ディババさんが横に来たときに、残り200 mまで付けばメダルの確率が高くなると思ったのですが、あっさり行かれてしまいました。記録も予定より10秒遅かった。(自分は)この程度なんだと思い知らされました」
話の内容からしても、新谷の涙は悔し涙と思われた。

●高い他者の評価
本人の評価はともかく、今回の新谷の走りは感動ものだった。スタート直後はフラナガン(米国)が先頭に立ったが、リズムを整えた3500mでトップに立ち、ペースを上げてアフリカ勢を振り切りにかかった。
「レースの途中でいきなりペースアップするのがアフリカ勢の特徴です。どこまで通じるかわかりませんが、彼女たちのリズムを封じるには前半から速いペースで押し切るしかありません」(新谷)

9人になった先頭集団から外国勢勢を1人、また1人と振り切っていく。5200mでエチオピアのイェシャネーを、5600mではフラナガンを、7600mではケニアのチェピエゴを、そして7800mではブルンジのエシェテを脱落させた。白人のフラナガンを除けばアフリカ系の黒人選手ばかり。チェピエゴを除けば全員が日本記録を上回る選手たちだ。

近年はマラソンもアフリカ勢が席巻しているが、マラソン以上にトラックでは勝てない。そんな雰囲気が強くなっているなか、世界陸上の先頭を日本選手が走り、1人、また1人とアフリカ選手たちを振り落としていく。アフリカ勢に対してここまでのレースができたのは、銅メダルを取った1997年アテネ大会の千葉真子さん以来かもしれない。

ある指導者は「痛快だった」と言い、ある記者は「感動すら覚えた」と声を震わせた。30分56秒70は日本歴代3位だが、世界陸上やオリンピックで出たタイムとしては日本最高記録。それも、6000mの距離を自身でペースメイクして出したとなれば、歴代3位以上の価値がある。

新谷がメダルにこだわるのは「記録やレース内容まで見てくれる」(新谷)陸上界内部の評価よりも、世間一般の評価を重視するからだ。だが、この日の新谷の走りは一般視聴者も、テレビの前に釘付けにしたのではないだろうか。

●プロランナーと普通の女の子の狭間で
新谷の厳しい自己評価と、それに反して周囲の高い評価。その対比が鮮明だったモスクワで、新谷の涙についてもう一度考えてみた。
新谷の持論ではプロである以上、すべての試合で同じように全力を尽くす。どのレースでも同じように緊張するというが、今大会では試合前に「4回も5回も泣いてしまいました」と明かした。

「去年も同じ日本のユニフォームを着ていたはずなのに、今回はすごく怖くなってしまいました。レース前の仕草も自分を落ち着かせるためです。テレビを見たら何をつぶやているんだろうって、不思議な子に見られたかもしれませんが、頼るものが他にありませんでした」
テレビカメラの前で肩を震わせながら話す新谷は、プロのランナーというより普通の女の子という印象だった。

人は何か大きなものを背負ったとき、自身を守る何かが必要となる。新谷にとってはそれが、「陸上競技は仕事」と位置づけるプロ意識だった。
ある指導者は新谷の涙を「悔しさもあったと思うが、極度の緊張感のなかでできる限りのことをやりきった解放感、安堵感のようなものがあったのではないか」と推し測った。

新谷もレース後に1つだけ、周囲の評価を認めるコメントをしていた。「アフリカ勢を引っ張って走る姿が、とても力強くて感動させられました」と声をかけられると、か細く答えた。
「そう言ってもらえたら、引っ張った甲斐がありました。(最後にアフリカ勢に引き離されて)カモになったとしても、前に出て良かったなと思います」
モスクワで流した涙が、少しの変化を新谷にもたらすかもしれない。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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