寺田的 世陸別視点

第9回2013.08.05

競歩どころ石川+究極の上昇志向人間=メダル候補・鈴木雄介

●「メダルが最低限の目標」
いつもと同じ穏やかな口調だった。モスクワ世界陸上の目標を問われた鈴木雄介(富士通)は次のように言い切った。
「金メダルを目指していい練習ができたと感じています。過去の世界陸上やオリンピックの展開と、自分の今の練習状況を考えると、目指せると言っていいと感じています。前半が遅くなると思うのでモスクワで記録を出せるわけではありませんが、条件が良ければ1時間17分台が出せる感覚もあるんです」

鈴木は今年の2月、3月と20km競歩の日本新記録を連発した。神戸で行われた日本選手権では1時間19分02秒、全日本競歩能美大会では日本人初の1時間18分台となる1時間18分34秒。5月以降ヨーロッパでもいくつか大きなレースが行われたが、能美で出した記録は今季世界2位に位置している。
モスクワに向けての練習は、能美のときよりもさらにレベルアップできた。

「スピード練習ですけど、能美のときはやっと(1km)4分を切る感じでした。最初は4分くらいで入って、最後の何本かを4分を切る。モスクワに向けての練習では、最初からちょっと力を入れれば4分を切る練習ができました。イメージとしては1kmあたり5秒上がっています」

鈴木は前回のテグ世界陸上の8位入賞者である。前半から集団を抜け出して独歩した。15km手前で追い上げてきた集団に吸収されたが、入賞圏内で粘りきった。
昨年のロンドン五輪も前半で集団から抜け出したが、後半で粘ることができず36位まで後退した(テグの後に、7カ月間もレースから遠ざかった左膝の故障が影響した)。

「当時の自分の力では、あのレース展開をしないと目標が達成できなかったんです。他に選択肢はなかった。メダルも目指していましたが、もっとレベルを上げてレース展開の選択肢を増やさないとメダルには届かないと感じました」

その後の日本選手権と能美のレース、そしてモスクワ世界陸上に向けての練習で、自身の実力が大きくレベルアップしていることを実感できている。
「モスクワでは集団でレースを進めます。僕は最初から飛ばすイメージを持たれているかもしれませんが、展開を見ながら切り換える能力もある。15kmからどれだけペースを上げられるか、いかに15kmまで余裕を持って歩けるかが重要になると思います」

本番を前にして、意識して強気の発言をしているわけではない。“競歩どころ”の石川県に生まれ、そのスタイルで成長してきたのが鈴木雄介という選手なのである。

●陸上部員全員が競歩に出る石川県
石川県は日本選手権50km競歩が行われる輪島市、全日本競歩能美大会が行われる能美市がある。競歩が盛んな県として知られ、小坂忠広や池島大介を輩出した。小坂は50km競歩の元日本記録保持者で五輪3大会連続代表(ソウル、バルセロナ、アトランタ)、池島は20km競歩の元日本記録保持者でアトランタとシドニー五輪代表だった。池島は日本人で初めて1時間20分を切った選手でもある。

能美市出身ということで鈴木は小さい頃から競歩を身近に見て育ったと思われがちだが、そういうわけではなかった。全日本競歩は能美市に合併する前の根上町開催で、鈴木が育ったのは隣の辰口町。中学で陸上部に入るまで競歩を見たことはなく、特別な感情を抱いていたわけではなかった。

しかし鈴木が強くなったのは間違いなく、石川県という土地柄が影響していた。中学の陸上部員は全員が、専門種目に関係なく競歩の大会に出場する。鈴木は競歩に熱心なコーチに中学・高校と指導を受けた。
「本格的に競歩の練習を始めたのは中学2年からです。僕が高校1年の時の世界ユースで、一緒に練習していた先輩が銀メダルを取っていたので、自分も取れるものと思ってやっていました。小坂先生や池島先生からも声をかけてもらっていましたし」

鈴木は高校2年時の世界ジュニアこそ17位に終わったが、3年時の世界ユース、大学1年時の世界ジュニアと連続で銅メダルを獲得。石川県の期待を受けて成長した。
だが、競歩が盛んな土地で指導者が熱心、ということだけで、ここまで強くはなれない。ジュニアレベルであれば強豪チームに入るだけで成長できるが、シニアの日本代表、それも世界大会のメダル候補となると話は別。選手個々の意識が高くなければ結果は出せない。
鈴木も“競歩どころ”という環境に身を置いただけの選手ではなかった。

「中学記録は出して当然だと思っていたので、どこで出したのか覚えていないんです。高校1年の世界ユースには結局出られませんでしたが、出るのが当たり前と思っていました」
普通の選手であれば自分が中学新記録を出した場所を忘れるわけがないし、中学を卒業して1〜2カ月で、日本代表が当然という意識になれるはずもない。
もちろん、他の県で育っていたら、こうした高い意識にはなっていなかった。

●練習のタイム設定は自分で決める
鈴木は“自信家”と見られることも多いが、取材していて感じるのは“上昇指向”の強さである。そういう選手は、強くなるための方法を他人任せにしない。自らの意思で取り組まないと気がすまないのだ。
強豪チーム、高名な指導者がいるチームに属していても、「このチームに入れば伸びる」「コーチが自分を強くしてくれる」と考えている選手は伸び悩む。指導者から与えられただけの練習では効果は半減するのだ。トレーニングを自分のものとできているかどうかが、成長する選手とそうでない選手を分ける。

鈴木は高校卒業後、順大、富士通と競歩の日本代表を何人も輩出している強豪チームに進んだ。順大、富士通とも50km競歩で世界陸上に2回入賞している今村文男氏がコーチ。今村氏の指導を受けるためにチームを選んだ。だが、ポイント練習のタイム設定は鈴木自身が決めている。

今年1月時点の自己ベストは1時間20分06秒だった。大学4年時の3月に出した学生記録だが、3年間タイムを伸ばせなかった。今村コーチは2月の日本選手権に向けて、1時間19分30秒前後を出すためのタイム設定をアドバイスしたが、鈴木は「1時間18分半を出さないと世界とは戦えないので、二段飛ばし、三段飛ばしのトレーニングをしました。かなり勝手にやっていましたね」と明かす。

日本選手権で日本新を出したとき、フィニッシュした鈴木は悔しさをあらわにした。目標を達成できなかったから喜ぶわけにはいかない。理屈でいえばそうなるのだが、理屈で行動を決めているというよりも、気持ちの奥底からわき上がる衝動を表に出していた印象だった。
「日本新の喜びは歩いている途中に味わって、レース後半はラストの5kmをペースアップすることだけを考えていました。そこを上げられないと(世界陸上で)メダルが取れないとわかっていますから」

●失格しない歩型が武器
鈴木の強さをメンタル面から紹介してきたが、専門家は鈴木の特徴として歩型(※1)を強調する。陸上競技で唯一、判定の要素が大きいのが競歩種目である。日本の競歩界でも課題となってきた部分で、10年前のパリ世界陸上で大量失格者を出した反省から、主流であるイタリアのジャッジを徹底的に研究した。
(※1)競歩とは、両足が同時にグラウンドから離れることなく歩くことをいう(ロス・オブ・コンタクトにならない)。前脚は、接地の瞬間から垂直の位置になるまで、まっすぐに伸びていなければならない(ベント・ニーにならない)。いずれも目視で判定する。(「陸上競技ルールブック2013」から抜粋)

イタリア人審判員を招いた講習会が石川県でも開催され、その講習を受けた鈴木は歩型に対する基礎が固まったという。
「失格にならないフォームが競歩の基礎です。後ろ脚をしっかり残して、前脚は低く振り出して着地する。それと、腰を縦に動かして肩の動きと連動させる。その基本に、自分の歩いているときの感覚をすり合わせる作業をずっとやってきました」

その結果、鈴木がレース中に赤カード(警告)を出されることはほとんどない。国際大会では、前半のハイペースで疲労が極致に達したテグ世界陸上の15km以降だけだ。3人以上の審判員から赤カードを出されると失格になってレースを続けられなくなるが、鈴木が失格したことは一度もない。
今村コーチも専門誌の連続写真解説で「鈴木選手の動きは警告を受ける心配がまったくありません。1km3分40秒〜45秒のスピードでこのような動きができる選手は、世界でも少ないでしょう」とコメントしている。

歩型に難のある選手は、トレーニングもそこに留意しながら慎重に行う必要がある。その点で鈴木は、日本選手権前のトレーニングでも歩型よりも追い込み方を重視できた。「スピードを出してもジャッジを取られない自信があるので、3分55秒で練習するぞ、という部分に集中できました」
モスクワ世界陸上に向けては前述のように、さらにレベルアップした練習ができたのである。モスクワ世界陸上の目標を語る鈴木のコメントが、自信たっぷりに聞こえてしまうのは当然の成り行きかもしれない。

ただ、鈴木の話しぶりに尊大な感じはまったくない。少し前まで富士通や代表チームでは最年少だったこともあり、弟分的ないじられキャラでもあった。
「カラオケでも、自信過剰なところがあるんです」
モスクワでも、自信過剰なところが好結果を生むはずである。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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