「運命の人」ストーリー紹介

最終話より

  • 落下する弓成の姿を見ていた女性

    (写真) 1978年沖縄本島。
    謝花ミチは、叔父・渡久山朝友と浜辺にいた。
    のどかさを打ち破るように飛ぶ米軍機。その対岸の岬に弓成は立っていた。
    ミチが岬に目をやった次の瞬間、吸い込まれるように海へ落下した弓成。
    ミチは慌てて海へ飛び込んだ。沖縄の海は、青く澄んでいた。

  • ミチに助けられた弓成

    (写真) ミチに助けられた弓成は、渡久山夫妻のはなれで暮らし始めた。
    過去と決別し、新聞やテレビのニュース情報から目をそむけ、穏やかな時の流れに身を任せ、5年の月日が流れていた。

  • 由里子を訪ねる山部

    読日新聞・論説委員長となった山部は由里子の元を訪ねる。
    そこで山部は由里子から、長男・洋一はボストンにて建築の勉強中であること、次男・純二は北海道の大学で寮暮らしをしていること、夫・亮太からの連絡は一切ないことを聞かされる。
    弓成が姿を消してから5年経った今でも、「期待してはいけないという一方で、どこかで生きていて欲しいという思いが消えない」と、由里子は離婚届を出さずに待ち続けていた。

  • 琉球新聞社・儀保と弓成の出会い

    (写真) アメリカ兵による強盗事件の取材を行っていた琉球新聞社会部記者・儀保は、沖縄市内にて弓成と出会う。「今も沖縄問題を追いかけているなら、琉球新聞に記事を書いて欲しい」という儀保。しかし弓成は、「今はひっそりと暮らしている」と執筆依頼を断った。

  • 弓成の過去を知ったミチ

    儀保との出会いにより、ミチは弓成が“沖縄返還の密約問題を追及して機密漏洩だと訴えられて有罪になった元毎朝新聞の記者であったこと”を知る。

  • 小さな町工場で働く昭子

    行方をくらましたまま消息不明になっていた昭子は、澤田という仮名を使い、宇都宮にある小さな町工場の経理として働いていた。

  • 渡久山から沖縄の過去を聞かされた弓成

    渡久山は弓成の過去を知っていた。
    周囲に弓成の過去が明らかになったことを機に、決意を固めて38年間封印してきた沖縄の真実を話す渡久山。それは、大戦末期に沖縄の住民がガマと呼ばれる洞窟に逃げ込み140人中84人が集団自決をしたこと、この悲劇を後世に伝えるために自分は生き残ったのではないかということであった。弓成ならこの事実をどう書くのかと問う渡久山は、「アンタが前に進んでくれたら、ミチも過去を乗り越えてくれるかもしれない」と弓成に告げる。

  • 渡久山とガマへ行く弓成

    (写真) サトウキビ畑を抜け、弓成と渡久山はガマへと向かった。
    そこで弓成は、渡久山が幼少期に体験したガマでの悲惨な状況を聞かされる。
    家族や友人を失い、自分だけが生き残ったことに罪悪感があったという渡久山。
    弓成は、沖縄の本当の痛みを何も知らずに、沖縄を救えと息巻いていたかつての自分を恥じていた。そして、沖縄の闇に埋もれた歴史を自分なりに記録しようと決意する。

  • 昭子と琢也の再会

    素性がバレ、町工場を辞めることとなった昭子。するとそこへ夫・琢也が現れる。
    離婚届を昭子に手渡した琢也は、昭子の母から“昭子に戻ってきて欲しい”と書かれた手紙が届いたことを告げ、自宅を売って出来たお金の一部を手渡す。「色々とご迷惑をお掛けしました」と頭を下げる昭子に、「今さら謝られても遅いよ」と強がる琢也は振り返らずに去っていった。

  • 沖縄の人々の話を聞く弓成

    (写真) 弓成は毎日のように沖縄戦の話を聞いて回った。
    「ヤマトンチュウに何が分かる!」「何度来ても無駄だ」とあしらわれても、諦めない弓成。
    すると、年長のおばあキヌが、「みんな家族や親戚が死んでしまったから思い出すのが辛いわけさ。今、生き残っている自分たちが申し訳なくて、後ろめいたいわけさ」と話しだした。渡久山と同様の思いを聞かされた弓成。そこで、弓成はミチの過去を知ることとなる。

  • ミチの過去を知った弓成

    (写真) 弓成は、中学生だったミチが米兵に乱暴されたことを知る。
    また、事件が新聞に掲載されミチは学校へ行けなくなったこと、さらに父親が島から出て行き、母親も程なく亡くなったことを聞かされる。ミチの抱える傷を知った弓成は複雑な思いのまま、「与那嶺琉球ガラス工房」で働くミチを訪ねた。

  • ミチを見守る人々

    (写真) 渡久山夫妻だけでなく、与那嶺琉球ガラス工房の師匠である与那嶺真栄、仲間である照屋賢勇らが、ミチを優しく見守っていることに気づく弓成。

  • 由里子に手紙を書く弓成

    過去の深い悲しみを乗り越えようとする沖縄の人々の姿に、弓成は自分自身も過去ともう一度向き合うことを決める。そして、沖縄での暮らしを伝えるため、由里子に手紙をしたためた。

  • 弓成を訪ねた山部

    (写真) 弓成が由里子に宛てた手紙を読んだ山部は、沖縄に住む弓成を訪ねる。
    記者時代と変わらない会話に、思わず和む弓成と山部。
    そこで山部は、由里子が離婚届を提出せずに今も世田谷の自宅に一人で暮らしていると弓成に話す。

  • 琉球国際大学助教授の我楽を紹介された弓成

    (写真) 弓成は、琉球新聞記者・儀保から、琉球国際大学助教授の我楽を紹介される。ワシントンの大学に赴任するという我楽は、アメリカには一定期間を過ぎた国家機密は公開される仕組みがあるといい、いつか朗報を届けたいと弓成に告げる。

  • 米兵による婦女暴行事件が起こる

    (写真) 米軍ヘリの墜落事故が起こり騒然とする中、米兵による婦女暴行事件が発生する。しかも被害者は小学六年生であった。少女の未来を案じ、「暴行」をいう言葉を避け「乱暴」とし、被害者少女に最大限配慮した琉球新聞と沖縄新聞。しかし、本土のマスコミはそのスキャンダラスな事件を食い物にし、記者が詰め掛けた。一方、罪を犯した米兵は基地に逃げ込めばアメリカ本国に返還されて日本はその罪を裁くことが出来ないという事実。沖縄の住民は事件への怒りに立ち上がった。

  • 忌まわしい記憶が蘇るミチ

    (写真) 婦女暴行事件により、かつて自分の身に起きた忌まわしい記憶が蘇ってしまいったミチは、ガラス工房で火傷を負う。病院に駆けつけた弓成に、「ミチは、自分の過去を恥だと考え、恋愛も結婚も諦めている」と話す照屋。「僕ではダメなんです。アイツについてやってて下さい」ミチを想う照屋の気持ちに、弓成は気づいていた。

  • ミチから話を聞く弓成

    (写真) 過去に起きた出来事をミチから聞かされた弓成。涙ながらに苦しそうに話し続けるミチに、「そこから時間が流れて、君はこんなに素敵な女性になった。温かい仲間に囲まれて、あんなに素敵なガラス作品を創り続けている。そのことを誇りに思うべきだ」という弓成。「東京に戻らずにそばで見守っていて」というミチに弓成は、「もちろん、見守るさ。だけど、もっともっと前から、君を受け入れて、見守っていた人もいる」と優しく言い聞かせる。

  • ヌチドゥ宝

    (写真) 沖縄工芸展で新人賞を受賞したミチであったが、予定されていた個展を中止したいと言い出す。弓成は、「絶望の淵にいる少女を勇気づけられるのは君だけかもしれない」と個展を開き、少女と一緒にミチも過去を乗り越えるよう励ますが、ミチに拒絶されてしまう。その会話を聞いていた渡久山は、そろそろ弓成も腹をくくるときだといい、“ヌチドゥ宝”という沖縄の言葉を伝える。ヌチとは命の事。命を大切にすれば、いつか事を成せるチャンスが巡ってくるという意味だという渡久山は、「ミチのためにも、今こそもアンタも書くべきだ」と弓成を奮い立たせた。

  • 『沖縄の闇を光に』

    弓成は沖縄の本当の痛みを伝えるために「生き恥を晒してでも、沖縄の現状を本土の人々に伝えたい」と決意し、琉球新聞に記事を書いた。

  • ミチと少女

    (写真) 過去を乗り越えて記事を書いた弓成の姿に背中を押されたミチは、同じ傷を負った少女のために、ガラス籠を作った。直接手渡すために、少女と面会したミチ。「貴方のような大人になれますか?」と問う少女に「私なんかよりも、もっともっと素晴らしい人生が貴方には待っている」とミチ。まるで過去の自分を抱き締めるかのように少女を抱き締めた。

  • 「沖縄県民総決起大会」が開催される

    (写真) 抗議集会への参加者は八万五千人。
    テレビで報道された沖縄県民総決起集会で弓成の姿を見つけた、由里子と昭子は、心を揺さぶられる。

  • 大野木弁護士からの電話

    沖縄県民総決起集会のテレビ中継で弓成の姿を見つけたという大野木弁護士は由里子に電話をかける。琉球新聞に掲載された弓成の記事を読んだという大野木弁護士は「今も変わらず、新聞記者のころのまま、沖縄の地で戦っていらっしゃるんですね」と由里子に告げる。

  • 由里子からの手紙

    (写真) 米軍ジープに轢かれそうになってケガをした弓成はミチに看病されていた。そこに由里子から手紙が届く。そこには、弓成に対する恨み言はなく、激励の言葉だけが綴られていた。

  • 昭子と山部

    沖縄県民総決起集会の報道で弓成を見つけた昭子は、山部に連絡する。
    昭子は山部に「未来を変えるといった、その自信に溢れる姿がまぶしかった」と心に伏せていた本心を告げる。山部に弓成への正直な気持ちを伝えた昭子の表情は、少し救われた様子だった。

  • 由里子と昭子

    ミチからの電話で、沖縄行きを決めた由里子。
    「人は自分の運命を引き受けて生きていくしかない」と故郷へ戻ることを決めた昭子。
    由里子と昭子は、偶然にも空港で再会する。
    様々な思いが交錯するが、互いに一礼し、2人は別れた。

  • 由里子とミチ

    (写真) 弓成と出会った岬に由里子を案内するミチ。
    弓成のお陰で人を愛する喜びを知ったと言い、自分にとっての“運命の人”であると由里子に話す。由里子はミチの手を握り締め、「こんな素敵な方に出会えて、弓成も私も幸せ者です」と涙した。

  • 弓成と由里子の再会

    (写真) 由里子との再会を喜ぶ弓成であったが、「君には謝らなければならない事ばかり」と目を伏せる。しかし、「貴方は今も変わらず弓成亮太のままでいる。それで私は、全て救われましたから」と由里子。その言葉を聞いた弓成は、「これからは沖縄の現実を本土に伝える仕事をして、今度こそ、この国の未来を変えたいと思っている」と東京には戻らないことを告げる。弓成の強い決意を感じた由里子は、「私もここに住んでみたくなりました」ともう一度弓成を支える覚悟があることを伝える。
    由里子の言葉に感激した弓成は、「聞かせたい歌がある」と沖縄民謡を歌い始めた。
    その姿を離れた場所から見ていたミチと照屋。
    寄り添うように立つ照屋の手をミチはそっと握り締めた。

  • 極秘ファイルの発見

    (写真) 琉球大学の我楽教授がワシントンのアメリカ国立公文書館で沖縄返還協定についての極秘ファイルを発見したと、琉球新聞がスクープした。記事には、「米公文書 沖縄返還密約を裏付け」「外務省漏洩事件で否定された軍用地復元補償費4百万ドルを日本が肩代わりした事も証明」と書かれていた。その新聞記事を感慨深く見つめる弓成。喜ぶ、由里子、渡久山、ミチ、照屋、儀保。「貴方が運命を引き寄せたんですね」と涙する由里子を弓成は抱き締めた。

  • 政府・外務省は、密約の事実を否定

    これだけ明白な証拠が明らかにされた以降も、政府は延々と密約の事実を否定し続け、外務省は「密約文書は存在しない」と公開を拒否した。

  • 2011年。沖縄密約文書の公開を求めた裁判

    (写真) 2011年、沖縄密約文書の公開を求めた裁判では、外務省が密約隠蔽のために文書を処分したことは認定されるも、誰の命令で処分されたかは追及されず、司法はまたも外務省を守った。
    震災後の今日に至っても、不都合な真実は必ずしも国民に明かされてはいない。
    そして今も尚、日本の国土の僅か0.6パーセントの沖縄の土地に、国内の米軍基地の74パーセントを押しつけられたままである。
    沖縄の空には今日も米軍機が飛び交っている――。

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