寺田的 世陸別視点

第20回2013.08.22

新しい局面に入ったボルトの競技人生。
タイトルを取り続けることでさらなる“レジェンド”に

寺田的 impressive word
18th AUG.ウサイン・ボルト
「オレの一番の目標は自分自身をレジェンドにすることだ。モスクワ世界陸上はそこに向かってのステップになった」


●最多タイの8個目の金メダルも記録が低調
アンカーで出場した最終日の4×100mRも37秒36で制し、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)はモスクワ世界陸上で100m、200mと合わせて3冠を達成した。世界陸上最多タイとなる8個目の金メダル獲得の快挙だった。

だが、以前のような圧倒的な強さではなかった。ボルトのタイムが、これまでの世界陸上&五輪よりも劣るのは明白である。ヨハン・ブレイク(ジャマイカ)やタイソン・ゲイ(米国)らのライバルが出場できなかったことにも助けられた。ボルトのモスクワ世界陸上をどう評価し、どう位置づけたらいいのか。

ボルトの2008年以降五輪&世界陸上成績

大会 種目・成績 備考
2008北京五輪 100m金メダル・9秒69(±0) 世界新
200m金メダル・19秒30(−0.9) 世界新
400mR金メダル・37秒10 世界新
2009ベルリン世界陸上 100m金メダル・9秒58(+0.9) 世界新
200m金メダル・19秒19(−0.3) 世界新
400mR金メダル・37秒31 大会新
2011テグ世界陸上 100mフライング失格  
200m金メダル・19秒40(+0.8)  
400mR金メダル・37秒04 世界新
2012ロンドン五輪 100m金メダル・9秒63(+1.5)  
200m金メダル・19秒32(+0.4)  
400mR金メダル・36秒84 世界新
2013モスクワ世界陸上 100金メダル・9秒77(−0.3)  
200m金メダル・19秒66(±0)  
400mR金メダル・37秒36  

TBSの解説者としてモスクワのボルトを見続けた朝原宣治さん(北京五輪4×100mR銅メダル)は次のように印象を話してくれた。
「走りの技術がどうこうよりも、爆発力がなくなりました。北京五輪やベルリン世界陸上の頃は予選や準決勝の走りを見て、決勝はどんな記録が出てしまうのか?というワクワク感がありましたが、今回のボルトはベテランのように力を使わずに通過していました」

ボルトの200mのレース後のコメントにも、ベストコンディションでないことが表れていた。
「直線に入ったときに疲れを感じたんだ。脚が少し重かった。コーチからも、そうなったらあまりプッシュするな、と言われていた」
それでも危なげない勝利を収めるのだから、ボルトが自身の強さを実証したのは紛れもない事実である。

朝原さんも「五輪翌年で少し休むシーズンと位置づけていてこの走りなら、やっぱり強いと思います。100mもあの雨の中で9秒7台のシーズンベストを出すのは、印象として残りました」と、あらためて敬意を表した。

●“アンチエイジング”がキーワードに
朝原さんは今後のボルトを見るためのキーワードに、「アンチエイジング」が挙げられるようになると言う。
ボルトは17歳のシーズン(2003年)に200mでジュニア世界記録を出し、翌年には史上最年少で19秒台をマークした。オリンピックもアテネ五輪から3大会連続で出場。実年齢では世界陸上閉幕直後に27歳となったばかりで、老け込む年齢ではない。しかしトップレベルで活躍してきた年月は長く、蓄積疲労があってもおかしくないのである。
冗談半分で「オレもトシをとったからな」という発言を、ボルト自身も今大会中に何度かしていた。

36歳まで第一線で競技を続けた朝原さんも、年齢との戦いを経験してきた。
「ライバルとの戦いという以上に自身の年齢との戦いに、競技人生がさしかかってきているのかもしれません。しかし、年齢が強調された記録で、ボルトが注目されるようにはなってほしくないですね」

2003年のパリ世界陸上100m優勝者のキム・コリンズ(セントキッツネービス)が今季、37歳で9秒97で走り、9秒台の最高齢記録として話題になった。それはそれで素晴らしいことなのだが、ボルトが演じる役目ではない。
「リオ五輪を目指すのであれば、やっぱりボルトはすごい、と思わせるような調整力を見せてほしいし、若い頃の勢いがなくても記録を出すことはできます。いつ出すんだろう、という期待を持たれ続ける選手でいてほしいですね」

モスクワでも、以下の2点で“ボルトらしさ”を見ることができた。
100mの9秒77、200mの19秒66はともにシーズンベスト。世界陸上や五輪など、そのシーズンで一番狙った試合にピークを合わせるのは、ボルトの特徴の1つである。

もう1つは大試合になるとスタートが良くなること。通常の試合ではスタートで出遅れることが多いが、世界陸上ではトップに立てなくても、序盤から好位置でレースを進める。
この2つが失われていなければ、簡単に負けることはないだろう。

●これまでとは違うレジェンド
ボルトは北京五輪以降ずっと「レジェンド(伝説)になりたい」と言い続けてきた。ロンドン五輪で、2大会連続100m&200mの2冠となることで、それは達成された。世界記録の更新も客観的には「ボルト伝説」の重要な要素だが、ボルトのコメントを丁寧に追ってみると、「レジェンド」と記録は分けて話しているようだ。

モスクワ世界陸上では、さらなる「レジェンド」を目指すと宣言した。
「オレの一番の目標は自分自身をレジェンドにすることだ。100mと200mの2種目を支配し続けて、できるかぎりの金メダルを取りたいし、リオ五輪でも100mと200mに勝つ。誰も成し遂げたことがないようなことをやってみたいんだ。モスクワ世界陸上はそこに向かってのステップになった」

もちろん、世界記録更新に対しても意欲を失っていない。7月にロンドンで受けたインタビューでは200mの18秒台について質問され、次のように答えていた。
「実を言うと、それが一番実現の可能性の高い目標だと思っている。200mは技術面が要求されるが、私はまだ安定した走りができていない。だからこそ、まだ伸びしろはあると考えられる」

パワーでなく“技術”。これも今後のボルトを見るときのキーワードになりそうだ。
ボルトはレジェンドとなっているスポーツ選手として、サッカーのペレ、ボクシングのアリ、バスケットボールのジョーダンの名前を挙げた。陸上界で尊敬しているのはボルトの前の200m世界記録保持者で、400mの現世界記録保持者でもあるマイケル・ジョンソン(米国)だ。

ジョンソンも活躍した期間が長かった。1991年の東京世界陸上200mから、2000年のシドニー五輪400mまで10年間にわたって世界タイトルを取り続けた。95年のイエテボリ世界陸上、96年のアトランタ五輪は200mと400mの2冠。そして32歳のシーズンだった1999年のセビリア世界陸上で400mの世界新をマークした。

ボルトにとっても、ジョンソンがモデルケースとなるのではないか。タイトルを取り続けていれば、どこかで世界記録を出すチャンスが巡ってくる。これまでとは違うレジェンドに向かっての第一歩が、モスクワ世界陸上だった。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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