寺田的 世陸別視点

第2回2013.07.11

10年ぶりの世界陸上。
“全盛期”とは違う練習で“完全復活”を目指す野口みずき・後編

●福士加代子との合同練習
“全盛期”とまったく同じ練習はできないが、それをカバーする何かを見つけなければいけない。その1つの方法が日本代表合宿だった。ロンドン五輪前にも女子マラソン勢は代表合宿を行ったが、同じ宿舎に泊まって同じ場所で練習はするが、公開練習日以外は同じメニューをこなすことはなかった。

今年は5月から6月にかけて約1カ月、米国ボルダーで実施されたが、同じメニューを行うこともあった。特に野口と福士加代子(ワコール)が一緒に走ることが多かった。福士は3000mと5000mの日本記録を持つスピードランナー。野口とはタイプが違うが、福士の方が野口のメニューに合わせた。ただ、設定タイムは野口の方が福士に合わせた部分もあったという。
スピード的なメニューでは福士に余裕があるが、距離的なメニューでは野口に余裕がある。
「福士さんから、『バランスが悪いときはこう走ったら良いですよ』とアドバイスをもらいました。彼女はそういうことをよく考えているんです。距離のメニューの時は『どうやったらそんなに走れるんですか』と聞かれたので、『マラソンは苦しんだ者勝ちだよ』というようなことを話しましたね」

故障をした北京五輪の教訓や、距離的なメニューが不足しても3位となった名古屋の経験が、今回のマラソン練習には生かされている。北京前のようにぎりぎりまで追い込んだ練習ではなかった。距離も1カ月で1000km程度と、“全盛期”の2割減といったところだ。
「陸連合宿だったこともあり、ちょっとスローペースから入ったりして、力を残す感じで走りました。でも、2人とも追い込みましたよ」
廣瀬監督が次のように補足した。
「ゆとりがあったというより、自分のペースでは走っていなかった、ということです。1人で走る距離走と、複数で走る距離走では違いがあって、最初の頃はリズム感をつかむのに苦労しました。でも、そうやった方がレースの中で生きてくる。スピード系は福士さんが強いので、それも良い刺激になりました。野口にとっては良い合宿になったと思います」

●奇跡は自分で起こすもの
6月25日に行われたシスメックス主催の壮行会で挨拶した野口は、「金メダリストのプライドは、故障をしている間に捨て去りました」と語った。
だが、捨て去る下地は元から持っていたように思う。以前から野口は、メダルだけを目標に走ってきた選手ではなかった。
「マラソンを走り続けることが夢」
「走るのが本当に好きで、ずっと日の丸を目指して走っていたい」
そう言い続けてきた。

メダルも日本記録も、野口にとって走り続ける途中にある節目でしかない。それが北京五輪だけは、金メダルにこだわりすぎてしまった。それが本当の目標ではなかったことに、野口自身もすぐに気づかされた。

TBSの番組の中で高橋尚子さんと対談した野口は、2008年よりも2009年の方がつらかったと話している。メダルのためだけに走ってきた選手なら、2008年が一番つらかったはずである。
「北京五輪のときは申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、休めば治るから、という希望もどこかで持てていました。半年経っても先が見えてこなかった2009年の方がつらかったですね」

脚の付け根の炎症は、完全に治ることはないと宣告された。競技を続けている間は、それと上手くつきあっていくしかない。そう覚悟を決めて練習を続けてきたが、地道なリハビリトレーニングの成果か、今年の1月にMRIによる撮影画像からケガの痕が完全に消え去った。
「あれで思い切って練習ができるようになりました。本当に奇跡だと思いましたが、奇跡は自分で起こすものだと実感できたんです。故障で悩んでいる若い選手にも、信じて頑張っていたら奇跡は起こる、と伝えたい」
野口にとっては金メダルを取ったことよりも、世間にアピールしたいことだったかもしれない。

●10年前と同じサンモリッツで最終合宿
7月3日にスイスの高地サンモリッツに出発した野口。10年前のパリ世界陸上の前もアテネ五輪の前も、日本記録を出したベルリンの前も、そして故障をした北京五輪前も合宿を行った地だ。
「嫌な思い出もありますが、良いイメージがある場所です。きっとワクワクするんじゃないかな。ボルダーでは抑えめのところもありましたが、サンモリッツではレースペースに近い距離走とか、ショートインターバルとか、ガンガンやるつもりです。モスクワのコースは平坦なので、高速レースになることも予想できます。質を上げた練習をしていきたいですね」

野口の特徴の1つに、自身の身長よりも広いストライド走法という点が挙げられる。マラソンで自身の身長より広いストライドの選手は日本では珍しい。
それが今年の名古屋では、「省エネを意識して、少し狭めて走りました」と野口は言う。2007年の東京国際女子優勝時より5cmほど狭かったというデータも出た(野口純正氏=ATFSジャパン)。名古屋では「強気の走り」ができたが、独走したり、集団の先頭をぐいぐい走った以前の野口と比べたら、そこまで積極的ではなかった。

それが5月下旬の陸連による測定では、ケガをしていた左脚で蹴るストライドも以前のように伸びるようになり、左右のバランスが良くなった。
「人の後ろで走るとリズムが狂うと思うので、前の方で積極的に走ると思います。それ以前に私たちはレースの日に合わせて練習を積んできているのですから、後ろを走っていたらもったいないと思うんです」

10年ぶりの世界陸上となるモスクワ大会。以前のように外国勢を従えて、集団の前の方をぐいぐい走る野口の姿があれば、“完全復活”のレースとなる可能性は高いと言えるだろう。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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