寺田的 世陸別視点

第10回2013.08.08

“高校生の枠組み”のなかでも世界レベルに達した桐生祥秀。
激動の100日間がモスクワでの快走を生む!?

●1週間前にモスクワモードに
8月3日。桐生祥秀(洛南高)がモスクワ世界陸上に集中し始めた。
「これでモスクワモードに入れます。しっかりと切り換えます」
開幕のちょうど1週間前。そんな直前になってからで大丈夫か?懸念するのはもっともだが、高校生選手にとってはその方がいい。それ以外の方法はない、と言った方がいいかもしれない。

この日まで大分で全国高校総体(インターハイ)が行われ、桐生は100m(大会新)、200m(大会新)、4×100 mRの3種目に優勝。洛南高の総合2連勝に大車輪の活躍を見せた。4日間で9本を走り、最後の200m決勝のゴール前ではバランスを崩して関係者をヒヤっとさせた。疲労のため脚の回転がスピードに追いつかなかったという。

「脚がパンパンになって爆発しそうでした」
そんな状態でも桐生は、最終日(5日目)の4×400 mRも走るつもりでいた。4日目の予選を洛南高チームが突破できず出場機会はなくなったが、どうしてそこまでしてインターハイを走ろうとするのか。
「インターハイは高校生にとって最高の大会です」と桐生。「1年生から上手く走れたことがなかった大会。今回は勝つことだけを考えていました。チームのために3冠を達成でき、絶対に思い出に残ると思います」

これは“高校生の枠組み”の中で競技をしている、ということを意味している。昨年10秒19のジュニア日本新で走りモスクワ世界陸上のB標準を突破したが、インターハイと時期が近いため出場はほとんど考えていなかった。モスクワが視野に入ってきたのは今年4月29日の織田記念で10秒01を出してから。わずか3カ月しか経っていない。

同級生の山川夏輝(走幅跳4位、三段跳5位)は、桐生のインターハイに懸ける思いをすぐそばで見てきた。
「大会前に色々と話をしましたが、(桐生レベルでも)やっぱり不安があると言っていました。インターハイはそのくらい、懸けている大会なんです。3つ勝てて本当に良かった、と言っていました」

世界陸上に身体的なコンディションを合わせるのは難しくなるが、仮にインターハイをパスして世界陸上に出場したとしたら、桐生は後ろ髪を引かれる思いでモスクワに臨んでいただろう。
「インターハイは本数を走っても勝つことができ、タイムも(合格点レベルを)出すことができました。モスクワまでにさらに修正していって、1本に集中してしっかりと走れるようにします」

●バーミンガムの失敗
桐生は初の海外試合となったダイヤモンドリーグ・バーミンガム大会(6月30日)で10秒55(-0.4)。予選8位とまったく力を出せなかった。“高校生の枠組み”で競技をしている以上、国内の大会が中心になる。それに対して海外試合では、肌の色が違う人間や、アルファベットを多く目にしただけでもアウェイの心理状態になる。

ましてや、周りは世界のトップ選手ばかりという状況ではプレッシャーが格段に大きい。相手が同年代のジュニア選手なら、話は違っただろう。初遠征が世界ジュニアや世界ユースだったら、山縣亮太(慶大)や飯塚翔太(中大)のようにメダルを獲得した可能性が高い(コラム第5回参照)。

バーミンガムの結果で「桐生もこれまでの高校生と変わらない」という意見も出てきたが、決定的な違いは「ダイヤモンドリーグの場にいること」(土江寛裕陸連男子短距離副部長)だ。ゴールデンリーグやグランプリという名称だった頃に朝原宣治(ベスト記録は10秒02)、伊東浩司(10秒00=日本記録)、末續慎吾(10秒03)らが走っている。日本スプリント史のビッグスリーと称される3人だが、ダイヤモンドリーグとなった2010年以降、男子100mに出場した日本選手は桐生が2人目だった。

8月4日にモスクワ世界陸上のエントリーリストも発表されたが、桐生の10秒01はシーズンベストで11番目というポジション。これまでも高校生の代表は何人かいたが、ここまで高いレベルで出場した高校生選手は過去にいなかった。“高校生の枠組み”で強くなったが、そのレベルからはるか彼方に抜け出したのが桐生祥秀という選手なのだ。
では、どうしてそこまで力を伸ばすことができたのか。そこが桐生の謎でもあるのだが…。

●意識の高さと“感覚”の鋭さ
桐生の強さが現れている部分をざっと列挙してみる。
(1)スタートからすぐにトップスピードに到達できる(特に織田記念)
(2)トップスピードが秒速11.65m、時速41.9kmでビッグスリーと同等(過去の正確なデータがないが、わずかながら速い可能性も)
(3)トップスピードを維持できる距離が長い
レース展開的に見ると上記のような特徴があるが、動きとしては下記のような長所が挙げられる。
(4)脚の回転が速い
(5)体の軸が安定して地面からの反発を推進力に変えられる
だが、他の日本選手が20歳台半ばで到達したレベルに、桐生が17歳の段階で達した理由については「よくわからない」と何人もの指導者が話す。

洛南高の練習メニューが桐生に合っていたのは間違いない。特にミニハードルを使ったメニューで桐生の動きは素晴らしく、軸がぶれないフォームを身につけた。だが、練習メニューだけに10秒01に達した理由を求めるのは無理がある。桐生以外の選手は高校生レベルなのだから。

安易に断定できることではなので、ここでは2つの要素を指摘するにとどめたい。1つは洛南高が強豪高のなかでも、選手の主体性が強いチームであること。もう1つは桐生の“感覚”が鋭いことだ。

男子20km競歩のメダル候補、鈴木雄介のコラムで指摘したように、強豪チームに身を置いただけでは、抜きん出た存在になることはできない。与えられた環境や練習メニューを、どこまで自分のものとできるかが成長の度合いを左右する。

洛南高はインターハイ総合優勝が今年で4回目。110 m障害や三段跳、八種競技などで高校記録に迫る選手を何人も輩出している。今年、三段跳でインターハイ4位に入賞した犬井亮介は、練習の雰囲気について次のように話していた。
「短距離は桐生を中心に、跳躍は自分と山川たちが練習から切磋琢磨していますが、ぴりぴりした雰囲気はありません。陸上競技を楽しくやりたい、そのなかで1人1人が強くなろうという意識で取り組んでいる。楽しく、真剣にやれるから集中できるのだと思います。グラウンドは直線で80mしか走れませんが、それがマイナスとは思いません」

その雰囲気だからこそ、桐生の“感覚”が生かされる。今年の冬期練習ではミニハードルを設置する間隔を後半で広くして行った。後半の走りをイメージした桐生が、その方が腰の乗り込みが上手くできる感覚があり、スタッフと相談して変更したのだ。

織田記念のレース後に桐生がレース中の感覚を話すのを聞いて、朝原宣治さんが「高校生でここまで言葉にできるとは」と驚いていた。また、力を出せなかったバーミンガムのレース後に、緊張したのか?と質問された桐生は「緊張とは違う何かがありました」と答えている。感覚の鋭さは高校生離れしている。
「10秒2台までは洛南高が蓄積してきたノウハウで成長できたといえるかもしれませんが、その先は桐生の感性が大きかった」(洛南高スタッフ)
10秒01まで成長した一番の理由を特定することはできないが、こういった背景が桐生にはあった。

●日常生活でも世界を意識
高校生の枠組みで活動してきた選手にとって、世界陸上は予定外の大会になる。その点が日本代表を目指してきた選手たちと違うところだが、「代表である以上は、山縣と同じくらいに期待している」(土江副部長)と、特別扱いはしない。
桐生自身、代表ユニフォームを着て活躍することが「陸上競技を始めた頃からの憧れだった」と目を輝かせる。インターハイを目指していた時期も、世界陸上のことは心の片隅で意識していたようだ。

チームメイトの山川が話していたエピソードから、その一端がわかる。
「桐生はドーピングのことまで意識をして生活しています。食べるものはもちろん、目薬や湿布薬まで成分を確認しているんです。代表選手は日常生活でも、高校生とは違った厳しさが求められる。上の世界に行ったんだな、と感じました」

前述のように初の国際試合が世界ジュニアなどだったら、確実に結果を残せただろう。バーミンガムで世界のトップ選手に圧倒されたのは、想定された結果でもある。だが、桐生はそうは受け取らなかった。
「この結果で納得してしまったら戦えません」
レース後に毅然とした表情で話したのが印象的だった。

世界陸上男子100 m予選が行われるのは8月10日。桐生が10秒01を出した4月29日の織田記念から、約100日(正確には103日)しか経過していない。
昨年夏のインターハイ総合優勝や秋の高校記録更新も、桐生の人生にとって大きな出来事だった。競技観、人生観が変わったかもしれない。だが、自身を取り巻く環境の変化は、17年8カ月の人生でこの100日間が一番大きかった。

“高校生の枠組み”で競技に取り組みながら、高校生ではとうてい不可能と思われたレベルの記録を出した桐生祥秀。常識を覆してきた高校生にとってこの100日間は、さらなる成長を遂げるための準備期間としては十分な日数だったかもしれない。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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