帰ってきた!お江戸マメ知識

まるで本当に見てきたかのように「江戸のアレコレ」を語ってくれる、時代考証の山田順子先生による人気コーナーが復活!毎週気になるシーンについて解説していただきます。

第9回

当時時、『歯医者さん』はいらしたのでしょうか?
江戸時代の人たちは、虫歯になってもみんな、痛みを我慢していたのでしょうか?
ドラマでは内科治療のみを扱っているので、気になって質問してみました。

江戸時代までの町医者は、専門があってないようなもの。なにせ人数が少ないので、担ぎ込まれた患者をすべて診るのが普通だったから。つまり、本道(漢方)の医者もケガや火傷を治療していたし、蘭方医も内科の患者を診ていたのよ。でも、どうしてもそれぞれ得意不得意があるでしょう?それで、薬の処方が得意な本道は内科、ケガの治療が得意な蘭方は外科という棲み分けをしていたのね。
その中で、歯の治療をする「口中医」は特別な存在だったの。室町時代に始めて歯が専門の医者というのが出現したんだけれど、彼はもともと本道出身の医者でね。歯の治療するのが上手だったことから、「口中医」として一派を確立したの。とはいえ、“歯の治療”といっても、虫歯で抜くし、歯槽膿漏でぐらぐらする歯も抜く、口の中に腫れ物ができたら切って膿を出すなど、非常に荒っぽいものだったそうよ。あとは患部に塗り薬か、飲み薬程度で、歯本体の治療はほとんどできなかったみたい。
ちなみに、江戸時代には「口中医」以外にも「入歯師」という看板を上げる人が出てくるんだけれど、この人たちは歯の治療をせず、入歯を作る専門なの。ただし、虫歯やぐらぐらする歯を抜く必要のあるときは、この「入歯師」が抜歯もしてくれたんだって。現代流にいえば、「口中医」が歯科医で、「入歯師」が技工士という感じね。

↑ページトップへ戻る

第4話で、『江戸の正月風景』が映り、しめ縄と家を取り巻く結界のような縄、立てた笹、門松、室内には甲冑と餅飾りが見えました。当時のお正月の風習について、詳しく知りたいです。【1】当時の正月飾りを詳しく知りたいです。【2】甲冑を飾るのは正月だけですか?正月以外でも飾っていたのですか?【3】おせち料理はあったのですか?【4】正月のあいさつ回りは行事についても知りたいです。【5】まさか年賀状のやりとりはなかったと思いますが、どうでしょうか?

ほんの一瞬の映像だったにも関わらず、よく見ていましたね(笑)。このドラマには、ストーリに直接関わるものから、単に時間経過を表すものまで、いろいろな季節が登場するから、できる限り“季節感のある映像”を作ろうと心がけているんだけれど…今回ご質問の正月は、第4話に登場した『慶応二年の正月』の設定ね。仁先生の「こうして、俺は江戸で4度目の正月を迎えることになった」というナレーションに合わせて、どんなものを飾ろうかと考えて、正月飾りや風習は地方ごとに違うけれど、今回は分かる限り“江戸風”に飾ってみたの。
門松は、葉付きの竹1本と、足元に根付きの若松を立てる方式と、竹筒を三本組まして立てる方式のものを用意したわ。あとは、軒先に細縄の注連縄を廻し、門口に輪締め(輪飾り)の注連縄をかけた店なんかもあったわね。ちなみに、これはあくまで商店規模の飾りで、長屋ではここまで飾ることはないのだけど…。武家では、正月に家伝来の甲冑を飾り、それに鏡餅を備える風習があって、これを「具足餅」と言ったのよ。
お節料理は、現代ほど豪華ではなかったけれど…やっぱり家それぞれの伝統というものが存在したわね。それと、現代ではあまりやらなくなったことだけれど、正月元旦は年始回りをする人が多くて、通りが混雑するほどだったの。武家や大店では、何十人と挨拶の人がくるけれど、その家の主人も年始回りに出ていて留守のことが多くてね。その場合には、「来ました」という証拠に“自分の名前の書いた紙”を置いて帰ることが多かったらしいんだけど、実はそれが現代に引き継がれる『名刺』のルーツといわれているのよ。

↑ページトップへ戻る

武士の帯刀についてお伺いしたいです。なにか特別な決まりごとというのはあったのでしょうか?2本差しと脇差の室内での扱い方や、身分の上下による扱いの違いなど、また悪天候時の外出でも刀を差していたのでしょうか?手入れはどうしていたのですか?武家屋敷で敷地に砂があり、刀を差して手入れしていたと聞いたことがあるのですが、本当でしょうか?

このドラマでも、刀は度々登場するわよね。ある時は腰に差し、あるときは座敷の刀賭けに飾り、あるときは座った横に置き…そして今回は、恭太郎が刀の手入れをするシーンも描かれていたけれど、『刀は武士の魂』だから、武士役の人には全員何らかの形で持ってもらっているのよ。
そこで、刀の扱い方を知りたいとのことだけれど…まず室内では、主人の場合は脇差(短刀)を差して、長刀は刀賭けに置きます。訪問客は玄関を入るときに腰から抜いて、右手に持ち、室内に座るときには自分の右側に置きます。これは、いざ刀を抜こうとしても、鞘を左手に持ち直さないと抜けないので、すぐに抜けず、切る意思のないことを主人にアピールしているのね。そして、外出するときは、日帰り程度ならそのまま差しますが、旅や天気の悪い日などは柄に柄袋[つかぶくろ]を被せて、汚れたり濡れたりするのを防いでいたの(恭太郎が旅をするシーンには、刀に柄袋をかけています)。
地方には、武家屋敷の玄関前に砂山を築き、出かける前にその砂山に刀を突っ込んでから行くという風習があるところもあるようだけれど、これは決闘や出陣などで“相手を必ず殺す”目的を持っている場合に行うことなの。刀の刃は手入れが良いと、切り口がとてもきれいで、縫合などの治療がやり易く、傷口がふさがり易いのね。それをわざと砂山で刃こぼれをつけて切ると、傷口が汚くなってふさがり難くなるでしょう?まあ、武士の必殺技の一つといったところね。

↑ページトップへ戻る

山田先生への質問は締め切りました。たくさんのご応募をいただき、ありがとうございました!