帰ってきた!お江戸マメ知識

まるで本当に見てきたかのように「江戸のアレコレ」を語ってくれる、時代考証の山田順子先生による人気コーナーが復活!毎週気になるシーンについて解説していただきます。

第4回

「菊の御紋」と「葵の御紋」の入った櫛を手にしている咲と、同じく御紋の入った刀を手にしている仁

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『紋』っていうのは、簡単にいってしまうと「会社」とか「家」のマークみたいなものよね。紋自体は、着物の柄に入れたり、合戦をするようになると「旗印」とか「武具」に入れたり…といった用途で、ちょうど平安時代末期から使われるようになったんだけど、“菊の御紋”というのは天皇家のもので、“葵の御紋”というのは将軍家を示すものなの。
そうそう、今回いろいろと和宮の遺品を調べていたら、彼女の嫁入り道具や持ち物にはすべて、“十六弁の菊に葉っぱのついた御紋”がついているということがわかってね。つまり、これが和宮のお印であり、彼女だけが使う御紋なのよ。和宮のように、天皇家の血筋を引いている人とはいっても、勝手に天皇と同じ“十六弁の菊の御紋”を使うのは恐れ多いことなの。だから、宮家(日本の皇室で代々皇族の身分の保持を許された一家のこと)も、微妙にデザインを変えたものを使用するわけ。きっと和宮も、成人して“親子内親王”という称号をもらった段階で、彼女だけの御紋をもらったのでしょうね。
将軍家とて同じことで、『御三家(徳川氏のうち、将軍家に次ぐ地位を持つ次の3家のこと)』とはいえども、将軍とまったく同じ御紋を使うことは許されないの。だから、囲み線が太かったり、あしらいの葉っぱが多かったり…同じ“葵の御紋”でも、微妙にデザインが違っているのよ。

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多紀「南方殿、この手術には徳川家260年の由緒あるお血筋の存亡がかかっておるのじゃ」

(写真)

多紀先生が、恵姫のことを「東照大権現様につながるご家門の御家柄、川越松平家のご先代のご息女であらせられる」と説明していたけれど、彼女がいったいどんな身分の女性なのか、視聴者のみなさんもご理解いただけたかしら?
そもそも『東照大権現』とは、江戸幕府を築いた『徳川家康』のことで、死後に家康が朝廷から賜った名前。つまり、恵姫様は、徳川家にとっては“神様のような存在”である、徳川家康の血を継ぐ高貴な身分の女性なの。正確にいうと、彼女は家康の次男坊・秀康の子孫にあたる人物なんだけど、そんな徳川家一門の中では大切な血筋を引く恵姫に御子ができないと、代々続いている血が途絶えてしまうということで、ご本人や親族たちは頭を悩ませていたの。恵姫の夫は婿養子だったから、いくら彼が側室と子供をもうけても、徳川家の血筋を守ることにはならないでしょう?
ちなみに、恵姫は実在の人なんだけれど、こぶがあったというのは史実にないお話。だけど、残念なことに、彼女が生涯“子宝”に恵まれず、この血筋が途絶えてしまったというのは、本当のお話なのよ。

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「け、汚らわしい!」
「血を混ぜるなど!おぞましい!」

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日本人というのは、昔から血に対して「特別な感情」を持っている人種なんだと思うの。『血判(誠意を強く表すため、署名等の上に自分の指を切って血を押すこと)』というものが存在するぐらい、我々は昔から『血』というものに“個人のアイデンティティ”を見出していて、「すごく価値のある尊いものだ」という認識を持っているんだと思うのね。だって、大事な約束事をするときに、書類へ自分の血をたらして、それを印にする国なんて…海外ではあまり聞いたことがないもの。
昔の人には科学的なことはわからなかったはずだから、身体から血を抜くと貧血で倒れちゃうとか、出血多量で死んじゃうとか…そういう発想はなかったと思うけれど、神聖なものである血を“体内から抜く”と言われたら、なんだか「魂を抜かれてしまうんじゃないか」みたいに感じて、恐ろしかったんじゃないかしら。だから、他の人のものと混ぜるなんてもってのほか!恵姫様の親族は、血を抜かれるということに恐怖を覚えただろうし、恵姫さまは自分の身体に不浄のものが入ってくるような、そういうおぞましさを感じたんだと思うわ。
今は、「A」とか「B」とか『血液型』で割り切って輸血をしたりするけれど、血液型の概念は明治以降のものだし、“同じ血を分けた兄弟”という言い方をするぐらいだから、当時は血縁関係が近い人の血であればあるほど尊くて、貴重なものだと考えていたんじゃないかしら。

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山田先生への質問は締め切りました。たくさんのご応募をいただき、ありがとうございました!