帰ってきた!お江戸マメ知識

まるで本当に見てきたかのように「江戸のアレコレ」を語ってくれる、時代考証の山田順子先生による人気コーナーが復活!毎週気になるシーンについて解説していただきます。

第7回

栄「(うれしそうに)奥詰歩兵頭というのは、初めて耳にするお役ですね。何をするのですか?」

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『奥詰歩兵頭(おくづめほへいがしら)』というお役目の名前が登場したけれど…あれは、恭太郎が栄さんについた「ウソ」だったってこと、みなさんは見抜けたかしら。確かに恭太郎くんは上役から“新しいお役目”を任命されたけれど、それは「坂本龍馬の動向を探る」ことだったから、彼はお母さんに対して正直に言うことができなかったのね。それで、恭太郎は『奥詰歩兵頭』という架空の役職をでっちあげて、とりあえず母上を納得させたというのが、あのシーンの持つ意味合いだったんだけれど…そもそも、幕末というのは「新たなお役目」がどんどんと生まれていった時代でね。わかりやすい例を挙げるとするのなら、『軍艦御奉行』とか『海軍御奉行』とか…。江戸の中期まではこんなお役目は存在していなかったんだけれど、黒船がやってきて、急遽「日本も軍艦を持たねばならん」とか「西洋のように海軍を編成せねばならん」とかいうことになって、『軍艦』や『海軍』なんていう名前のついたお役目が生まれたりしたの。そうして『海軍』ができれば、必然的に『陸軍』もできたりと、時代の流れとともに「今まであったお役目の名前が変化」したり、「新しい編成になった」り、「お役目の数が増えた」りした時期だったのよ。
それで、なぜ恭太郎が『奥詰歩兵頭』と偽ったのかというと…実は、この名前は『奥詰』という役職と『歩兵』という役職、そしてリーダーを表す『頭』という文字を組み合わせた造語なんだけれど、それぞれの役職の意味を説明すると、『奥詰』とは幕末になって復活した「将軍の身辺の護衛をする」という、旗本にとっては一種のステータスなお役目のことね。そして、『歩兵』というのは「歩く侍」のこと。それらを合わせて“将軍の側に仕える侍”というイメージの役職を、恭太郎がでっち上げたということになるんだけれど、もしここで「実在する役職」を答えてしまうと、恭太郎には都合の悪いことがあったの。それはなぜかというと、栄様が旗本の奥様であるために、昔ながらの幕府の役職に詳しかったと思われるから。現代で例えるとするのなら、そうねぇ…社宅に住んでいる社員の奥様は、会社組織や役職について、ある程度の程度の知識を有しているものでしょう!?社長は誰、専務は誰、夫の上司は誰…って、その人の噂も含めてね(笑)。それと同じことで、武家に嫁いだ栄様も、江戸幕府に約260年にわたって存在するお役職はすべて暗記していたんじゃないかと思うのよ。だから、昔からあるような「実在の役職」を答えてしまうと、「え?そのお役目についたのに、なんで毎日お城に行かないの?」とか「京都へ行くなんておかしいわね」と変に勘繰られかねないでしょう(笑)?
それからもうひとつ補足しておくと、当時は石高によって「なれるお役目」というものが決まっていたから、これも恭太郎は気にしていたはず。橘家は150石だから、うっかりそれ以外の役職を持ってきたら、これもまたおかしいと疑われる原因になりかねないでしょ。でも、説明したように、時代も時代だったから「新しく出来たお役目らしく、よくわからないのですが、大事な仕事を仰せつかりました」ということで栄様を煙に巻いて、どうにかこうにか誤魔化せたってとこじゃないかしら。

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一角で咲に足を洗ってもらっている仁。奥で微笑ましく見ている佐分利と山田。

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思えば、この続編での仁先生は、いつも旅ばかりしているわよね。第1話では、佐久間象山の治療のために京都を訪れたり、恵姫さまの一件では、川越まで“汗ダク”になりながら歩いたりね(苦笑)。
そこで今回は、『旅の習慣』についてお話しようと思うんだけれど、まずは旅に出る際の「持ち物」について。仁先生のご一行は、薬や医術道具を携えての移動になるから、いつもどうしても大荷物になってしまうけど、一般庶民が旅をする場合に持っていくものといえば…最低限の着替えや下着、それにせいぜい寝る時用の浴衣ぐらいのものじゃないかしら。あとは、それぞれ仕事に必要なもの。例えば、商売人だったら“そろばん”とかね。だけど、「荷持が多い」ということは、それだけ重くなって自分の負担になるわけだから、“なるべく荷持を減らそう”というのが普通の考え方よね。まぁ、お武家さまの場合だと家来がいたりして、もう少し荷持の量を増やすことができるのかもしれないけれど…。それに、これが『大名行列』レベルの旅になるとまた別の話で、食料や食器、風呂桶といった生活用品をすべて積んで旅することもあるんだけどね(笑)。でも、庶民の場合は、本当に必要最低限度のものだけで出かけるから、旅のときにはみんな “着た切り雀(すずめ)”状態なのよ。ずっと同じ着物なのが当たり前。もともと今みたいに、毎日着替えて洗濯をして…なんて暮らしをしていないから、たとえ旅に出て2週間同じ着物・下着で過ごしていても、全然平気なのよ。
次に、今回「足を洗う」という描写が登場したから、この点についても補足しておこうと思うんだけれど、これは概して時代劇では省略されがちなシーン。だから、みなさんもきっとあまり目にしたことがなくて、新鮮に感じたんじゃないかしら。でも本来ならば、江戸時代の日常生活において、当たり前に行われていることなのよ。昔は、『道』だってアスファルトで舗装されているわけでもないし、陸地を移動するときにはみんな、ただひたすら土埃(つちぼこり)の舞う道を“裸足”や“足袋”で歩くじゃない。旅や作業をするときには、『脚半(きゃはん。足をガード[草や虫よけ、埃よけ等]して、冬であれば防寒の目的も兼ねる)を脛(すね)の部分に巻くから(ちょうどハイソックスを履くような感じね)、足袋と脚半をセットで着用していれば、ある程度は足が汚れるのを防ぐことができるんだけれど、これが素足だったり長旅の場合は、どうしてもドロドロになってしまうわよね。その汚れた足のまま旅館の床や畳の上を歩いた日には、大迷惑もいいところ!だから、まず「玄関先で足を洗う」というのが、旅館でいえば「サービス」であり、自宅でいえば「奥様に怒られないためのマナー」なの(笑)。
だいたい旅館では、女中(もしくは番頭や下足番)が桶と水を用意して、お客が来るとすぐに洗ってあげられるように準備をしているものなんだけれど、自宅ではというと“独り身”だったら自分で洗うし、奥様や家族がいる人だったら、その身内の者が「無事にお帰りなさいませ」の気持ちをこめて洗ってあげるというのが普通だったの。『仁友堂』には女中もいないし、咲ちゃん以外は全員お医者様だから、彼女が気を回してその役を買って出たんじゃないかしら。現代人の仁先生にとっては慣れなくて、とってもソワソワしちゃう行為みたいだけれどね(笑)。

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咲「野風さんの身に何か?」仁「ば、幕府からの許可がおりたそうで。ルロンさんと正式に結婚するそうです!」

(写真)

正確にいえば、これまでにも幕府が認めていないだけで、事実上「国際結婚をした」というケースはあったんだけれど(例えばシーボルトのように)、我々は“架空の人物”である野風を1867年(慶応3年)に結婚した「幕府が正式に認めた国際結婚第一号」というふうに捉えて演出してみたの。この年に「幕府が国際結婚を書類上で認めた」根拠はというと…4月下旬に、イギリスの領事館から幕府に対して「国際結婚を認めてほしい」というお願いが出されていて、「いいですよ」という返事をもらったということが、イギリス領事の日記に記されているから。これが“どんな組み合わせのカップルだったのか”というような細かいところまではわからないんだけれど、幕府も一旦イギリスに「いいよ」と認めてしまったら、他の国にも認めざるをえないでしょう?ということで、「野風の結婚式の日取り」を1867年の6月ということに想定してみたってわけ。
ちなみに、これもいろんな憶測(ルロンがフランス人=カトリック信者である可能性が高いこと等)から、野風の結婚式を『横浜天主堂』で行うという設定にしたんだけれど、当時はまだ日本人のキリスト教への信仰が認められていない時代だったから、天主堂の建物内に日本人が立ち入ることは固く禁じられていたのね。だから、結婚式に招待された参列者とはいっても、仁先生や咲は“見物人のひとり”としてしか祝うことしか許されなかったはず(つまり建物内に入るということは、キリスト教徒である・もしくはキリストを崇めるという意味に意図せずともなってしまう)で、そういった理由から、あのように参列者が主役2人を「屋外で待っている」というシチュエーションにしてみたのよ。
えっ?「野風は建物に立ち入ってもいいのか」って!?…きっと彼女の場合は、ルロンさんと結婚した時点でフランス国籍となって、カトリック信者に改宗したんでしょうね。だから、幕府も「外国人同士のやることだから、どうぞご勝手に!」ということで、問題はなかったんじゃないかしら。

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山田先生への質問は締め切りました。たくさんのご応募をいただき、ありがとうございました!