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2022年3月13日放送「16~17世紀のヴェネツィアの防衛施設群」

ヴェネツィアが築いた6つの城塞都市

かつて交易によって巨万の富を築き、1000年の栄華を誇ったヴェネツィア共和国。その共和国が16世紀から17世紀にかけてつくり上げた6つの要塞が、今回の世界遺産です。番組を担当した田口ディレクターに話を聞きました。

堅固な要塞で覇権を握ったヴェネツィア

敵の脅威に対抗すべく、ヴェネツィアは交易ルートや領地に、堅牢な城壁を持つ都市を築き上げていきました。

──今回の「16~17世紀の世紀のヴェネツィアの防衛施設群」とは、どんな世界遺産なのでしょうか?

田口ディレクター(以下、田口):「ヴェネツィア」と聞くと多くの人はイタリア北部にある“水の都”を思い浮かべると思います。しかし、ヴェネツィア自体も世界遺産なのですが、今回の世界遺産には現在のヴェネツィアは含まれておらず、かつてヴェネツィアを首都として繁栄した国家「ヴェネツィア共和国」を守るため、16世紀から17世紀にかけて築かれた要塞が世界遺産「ヴェネツィアの防衛施設群」なのです。

──現在のヴェネツィアとは違う場所ということですが、どこにあるのでしょうか?

田口:イタリア北西部からバルカン半島まで、かつてヴェネツィア共和国の領土だった場所から6カ所が登録されており、現在のイタリア、クロアチア、モンテネグロの3カ国にまたがっています。

交易ルートや領土を守るためにヴェネツィア共和国が16世紀から17世紀にかけて築いた6つの要塞が、世界遺産「ヴェネツィアの防衛施設群」です。

──当時ヴェネツィア共和国はどんな敵から何を守っていたのでしょうか?

田口:オスマン帝国やハプスブルク帝国、フランスなどから交易ルートや領土を守っていました。6つの防衛施設のうち、3つがアドリア海沿岸にある海の要塞、3つがイタリア本土にある陸の要塞です。番組ではすべての要塞をご紹介しますが、前半はまず海の要塞である、クロアチアのザダル、同じくクロアチアのシベニクにある聖ニコラス要塞、モンテネグロのコトルの3つをお見せします。

──それらはどのような要塞なのでしょうか?

田口:アドリア海のクロアチア沿岸部は地形が複雑で、ヴェネツィア共和国はそれを防衛に利用しました。ザダルもそうした防衛しやすい地形である半島に築かれた街です。もともとヴェネツィアの支配下にあった街なのですが、オスマン帝国の脅威に対抗して街全体を防衛都市に作り替えたのです。

防衛に適した地形の半島にあるザダル。ヴェネツィアはその周囲に堅牢な城壁を築きました。

──防衛都市とは物々しい響きです。どのように街を作り替えたのでしょうか?

田口:ヴェネツィアは街の周りに城壁を築き上げました。その城壁の一部がいまも残っています。高さは約10m、非常に分厚い壁です。ヴェネツィア共和国の時代、街へ入る門は数カ所のみでした。その最大の門が現存していて、ヴェネツィアのシンボルである翼を持つライオンが刻まれています。城壁内側には当時3万人が暮らしていたそうで、ヴェネツィアでも見られる赤い屋根の建物が立ち並んでいます。多くが交易商人の家でした。行政官が暮らした建物や税関跡など、ここが重要な拠点だったことを現在も感じられる映像をお届けします。

アドリア海全体の交易を管轄する拠点だったザダル。その城門には、ヴェネツィアを象徴する翼を持つ獅子が刻まれています。

──そのほかの海の要塞について教えてください。

田口:聖ニコラス要塞は、三角の特徴的な形の城壁を持つ要塞です。交易の拠点であった港町シベニクへ船で近づく唯一の水路を防衛していました。もう一つのコトルは別の世界遺産にも登録されている都市ですが、その一部が「ヴェネツィアの防衛施設群」にも登録されています。ここの要塞の陸側にはほぼ垂直の断崖がそびえていて、海側にはやはり城壁が築かれています。崖と海を利用した城塞都市だったのです。番組では聖ニコラス要塞やコトルの城壁などを、ドローンを駆使して撮影した映像でお見せします。

コトルの城塞や聖ニコラス要塞もヴェネツィアの海洋交易ルートを守るために築かれたのです。

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