特集

2021年5月16日「特集『日光の社寺』|TBSテレビ:世界遺産」

東照宮に込められた家光の家康への尊敬

東照宮を築いた徳川家光は、場所や建物の作り、装飾などにさまざまな意図を込めました。

──日光が古くから聖地であったことがわかってきました。その地を選んで東照宮が建てられたということでしょうか?

杉井:現在の東照宮を築いた三代将軍の徳川家光は、日光連山の信仰を巧みに取り入れたと言われています。中禅寺湖の水が華厳の滝となった先の大谷川と、日光のもう1つの霊峰と言われている女峰山から流れ出る稲荷川、この2つの川が合流する場所に東照宮が建てられています。番組ではドローンの空撮映像で、地形学的になぜ日光東照宮が聖なる場所となったのを、わかりやすくお見せします。

東照宮が建てられているのは、中禅寺湖から流れる大谷川と、女峰山から流れ出る稲荷川が合流する場所です。

──日光に建てられた東照宮とは、徳川家の権威を守る存在なのですね。

杉井:はい。ご存じの通り東照宮は徳川家康を祀った神社で、家康のお墓が最も奥にあります。表門から、少しずつ登っていくような形になっています。表門を入るとすぐにあるのが、有名な「見ざる言わざる聞かざる」の三猿です。その三猿を過ぎると姿を現すのが陽明門になります。江戸時代、一般庶民は陽明門までしか入れませんでした。陽明門の先にあるのが、御本社という、かつて将軍や大名が祈りを捧げていた場です。そこから「眠り猫」の門をくぐって、さらに階段で207段登った奥社というところに、家康のお墓の塔が立っています。この奥社は、江戸時代は将軍しか入れなかった神聖な場所でした。

──それが今では誰でも参拝できるのですね。家康のお墓はどんな場所なのでしょうか?

杉井:杉の木立の中に家康のお墓の塔があるのですが、そこだけ隔離されているような印象を受けました。陽明門や御本社の付近は明るく豪華絢爛な世界なのですが、そこから眠り猫の先に行くと、木々や土、石といった自然の物が増えていき、最後に家康が眠る塔があります。本当に厳かという言葉が一番ふさわしいと思う場所です。

東照宮の陽明門とその先にある御本社。さらに奥の家康の墓所には、かつては将軍しか入れませんでした。

──東照宮の豪奢なイメージに対して、家康の墓所は彩が少なく厳粛な雰囲気というのは少し意外です。

杉井:日光東照宮を豪華絢爛な形にしたのは、徳川家光です。家光がどういう思いで東照宮を作ったのかということを番組で取り上げています。

──それはどんな思いなのでしょうか?

杉井:家光は、徳川家康のことを非常に崇拝していたようです。家光とその弟で世継ぎ争いが起こった際に家康が家光を世継ぎに指名したという話があり、家光自身は家康に対して尊敬を超え、崇拝していたそうです。家康の死後、家光は夢に家康が出るとその姿を幕府御用絵師の狩野探幽に伝えて描かせていました。それらの絵は「霊夢像」と呼ばれています。番組では、輪王寺の宝物殿にある、あまり外に出されたことがないという霊夢像をお見せします。

──どんな家康が描かれているのでしょうか?

杉井:その霊夢像の家康は、寝間着でリラックスしたような姿勢で、よく見ると無精髭が生えていたりします。よくある家康像は将軍らしくどっしり構えた絵が多いのですが、そのイメージとは異なり、少し意外な感じがします。家光は、こうした霊夢像を何点も描かせてお祈りをしていたということです。

寝間着でリラックスした徳川家康の姿が描かれた霊夢像。

──家光が家康を本当に崇拝していたことが伝わってきます。

杉井:ほかにも家光の家康に対する思いが伝わる映像を番組ではお届けします。それは、家光の祀られている大猷院本殿の正面方向の映像です。その向きは寺院としては少し特殊で、北東を向いています。神社やお寺はその向きにはあまり建てられません。実際にドローンで大猷院の正面の先を撮影してみたところ、家康のお墓のある山が見えてきました。大猷院の住職のお話では、家光は死後も家康にお仕えするという意味で、大猷院を家康のお墓へ向けて建てさせたのではないかということです。

徳川家光の祀られている輪王寺大猷院。正面の方向には家康の墓がある山があります。

──寺院の向きにそんな意図が込められているとは興味深いです。最後に視聴者の皆さんへメッセージをお願いします。

杉井:番組では、日光東照宮の豪華絢爛さはもちろん、1200年も前から聖地として栄えていた日光の歴史の深さも感じていただければと思います。また9カ月間に渡って、日光の四季というものをたっぷり撮影しましたので、その選りすぐりの絶景も楽しんでください。

豪華絢爛な建築物や工芸作品から、季節ごとの日光の美しい自然までお楽しみください!

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