邂逅前夜

邂逅前夜

龍馬の場合
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静かな緊張感が漂うとある夜――。
京の南にある旅籠屋、寺田屋に坂本はいた。
坂本は文机に向かい、喜びを露わにする。

「これは良い案を思いついた!」

思い描くのは、藩が抱える欠点をいがみ合う藩同士で助け合うという策。
それが難しいことは承知だが、誰も思いつかないだろう策だからこそ、自分がやる意味があるのだと感じた。
ただの思いつきで終わらせないよう、坂本は起こりうる出来事や両者の動きを羅列する。
思惑も含めて紙の上に書けば書くほど、気分が高揚し、それが上手くいく気がした。

「はあ……まっこと良い案を思いついた!」
「何度同じことを言うんだ」

鬱陶しそうな声が背後からする。
それは護衛として坂本が雇う、岡田の声だった。

「で、用はなんだ? 俺に頼みがあって部屋にこさせたんじゃないのか」

岡田は坂本の護衛だが、他の仕事も引き受けている。
そのほとんどは岡田の過去の実績を買った、血なまぐさい依頼らしかったが、岡田は気にせず引き受けているようだった。
護衛以外の仕事をするなとは言わないが、自分を汚すような依頼を受け続ける岡田を、坂本はあまり良く思っていない。特に今夜は、いつもよりその思いが強かった。

「いや、違うんじゃが……呼んだ理由を忘れたぜよ」
「人を呼んでおいて、なんなんだ」
「はは、すまんすまん」

坂本は振り返り、軽く笑ってごまかす。岡田は表情を変えず、ため息をついた。
それを許しと受け取った坂本は、身体を文机に向ける。
そしてしばらくすると、背後の気配が動き、畳が擦れる音がする。

「……少し出てくる」
「お、逢引かあ? どんなおなごじゃ?」
「ただの散歩だ。くだらないことを言っていると、斬るぞ?」

彼が刀の鯉口に手をかけると、龍馬がわざとらしく両手を上げる。
それを一瞥し、以蔵が部屋を出ようとすると、坂本の声に少し力が入った。

「…今日は依頼、受けてなかったはずじゃろ?」

明日は二百数十年ぶりに帝が御所を出て、上賀茂神社に参拝するという。
街中の警備が厳しくなると思われるその前夜に依頼をこなすのは腕利きの以蔵とはいえ流石に危険としか思えなかった。しかし、そんな考えも杞憂に終わる。

「ああ。本当に少し散歩してくるだけだ」
「そうか、気をつけてな」

襖が閉じる音がして、坂本は崩れるように文机に肘をつく。

少し前に岡田と再会した時、彼はある人物にいいように使われボロボロになっていた。
同郷で昔から顔見知りの岡田を見捨てることは出来ず、坂本は自分の護衛として雇い、あちこちへ連れ回した。そのおかげもあってか、信じていたものを失い、抜け殻のようになっていた岡田が、意志を持ち、坂本の軽口に言い返すようになった。
坂本は紙から筆を離し、思いついたことのその先を思い描き、一人考え込む。

「武士はこの先、どうなるのかのう……」

この国には以蔵のように剣一筋で生きてきた者や、幕府の世が永遠に続くと信じて疑わず、忠義を尽くしている者も少なくない。
その者たちが信じるものを失った時、どのように生きるのだろうか。
生き方を見失って、反乱を起こす者も出るかもしれない。考えていた未来が最悪の結末までたどり着いて、坂本はその不安を振り払うように首を振る。

「……いや、人は強い」

貴族の世から戦の世に変わったときも、そこから徳川の世に変わったときも、人は変化し、たくましく生き抜いてきた。だからこそ今がある。
かつて学んだ先人たちの活躍を思い出し、より良い未来を迎えるためなら、変化を恐れてはいけないのだと思い直す。

「俺は、無闇に血が流れん未来が作りたい」

自分の信念に従って進み続ければいい。
坂本は隣の引き出しから巻紙を取り出すと、一心不乱に文を書き始める。
坂本の筆の進みを後押しするように、柔らかな夜風が窓辺から吹き込んだ。

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