2013年2月27日(水)
橋本です。
早いもので、すでに最終話の撮影が始まりました。
ついこの前クランクインしたばかりのような気がするのに、
連ドラって、ほんと、あっと言う間ですね。
曜日感覚もなく、毎日ばたばたしているうちに、
もう最終話。
早いですねえ。
最終話に関しては、
オンエアーが近づいたら、また書きますね。
昨日の第7話「伊豆旅情編」も、
多くの方に見ていただいたようで、
ありがとうございました。
おかげさまで、
今シリーズ最高視聴率を記録することができました。
めちゃめちゃ寒い中、
蔵さん始め、出演者・スタッフ一同、
頑張って撮影した甲斐がありました。
ありがとうございました。
前回、視聴率のことを書きましたが、
私の舌足らずな表現のため、
「録画して見ちゃいけない、ってことか!」
「ウチには視聴率測定機器が付いてないのに、
それでもナマで見なきゃいけないのか!」
というお叱りの声をいただきました。
すいません。
そういう意味ではありません。
私の言いたかったことは、
「テレビ番組の評価は、
視聴率によって大きく左右されるのに、
HDD録画機がこれだけ普及した現在でも、
ナマで視聴した人しか視聴率にカウントされない、
という現行の調査システムってどうなのよ?」
という問題提起でした。
アメリカやイギリスなどでは、
すでに録画再生率も視聴率にカウントされている、
という世界的な流れの中で、
日本の調査システムは今のままでいいのか、
ということを言いたかったのですが、
誤解を招いてしまったようで、
申し訳ありませんでした。
失礼いたしました。
反省、反省。
このところ、ロケ場所が下町が多いせいか、
撮影の合間に町のあちこちで慰霊碑を目にします。
風雪を経て、いささか読みにくくなった石盤の文字を、
丹念に追ってみると、そのほとんどが、
1945年3月10日の東京大空襲での、
犠牲者を悼むものでした。
調べてみたら、
3月10日の一夜だけで、
10万人を越える下町の人が犠牲になっていました。
今から68年前の3月10日の真夜中、
米軍のB29爆撃機325機が、
次々と東京の空に飛来し、
38万発の爆弾を投下し続けた結果、
ただ、そこに住んでいたというだけで、
赤ちゃんからお年寄りまで、
ありとあらゆる人間の命が、
10万以上も奪われたのです。
3月11日の大震災のことも、
私たちはもちろん忘れてはいけない、
と思います。
まだまだ現在進行形の災害だし、
私たちにできることも、まだまだ沢山あると思います。
しかし、同じくらいに3月10日の大空襲のことも、
忘れてはいけないのではないか、
と思います。
なぜなら、
大空襲は人間の意志によって行われたもの、
だから。
命令した人間がいて、
作戦に従って飛行機を操縦した人間がいて、
作戦に従って爆弾を投下した人間がいて、
その結果、10万人以上の人間が亡くなった、
「計画的な殺人」だから。
「お母さん、助けて!」
という幾百、幾千もの幼い声を呑み込んで、
「この子を置いて死ぬわけにはいかない」
という幾百、幾千もの母の声も呑み込んで、
住み慣れた町のすべてを紅蓮の炎が焼き尽くした……。
そんな地獄絵図のような夜から68年という歳月が経った今、
無差別に殺されることも、殺せと命令されることもない、
現在の日本の平和のありがたさをしみじみと思います。
と同時に、
時代という大きな流れの中で、
人間はどこまで残酷になれるのだろう、
という茫漠とした思いが胸に広がります。
ヒロシマ、ナガサキもそうですが、
犠牲となった方々を思う時、
私たちは絶対に二度と、
あのような時代を繰り返してはならない、
と強く思います。
しかし、今の私たちと同じ人間が、
あのような惨劇を引き起こしたのだと考えれば、
今の私たちだって、いつ何時、
同じような残酷さを剥き出しにするか、
わからないということです。
人が人を想う気持ちを大切にし、
心の中の一番やわらかい部分を大事にすることで、
あのような時代が来ることを防げるのならば、
私はテレビドラマを作り続けていくことで、
少しでも役に立ちたいと思います。
私たちが作り続けるドラマが、
残酷な時代の到来から世の中を守る、
心の防波堤になることができれば……。
大袈裟かも知れませんが、
街の片隅にひっそりと建つ小さな慰霊碑に向かって、
私はそう、心の中で誓いました。
来週は、第8話。
結城刑事メインの回です。
たった今、音楽入れが終わり、
完成しました。
第8話については、また書きます。