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TBSアンコール!特別展「世界遺産 ナスカ展ー地上絵ふたたび」

2008.2.5(TUE)-2.24(SUN)国立科学博物館

ナスカ展ツアー ―第一部「ナスカ - 砂漠のメッセージ」5〜9 ―

5.働く人々

乾燥したペルー南部海岸地帯では水の有効利用は死活問題でした。海岸から内陸へ入ったあたりを中心に広がった肥沃な土壌が広がり、その中の河谷周辺で灌漑農業を営ん
でいました。そこでは、マメ、トウモロコシ、トウガラシ、ジャガイモなどアンデス原産の植物を中心にさまざまな作物が栽培されていました。
また、投石器、石のついた投げ縄、棍棒、槍などを使い、野生のグアナコやシカを狩り、海岸ではアザラシ、ラッコや海鳥を捕獲し、網を使用し魚を獲っていました。主要な家畜リャマで、荷物運びや、毛、肉を利用するために飼われていました。
ナスカ人は交易により、東隣の火山地域産の黒曜石、北方エクアドル海岸産のスポンデュルス貝とサル、北や東の熱帯雨林産の鳥の羽根などの品々を入手していました。
ここでは、ナスカ人の生活風景を紹介します。

6.ものづくりの文化と技術

ナスカ人は多彩色土器や織物作りの他にも、貝、骨、羽根、木、金属などの工芸も手がけましたが、大規模で専門化された工房や集団が存在した跡は見つかっていません。住民の多くが土器や織物に従事し日用品に装飾を施す作業をしていました。
彩色土器に使う十数色の顔料は海岸地帯の河谷を取り巻く山々で採取した鉱物から作られていました。また同時期に北部海岸で栄えたモチェ文化とは違い、金以外の金属加工は手がけないもののマウス・マスクなどの装飾品は黄金を薄板に伸ばして制作していました。
ここでは、織物や土器の製作に欠かせない道具類を紹介します。

7.ナスカの日常生活

ナスカ社会は互いに地理的に隔たった場所にある多くの首長制社会で、個々は政治と宗教の両面で権力を握る個人に率いられていました。
彼らは一夫多妻制度のもとで血縁関係にある諸家族が集まって「アイユ」と呼ばれる集団を形成し、比較的小さな集落に暮らしていました。衣服をまとい、耳飾りやペンダントを身につけ、刺青をし、多くの人たちが頭骸変形をしていました。職業は農民、漁師、漁師、戦士などであまり多くはありませんでした。
また、彼らの寿命は40歳位と短く、死者には服を着せて在位で織物にくるみ、食物を入れた土器や、稀に黄金やスポンデュルス貝など貴重品が副葬されることもありました。
ここでは、様々な男女の土器像と衣服を紹介します。

8.ナスカ人の姿ー人類学者の挑戦

ペルー南部海岸の砂漠地帯は極端に乾燥した気候で、人間の遺体や副葬品は自然の力で一千年にわたって保存されてきました。今回、リマ国立考古学人類学歴史学博物館で、1925年から30年にわたり、フーリオ・C・テーヨによって発掘された400体余のパラカスのミイラのうち、保管されていた298体の中から、特に保存状態の良いこどものファルドを(ミイラを包むもの)開梱しました。DNA、レントゲンなどの調査結果による、ミイラ最新研究を紹介します。
また、戦傷により高まった脳圧を下げるためか、病気治療のためと考えられる、「頭部外科手術跡のある頭蓋」と、地位や民族的帰属の印かファッションのために、こどもの頭蓋骨にパッドを当てた板を縛り、変形させたと思われる「頭蓋変形」を紹介します。
※「パラカス時代のものとされたミイラ」は作品保護のため展示されません
→ここがバージョンアップ

「黄金」の写真

『黄金の旗印または頭飾り』
ペルー文化庁・ペルー国立考古学人類学歴史学博物館所蔵

「首級を持つ人物」の写真

『首級を持つ人物』
ペルー文化庁・ペルー国立考古学人類学歴史学博物館所蔵


写真撮影:義井豊


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