「女房も子どもも俺が殺したようなもんだ」 岩手県山田町の漁師、五十嵐康裕さん(52)。妻(41)、長女(3)、長男(2)、両親の5人を津波で失い、一人だけになってしまった。地震の直後、家族に家で待機するよう言い残した自分を今も責め続けている。 生きることが苦しかった。だが、震災後、買い取った漁船に妻と子どもの名前から一字ずつとった「裕正丸」という船名をつけて、山田町では最も早く漁を再開させた。亡くなった家族のためにも「泣きながらでも前に進みたい」と話す。 山田町で家族を失った五十嵐さんだが、支えてくれたのも「山田」の人たちだった。この町の誇りである祭りを盛り上げようと、五十嵐さんは先頭に立って神輿を担ぐ。 「どんなことがあっても、この町から離れねえ」。震災から丸5年となる今年3月11日、五十嵐さんは家族5人が眠る墓の前で誓った。 悲しみを抱えながらも、この町とともに生きていく漁師の5年を取材した。
ディレクター:西村匡史(TBSテレビ報道局)
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