![]() ![]() 戦史に記録として残されていない特攻がある。昭和20年8月15日、「玉音放送」が戦争の終結を告げたあとに、大分の海軍航空基地から飛び立った特攻隊員たちがいた。 ![]() 隊長として出撃命令を受けたのは、中津留達雄大尉、23歳。中津留隊長は、玉砕を求められた時代に、「僕は死に急がない」と語り、「無駄死にするな」と部下を諌めてきた人物だった。その彼が、なぜ「最後の特攻隊長」になったのか。 ![]() この特攻を命じたのは、宇垣纏第五航空艦隊司令長官である。その日まで若い兵士たちに特攻を命じ続けた宇垣は、最後に、終戦を知りながら、11機22人の若者を道連れに、沖縄に出撃していった。 ![]() 中津留隊長機は沖縄県最北端の島に到達、島では駐留していた米軍が突然の特攻機の来襲に驚く。だが、中津留はある決断をする。最後の特攻隊長の決断とは何だったのか。そして、その意味は何だったのか。数々の証言から、浮き彫りになったものがあった。 2013年8月に放送した「最後の特攻〜彼らはなぜ飛び立ったのか〜」。その取材をさらに継続する中、これまで一切語らなかった証言者が重い口を開いた。69回目の終戦の日にあたり、1時間に放送枠を拡大して史実に迫る。 ![]()
TBS・OBS共同制作
【ディレクター】 佐古忠彦(TBSテレビ報道局) 堀 公一(OBS大分放送報道局) |
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