![]() ![]() “ろう者”のプロレス団体がある。『闘聾門JAPAN』。ろう者にプロレスを思いきり楽しんでほしいと、2006年11月に旗揚げした。ろう者とは、日常言語に手話を使っている人のこと。レスラーも、審判も、スタッフも‥みんな、ろう者だ。 リングでは手話で言い争う。試合後のマイクパフォーマンスも手話。観客もほとんどがろう者なので、試合は実に静かに展開する。手を上げ、手のひらを勢いよく揺り動かして「拍手」する。今、プロレスの人気は低迷しているが、彼らの興行はいつも盛況だ。 ![]() エンターテインメントであるプロレス。レスラーは観客の反応によって、試合を展開させていく。聴者(聞こえる人)のレスラーであれば、歓声の大きさで客が沸いているかどうか判断して、沸いていればその技を連発し、沸いていなければ違う技に切り替えたりする。 しかしろう者には、歓声が聞こえない。どうやって観客の反応を確かめるのだろうか? その裏には、ろう者の知られざる豊かな世界があった。 代表の毛塚和義さんは、ろうプロレスは世界初!と胸を張る。一方で、資金繰りは難しく、選手やスタッフは手弁当である。どこか頼りなく、しかし、精一杯の気持ちがこもったプロレス興行だ。そんなろうプロレスが、沖縄で初めての興行を行った。毛塚さんは大の沖縄好きで、いつか沖縄でプロレスを興行したいと考えていた。その熱意に、琉球大学プロレス同好会がリングの貸し出しなど、協力をかって出た。 チャンピオンのMUWA選手は、肋骨に2本ヒビを抱え、古傷のひざを痛めた状態でも試合に臨んだ。絶対に負けられない理由があったからだ。天国に旅立った父への思い‥。自称「世界最弱」レスラーのストーカー西川口選手は、胸の奥に孤独な思いをしまいこんでいた。 様々な思いを胸にリングに上がるろうレスラーたちに、密着した。 ![]()
取材・構成:原義和(沖縄在住ジャーナリスト)
|
■ バックナンバー
|