特集

白川郷・五箇山の合掌造り集落

加賀藩を影で支えた五箇山

白川郷や五箇山のような雪深く厳しい環境下で、人々はどのように暮らしてきたのでしょうか?

加賀藩を影で支えた五箇山

槙:この地方は山間のため地形が険しく、気候も厳しいため、農業には不向きなのですが、代わりに「養蚕」と「塩硝作り」という2つの産業が主に行われていました。屋根裏で養蚕を行うため、光を取り入れやすい切り妻の現在の合掌造りの形ができたと考えられています。


養蚕が雪国で行われているという話は聞いたことがあるのですが、「塩硝作り」というのは初めて耳にしました。いったいどんな産業なのでしょうか?

加賀藩を影で支えた五箇山

柴:塩硝とは火縄銃の火薬の原料となる硝石のことです。五箇山に住む人々は野草や蚕の糞などを使用した塩硝の生成法を持っていました。江戸時代にこの地を治めていた加賀藩は外様大名だったということもあって、幕府に隠密に火薬を蓄えていたようです。独特の生成技術を持ち、なおかつ雪深く幕府の目の届きにくいこの地は加賀藩にとって、塩硝作りに最適の場所だったのでしょう。

なるほど。加賀藩を裏から支えていたのは、意外にも山奥の集落だったわけですね。

槙:「加賀百万石」と言われ、きらびやかなイメージがありますが、その裏にはこうした秘密が隠されていたのです。