邂逅前夜

邂逅前夜

桂の場合
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部屋の中にうっすら差し込む朝の光で、桂は目を覚ます。
寝乱れた着物を整え部屋の障子を開ければ、目の前には清々しい青空が広がっていた。

(ああ、晴れたのか)

今日は、二百数十年ぶりに帝が街へ御出ましになる日だ。
もともと、桂はさほど行幸というもの自体に興味があるわけではなかったが、『次にいつあるかわからない行幸に立ち会わないなんて馬鹿だ』と高杉に言われてからは、考えを改めた。
たしかに、人生で一度きりのことだ。この機会を自ら潰してしまう必要はない。

(野次馬など、愚か者のすることだと思っていたが…今日ばかりは、晋作と一緒に愚か者になるか)

ぐっと伸びをしてから、桂は浴衣を脱ぎ捨て、いつもの着物に袖を通す。
帝の行幸がある以外はさして変わらぬ一日であるはずなのに、なぜだか妙に気持ちが浮き立っていた。

※※※

高杉とともに神社に足を運ぶと、参道を挟むようにして人だかりができていた。

「出遅れちまったな。……見られそうな場所、あるか?」
「少し待て」

ぐるりとあたりを見回すけれど、桂の目に入るのは、人、人、人、人ばかりだ。
さすがに、背の高い自分たちが、きらきらと目を輝かせながら帝を待つ子どもや老人の視界を塞ぐのは気が引けて、桂は首を横に振った。

「このあたりは難しそうだな」
「……木にでも登るか」
「は?」
「上からだったら、間違いなく見えるだろ?」
そばにあった木の幹を高杉が手のひらで叩く。彼がその根に足をかけたところで、桂は慌てて高杉を木から引き離した。

「っ、おい…何するんだよ!」
「それはこっちの台詞だ! 帝を見下ろそうとするやつがいるか!」

幕府によって力を制限されているとはいえ、相手はこの国の主である。
上から見下ろすなんてもってのほか、不敬罪で殺されてしまったとしても、文句は言えない。

「見つかったら逃げりゃいいだろ」
「……そういう問題ではない」

桂はそう言うと、頭を抱えた。

「とりあえず、もう少し歩いてみよう。どこか見える場所があるかもしれない」

不満げな髙杉を連れ、桂はもう一度人だかりの中を歩き出す。
神社の本殿に向かっていく途中、ふと背の高い男がこちらに向かってくるのが見えた。
「おお、やっぱり高杉さんと桂さんじゃ!」
「坂本君」
「おんしらも来ると思ってな、いい場所を見繕っておいたんじゃ」
坂本は来た方向を振り返り、顎をしゃくる。
人だかりの奥に岡田の着る白い着物が見えて、隣にいた高杉が目を輝かせた。

「よくやった、坂本!」
「喜んでもらえて何よりじゃ。……これで、不敬罪で投獄は免れたのう、桂さん」
「……見ていたのか?」
「背の高い木のそばにおったき、高杉さんなら登るんじゃないかと思ってな」
「坂本君の察しの良さは折り紙付きだな」

桂はそう言って、高杉や坂本とともに参道へ目を向ける。
しばらくして帝の乗る輿の姿が見えてきたと思うと、桂はふと……空を見上げた。

「どうした、桂」
「…桜の花びらだ」
「あ?」
「このあたりには、咲いていないはずなのに……どこから……」

手のひらに乗った桜の花びらを握った時、神社の境内を強い風が吹き抜ける。
ぎゅっと目をつぶった桂は、たしかに……遠くで何かが落ちる音を聞いた。

「っ、何が起こったんだ…」
「わからねえ。……けど、面白えことが起きる。そんな予感がする」

にやりと笑った高杉が、人混みを掻き分け、音のした方向へ進んでいく。
捕まえようとした桂の手は空を掻き、高杉の姿が見えなくなると、彼は小さくため息をついた。

「……やれやれ、高杉さんはお尋ね者だという自覚が足りん」
「同感だ。……坂本君、以蔵」
「追いかけましょう。……面倒ですが」

素直すぎる岡田の言葉に桂は苦笑いをした後、高杉の向かった方向へ歩き出す。
強すぎる好奇心を持った相棒を今度はどうやって叱ってやろうと考えたが、すぐに犬に論語だと気づいて、彼は考えるのをやめた。

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