邂逅前夜

邂逅前夜

山崎の場合
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山崎は、屯所から主である慶喜の待つ屋敷へ向かっていた。
空には雲一つなく、吹き抜ける風が心地いい。

「…この分なら、明日の行幸も大丈夫だな」

山崎はそう言って、辺りを見回す。普段は御所の中にいる帝が明日、自分たちの前に姿を見せるとあって、街の中は普段よりも少し浮足立っているように思えた。

(時代って……俺が思っているよりもずっと速く変わっていくんだな)

ずっと続いていくと信じて疑わなかった徳川の御代は、今……攘夷志士や、討幕派と言われる人間の力によって揺らいでいる。
山崎が死ぬまでお仕えすると決めた慶喜は、その渦中で必死に徳川の御代を支え、そして争いによって民が苦しまないように戦っていた。

(本当に、すごい人だ)

(でも……それで自分が倒れてたら意味ないんだけど)

ここのところ、休みなく文机に向かい続けている主のことを思い出し、山崎は小さくため息を吐く。きっと、今……こうして山崎が考え事をしている間にも、絶え間なく書状に筆を走らせているはずだ。

(……俺なんかが慶喜様の仕事を手伝うことはできないけど、せめて…お団子くらいは買って帰ろうかな)

山崎はそばにあった茶屋に目を向ける。
長い付き合いである主の味の好みなどもうとっくに知り尽くしていて、山崎はあんこの団子を二本と、うぐいす餡の団子を二本買った。

※※※

「慶喜様、烝です。入ります」
「ああ、どうぞ」

屋敷に戻った山崎がそっと障子を開けると、思い描いた通り、慶喜は文机に向かっていた。
文机の上には、処理済みだと思われる書状が重ねられ、慶喜はまた手元に別の書状を広げる。

「……必ず休憩を取ってくださいとお伝えしたはずですが、この感じだと朝からぶっ続けですね」
「めずらしく筆が乗ってしまってね」
「それ、昨日も聞きました。…とにかく、少し休んでください」

漆塗りの皿を文机の上に置くと、慶喜の視線が書状から皿の方へ移る。
好物の団子が乗っているとわかった瞬間、慶喜の顔がほころんだ。
「烝は、私の休ませ方を良く知っている」
「もう長い付き合いですから」
「そうだな」

持ってきた急須から湯呑にお茶を注ぎ、団子の乗った皿の横に置く。

「どうぞ」

そう言うと、慶喜は広げていた書状をくるくると巻きなおして、棚に戻した。

「帝の御供で明日はお忙しいんですから、今日くらいはのんびりしてください」
「……ありがとう。じゃあ、烝も湯呑を持っておいで」
「え?」
「一緒に食べるために二本ずつ買ってきたんだろう?」
「……ええと、」

自分ならこれくらいぺろりと食べることが出来るので…とは言い出せず、山崎は湯呑を取りに炊事場に向かう。
主の隣で食事をするなんて護衛としては失格だろうと頭の片隅で声がしたが、家族のようなこの距離感が心地よく、山崎はしばらくはこのぬるま湯のような環境を楽しもうとそう思った。

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