邂逅前夜

邂逅前夜

土方の場合
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夕焼けが空を赤く染める頃。屯所の廊下を歩いていた土方は、庭先に沖田の姿を見つけて、足を止めた。

「総司、近藤さんがどこにいるか知らねえか」

部屋にいるものと思っていたが、土方の予想に反して、彼の部屋はもぬけの殻。
広間、蔵、近藤の姿がありそうな場所を回ってみたものの……未だ、彼の姿は見つからない。

(どこにいるんだか……)

土方がそうため息をつくと、庭先にいた沖田が水の入った手桶を持ったまま、土方の側に腰を下ろした。

「部屋にはいなかったんですか?」
「ああ。ついでに広間と蔵にもいなかった」
「そうですか。うーん……街の甘味屋でも見かけなかったんだよな」
手桶の水で持っていた手ぬぐいを絞った沖田は、汚れた足を丁寧に拭く。その様子を見下ろしながら、土方はふと……今の沖田の言葉の違和感に気がついた。

「……お前、見回りだったんだよな?」
「あっ、やば」
「やばっ、じゃねえ。また菓子持って見回りやがったな。隊士に示しがつかねえからやめろってあれほど……」

始まった土方の説教に、沖田が苦虫をかみつぶしたような顔をする。そして、何か話題を変えようと思案した後……すくっとその場に立ち上がった。

「あっ、土方さん! 思い出しました!」
「あ?」
「ほら…近藤さん、言ってたじゃないですか。行幸の警備に新撰組として携わりたいって。今日は、それを幕府の偉い人に進言しに行ったんですよ」

(……それにしちゃ、帰りが遅いんだよな)

相手がどれだけ忙しい人間だったとしても、御目通りに半日以上の時間がかかることはほとんどない。

(何かあったか、それとも……うまくいかなかったか)

土方はため息をついた後、玄関の方へ向かって歩き出した。
「土方さん、どこへ?」
「局長のお迎えだ。……お前、戻ってきたら説教だから覚えとけよ」
「げっ」

蛙が潰れたような声を出す沖田に土方は少しだけ笑った後、履きなれた草履をひっかける。

(さて、いったいどこで道草食ってんだかな)

屯所の門をくぐると、土方は顎をさすりながらゆっくりと歩き出した。

※※※

「お兄ちゃん、またね!」
「絶対、あそびにきてね!」
「ああ、気を付けて帰るんだよ」

子どもたちの声の合間に、探していた男の声が混じったような気がして、土方は視線をそちらへ向けた。
屯所からもほど近い寺の境内は、子どもたちにとっては格好の遊び場なのだ。

「……帰って来ねえと思ったら、こんなところで油売ってたのか」
「トシ……」
「で、どうだったんだ。御目通りは」

石段に座る近藤の隣に腰を下ろすと、近藤が少し困ったように笑う。
もう長い付き合いだ。この表情を見た瞬間、土方は近藤の上申がうまくいかなかったのだとわかった。

「一応、話は聞いてもらえたが……帝のおわす場だ。身分のことを言われてしまえば、もうどうにもならなかった。……説得できなかったのは、ひとえに俺の力不足だな」 「……何言ってやがる、それはあんたのせいじゃねえだろ」

近藤が大きく息を吐く。悔しさと、行き場のないもどかしさがじりじりと彼の胸を焼いているのが、隣にいる土方にも、よくわかった。

「身分なんてものが、そんなに重要かね」
「そうだな。だが、それで成り立っているのが、今の俺達の国だ」
「……まあな」

土方はそう応えると、空を仰ぐ。日の入りが近づくにつれ、橙色の空が次第に暗く深い色へ変わっていた。

「なあ、近藤さん。お偉いさんに断られたのはわかったが……あんたは、どうしたいんだ? おとなしく、街の衆に交じって見物するか、それとも……はみ出し者ははみ出し者らしく振舞うか」
「……それは、」
「なあ、近藤さん。俺は、あんたのやりたいようにするぜ。……あんたが、俺の大将だからな」

土方の言葉に近藤は一度目を伏せて……それから彼の方を向き直る。
「光があるところには、必ず影が生まれるように…華やかな場所には問題を起こす輩が現れるものだ。新撰組がそれを見逃す手はない。行幸の当日…俺たちは神社の周りの警備を固める」
「そう来なくちゃな!」

にやりと笑った後、土方が石段を駆け下りる。そして、近藤の方を振り返ると、大きく息を吸った。
「なあ、近藤さん」
「ん?」
「これから先、どんなことがあっても、今日みたいに自分の力が足りねえことを嘆くなよ。どれだけ誇りを踏みにじられても、誠の旗が汚れても、俺はあんたについて行く。 だから……あんたは、大将として胸を張ってろ」
「……ありがとう、トシ」

穏やかな顔で笑った近藤に、土方もまた目を細める。
時代が音を立てて変化していく中、自分たちが何を残せるかなど、わからない。
けれど……土方は、大将としては優しすぎる彼と、まだもう少し昔見た夢を追っていたいと、そう思った。

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