Ⅳ
クラーナハの名を何よりも深く人々の記憶に刻み込んできたのは、彼がくりかえし描いた「裸」のイメージだろう。16世紀初頭のドイツに芽生えた人文主義は、イタリア・ルネサンスの影響のもと、古典古代の知を養分として異教の神話世界に対する新たな関心を形成した。ヴィッテンベルクの宮廷に身を置いたクラーナハは、詩人や学者たちとそうした人文主義的関心を共有しながら、ヴィーナス、ディアナ、ルクレティアといった異教の女神や古代のヒロインたちを「裸」で表現することに、ドイツのほかのどの画家よりも強く熱中したのである。
とくに1530年頃からクラーナハが何度となく主題にしたそれらの女性たちは、人間のエロティックな情動やセクシュアルな欲望を問題化する存在である。このドイツ人画家はおそらく、自分自身が描くそうした女性たちのイメージに、みずからも魅せられていた。裸婦の絵を求める注文主の需要が多かったことは事実だが、それだけでは説明がつかない危うい誘惑に、画家自身が囚われてもいたはずなのだ。
クラーナハが描いた裸婦の多くは、柔らかな曲線をなす華奢なボディ・ラインによって、見る者を誘う。しかし、厳密にいえば、彼女らはたいてい「裸」にはなりきっていない。その身体は、遠くからでは見えない極薄のヴェールをまとっているからである。“veil”という語が「隠す/覆う」という意味の動詞でもあるとすれば、あまりに透き通って素肌を隠さないクラーナハのヴェールは、ほとんど語義矛盾ともいうべき「ヴェール」なのだ。その覆われつつも露わな女性たちの身体は、近現代のアーティストを含む、多数の人々の欲望を刺激してきたのである。
《 ヴィーナス 》
1532年、混合技法/板(ブナ材)、37.7 x 24.5 cm、シュテーデル美術館、フランクフルト
《 正義の寓意(ユスティティア) 》
1537年、油彩/板、72 x 49.6 cm、個人蔵
レイラ・パズーキ / Leila Pazooki
《ルカス・クラーナハ(父)《正義の寓意》1537年による絵画コンペティション》
2011年 油彩/板、フィルム 95枚のパネル、各72×50 cm 作家蔵