Ⅱ
ザクセン選帝侯の宮廷画家であったと同時に、戦略的な工房運営によって新たな美術マーケットを開拓したクラーナハは、実に多種多様なテーマの作品を生んだ。なかでも、この画家がもっとも得意とした形式のひとつが肖像画である。16世紀前半のドイツにあって、肖像画はいまだ新しい絵画ジャンルだった。そうしたなかでクラーナハは、宮廷画家として、また事業家として、ザクセン公家の人々、政治家、学者など、ときの権力者や著名人たちと密に交流しながら、数々の肖像を描いたのである。彼はまぎれもなく、ルネサンス期のドイツにおける最大の肖像画家だった。
そうしたクラーナハによって制作された肖像画は、描かれたモデル本人にしてみれば、一種のステータス・シンボルであったにちがいない。ただし、クラーナハはモデルの理想化や象徴化を好まなかった。この画家が描き残したのは、日々変容しゆく人々の面貌のつかのまの観察記録、また彼ら/彼女らの社会的な「顔」のドキュメントである。クラーナハの肖像画に宿る「リアリズム」は、そこにこそある。明治以降の日本の近代画家たちが、この遠く過去のドイツ人画家の肖像画から「写実主義」を学んだのも、決して偶然ではない。その意味でも肖像画は、当時のドイツでそう考えられていたように、ひとの「記憶」を後世へと保存し、伝達するイメージでありえた。実際、クラーナハが描いた女性の肖像に魅せられ、そのイメージに別の新たな生命を吹き込んだのは、たとえば20世紀のパブロ・ピカソだった。
ルカス・クラーナハ(子)《ザクセン選帝侯アウグスト》《アンナ・フォン・デーネ マルク》
1565年以降(1575年頃?)、油彩/カンヴァス、214.5 x 103 cm、214.5 x 103.5 cm ウィーン美術史美術館
《フィリップ・フォン・ゾルムス=リッヒ伯の肖像習作》
1520年頃、油彩/地塗りされた紙、179 x 132 cm、バウツェン市立美術館