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寺田的世陸別視点

第19回2013.08.18

22年ぶりの女子100m&200mの2冠を実現させたフレイザー・プライス。
大舞台での強さと、その中長期的戦略

寺田的 impressive word
16th AUG.フレイザー・プライス
「100mのあとの2日間でジョギングをして、痛みや違和感がないことを確認しました。そして自分に言い聞かせたの、仕事はまだ終わっていない、って」


●100m金メダリストvs.200m金メダリスト
誰が勝っても話題となる種目だった。
大会7日目の女子200m。フェリックス(米国)が勝てば世界陸上単独最多の9個目の金メダルになった。オカグバレ(ナイジェリア)が勝てば、短距離金メダル&走幅跳メダル獲得。そしてフレイザー・プライス(ジャマイカ)が勝てば、100mと200mの2冠が実現する。

注目種目を制したのは、スタートからリードを奪ったフレイザー・プライスだった。後半も2位以下を寄せ付けず危なげない勝利。向かい風0.3mで22秒17は、21秒台(自己新)に相当する。今大会には髪の毛の後ろ側を派手なピンク色に染めて登場。「ピンクヘアー」(本人)で2種目を快走した。
「すごいハードワークだったわ」とフレイザー・プライス。「100mで勝った後に200mに集中するのは大変でした。2日間ありましたけど、ジョギングをして、痛みや違和感がないことを確認しました。そして自分に言い聞かせたの、仕事はまだ終わっていない、って。100mと同じ競争モードに入ったわ」
後述するが、フレイザー・プライスがここ一番で発揮する勝負強さはずば抜けているのである。

その一方でフェリックスは転倒して途中棄権。1つ外側のフレイザー・プライスを追っていた50m付近だった。
「誰かの叫び声が聞こえたの。誰かはわからなかったけど、直線に入ってもアリソンが追い上げてくる気配がなかったので、彼女だったとわかったわ」
後半は一番強いと見られていたオカグバレも、この日のフレイザー・プライスを追い込むことはできなかった。100m銀メダルのアウール(コートジボアール)との接戦になり、1000分の6秒差で競り負けた。アウールが銀、オカグバレが銅メダルだった。

●ロンドン五輪後に200mへの本格参戦を表明
ご存じのように、フレイザー・プライスは100mで北京&ロンドンと五輪連続優勝した選手。2009年世界陸上ベルリン大会も制した。鋭いスタートダッシュが武器で、序盤でリードを奪って逃げ切る。そのタイプのスプリンターは、200mまでスピードが維持できない傾向が大きい。ロンドン五輪ではフェリックスに次いで銀メダルを取ったが、本気で200mまで狙うとは思われなかった。

だが、ロンドン五輪直後のダイヤモンドリーグでの会見で、フレイザー・プライスは200mへの意気込みを話していた。
「200mでは色々と学習している最中なの。本当に難しいのですけど、数年のうちには100m以上の200mランナーになれると思っています」
にわかには信じがたい話だった。そのくらいフレイザー・プライスは100mの印象が強烈だった。

世界陸上が始まった1983年以降、女子100mと200mの2冠を達成した選手は、オリンピックを含めても3人しかいない。1987年ローマ大会のグラディッシュ(東ドイツ)と、翌88年ソウル五輪のグリフィス・ジョイナー(米国)、91年東京大会のクラッベ(ドイツ)である。

グラディッシュのシーズンベストの推移を見ると、100mと200mが並行して強くなった選手とわかる。グリフィス・ジョイナーとクラッベは200mで国際大会で活躍していて、2冠となった大会だけ2種目に出場していた。フレイザー・プライスのように先に100mで優勝し、後に2冠を達成した女子選手はいない。
「スタティスティクス(陸上競技の成績や記録の統計)について、私は詳しくないんです」
笑顔を絶やさない普段の性格そのままに、自身の偉業を誇ることはない。だが、2冠に向けた長期戦略はすでに昨年から、あるいはもっと以前からスタートさせていた。

●ダイヤモンドリーグと世界陸上
200mを走ることへの反対も多かった。
「あなたはスタートが強い選手だが、フィニッシュ(終盤)が強い選手ではない。多くの人からそう言われました。でも、100mを速く走るために、200mを走ることが必要だと思ったの。そして誰もが知っているように、100mが速くなれば200mにも役立ちます」
2冠への戦略を具体的に実行し始めたのが2013年シーズン。100mと200mに交互に出場するようになった。「これまでのシーズンで、一番200mに出場してきました」

だが、ダイヤモンドリーグのフレイザー・プライスの走りを見て、「あれ?」っと感じた。前半で周りを圧倒するかと思われたが、抑えめに入って、コーナーの出口ではかろうじてトップという位置。しかし、減速が大きいと思われた後半で後続を引き離した。

100mとは反対に後半型を目指している可能性もあったが、持ち味を殺すことにもなりかねない。後半の走りのリズムを会得することを最大の目的として、そのために前半から無理をすることを避けた。そう解釈するのが妥当と思われた。
世界陸上になったら前半から飛ばし、後半をダイヤモンドリーグで会得したリズムで押し切る。体に負担がかかることでもあるので、前半と後半を融合させた走りをするのは世界陸上本番だけ、と考えていたのだろう。

フレイザー・プライスはこれまでも何度か、ダイヤモンドリーグを試験的なレースとして走り、本番に合わせたことがある。表にもあるように7月末のロンドン大会100mは、予選で10秒77の今季世界最高で走りながら、決勝は10秒94で4位という順位(優勝はオカグバレ)。
「世界陸上本番では、準決勝と決勝を同じ日に走らなければならないので、そのシミュレーションをしました」
そして、その言葉通りに、モスクワ世界陸上100mでは10秒71の今季世界最高で優勝したのである。

●本番での勝負強さも戦略の一環に
フレイザー・プライスの最大の武器は言うまでもなく、抜群のスタートダッシュであり、そして大試合で力を発揮できることだ。ボルト(ジャマイカ)とも共通する傾向だが、通常の試合ではときおり負けることもある。だが、シーズンで一番の目標とする試合では、明らかにパフォーマンスが向上する。

200mを前半と後半に分けて走りをシミュレートしても、本番で融合させることができる保証はない。多くの選手にとって“やってみなければわからない”というのが本当のところだろう。だが、本番に強い選手は成功する可能性が大きい。本番での成功の確率が大きいから勝負強い、と言った方が正しいかもしれない。
自身の本番での強さを、最大限に生かす戦略を進めてきたと言えそうだ。

何度も言及しているように、スタートダッシュでは必ず先行できる選手。今大会では、周囲の選手はフレイザー・プライスの“ピンクヘア”が目に入っただろう。ある選手は「あんなに前に行っちゃっているんだ」と感じてしまった。心理的な効果も計算しているのでは?と思わせるほど、モスクワ世界陸上の2冠はフレイザー・プライスの戦略通りに進んだ。
ちなみにフレイザー・プライスは、キングストンにヘアサロンを開店したばかりだという。

寺田辰朗(てらだ たつお)プロフィール
陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。
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