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寺田的世陸別視点

第8回2013.08.01

山本聖途&澤野大地&荻田大樹、
初のトリオ出場で臨戦態勢が整ったJAPANポールチーム

●複数出場のメリット
ポールボウルト(棒高跳)に日本から山本聖途(中京大)、澤野大地(富士通)、荻田大樹(ミズノ)の3人が出場する。この種目でのフルエントリーは世界陸上では初めてのこと。フィールド種目全体でも、1999年セビリア大会男子走幅跳に次いで2度目である。参加人数を絞るためにフィールド種目は標準記録が高めに設定されている。快挙と言っていい。

3人で出場することのメリットも期待できる。特に国際大会の経験が少ない選手にとっては大きい。海外初試合がロンドン五輪となり、無念の記録なしを喫した山本は次のように話す。
「去年は1人であの場に臨み、どう試合を進めたらいいか頭が真っ白になってしまいました。棒高跳は中間マークや踏み切り位置のズレなど、その場でアドバイスをしてくれる人がいることで大きく違ってきます。今回は先輩方も一緒なので心強いし、自分も少しは経験を積みました。自分らしい跳躍ができると思います。日本チームとして一丸となって、3人そろって決勝に進みたい」

ロンドン五輪の山本はストレッチに使うリングや、メモ用のペンまでも召集所で没収され、最初からリズムが狂わされた。踏み切り位置がコーチ席から見えず、修正するための情報が得られなかったのだ。選手同士で踏み切り位置を見てもらうには、普段の試合から知り合いになっておく必要がある。英会話に自信がないと、他の選手に話しかけることもストレスになる。

それらも競技の一部であり、1人でもできるようにしなければ戦えない。とはいえ、経験の浅い選手が一朝一夕にできるものでもない。同じ国の選手同士がピットにいれば、試合展開がスムーズになるのは確かである。

●澤野大地の功績
この10年間、日本の棒高跳は澤野大地が1人で引っ張ってきた。2001年以降の世界陸上とオリンピックの日本選手成績は表1の通りである。澤野以外にも代表となった選手はいたが、戦ったと言えるのは澤野だけだった。世界陸上跳躍種目の入賞も、2005年ヘルシンキ大会8位の澤野だけである。

国内では無敵状態で、積極的に海外を転戦した。2006年には海外で15試合をこなして、5試合で5m70以上を跳んでいる。語学を研き、外国トップ選手たちとの人間関係を構築した。遠征中に一緒に練習や移動をすることもあったし、試合中にポールを借りて跳んだこともあった。海外の環境に慣れること、ハイレベルの試合を経験することなど、経験から得られるものは計り知れなかった。

日本の棒高跳イコール澤野大地、という状況に変化が生じたのが昨年から。山本と荻田が台頭してきたのだ。小林史明の引退後は5m70を跳ぶボウルターは澤野1人だけだったが、今年2人が相次いで5m70以上に成功した。

4月の織田記念は荻田、5月のゴールデングランプリ東京は山本が優勝。そして6月の日本選手権も山本が制し、今季の澤野は3人が出場した試合で1勝もしていない。
「負けるのは本当に悔しいですよ。でも、これは僕がずっと望んできた状況です。以前は海外に行ってやっていたことが、今は日本でできる」

昨年は国際試合の洗礼を浴びた山本だが、今季は7月のユニバーシアードで銀メダル(5m60)と、海外でも結果を出している。5m70台は室内を含めて4回と安定感ナンバーワンの選手に成長した。荻田は5m70を跳んだのが4月の海外での試合だった。日本選手権は3位(5m50)と振るわなかったが、その後のヨーロッパ遠征では5m62を跳んでいる。
2013年の日本の棒高跳は、かつてないシーズンを迎えている。孤高の戦いを続けてきた澤野の努力が報われたのである。

●荻田の武器は硬いポール
同じレベルに達している3人だが、特徴も成長過程も異なる。ポールの長さ、硬さにそれがよく現れている。

棒高跳の感覚を一般人がイメージすることは難しいが、長いポールを使った方が有利になるのは理解できるだろう。硬さについても、曲げた後の反発が強くなるのは硬いポールである。だが、長ければ長いほど、硬ければ硬いほど、ポールを思い通りに曲げられない。ポールと自身の体をマッチさせることが難しくなってくるのだ。

荻田大樹は2008年に5m56の学生新(当時)を出す前から、硬いポールを使っていることで知られた存在だった。185cmで80kgの体格で、強い力を加えてポールを曲げられた。その分、ポールからの反発も大きい。
しかし、学生記録保持者となっても「自分は全国レベルの選手の中では技術がまだまだ。大した選手ではありません」と話していたことが印象に残っている。ポールの硬さを考えたらもっと記録が出ていい。そう感じていたのだろう。

実際、荻田は伸び悩んだ。その後3シーズン自己記録を更新できず、世界陸上とオリンピック代表にはなれなかった。4年ぶりに自己記録を更新して、5m60台をクリアしたのが昨年のこと(ロンドン五輪B標準も突破)。そして今年はA標準の5m70に成功したのである。
早い段階で硬いポールを使い始め、技術が伴うにつれて記録も上がってきたタイプと言うことができる。ただ、技術と体力、パワーは切り離せないもので、今季の好調さも「昨秋以降に走力がついたから」(荻田)という部分が大きい。技術が安定したことで、走力やパワーのアップが記録に直結する。相乗効果が現れ始めた。

4月の織田記念では5m30、5m50とバーが上がるにしたがってポールを硬くしていった。他の選手が強風に苦しむなか、荻田1人だけが対応して優勝することができたのである。「攻めたポール選択が結果に結びつきました」。

フレックスが14台の硬さになると、ポール自体の重量も重くなり、握ったときの感触も違ってくるという。簡単に扱えるものではない。それを風などの状況に応じて使いこなせるのは、国際舞台で戦うときに大きな武器となる。

●山本が自信を持つ技術とは?
反対に山本聖途は、荻田や澤野と比べたら軟らかいポールを使っている(それでも、すでに前日本記録保持者の小林史明よりも硬いものを使っている)。長さも10cm短い。今年の織田記念で初めて5m10の長さを試したが記録なしに終わり、「まだマッチしない」(山本)と感じた。今季は5m00のポールを使い続けるつもりだ。

長いポール、硬いポールを使えれば有利になるのは大原則で、山本も例外ではない。大学2年だった一昨年秋に4m90から5m00のポールに変更し、それを使いこなせるようになった昨年、自己記録を30cm以上更新した。

だが、その段階でできる技術を定着させないうちに、さらに一段階のアップをするのは得策でない。山本は技術を崩さないことを前提に記録を伸ばしてきた選手である。
「山本のポールの反発に乗る技術は抜きん出ている」と複数の棒高跳指導者が評価する。体は軽く風の影響を受けやすいが、練習を繰り返して悪条件でも正確な助走ができるようになった。踏み切り直前のテンポアップも特徴だ。

「今年中に日本記録(5m83)は破ってもおかしくない」と、高校2年時から山本を指導する島田正次コーチ。現在のポールでもそこまで行けると予測しているのだ。10cm程度なら握りの高さを変えることもでき、ポールの長さを変えないでも記録を伸ばしていける。

澤野も若い頃は、山本のように細身の選手だった。2004年に5m80(当時の日本記録)を跳ぶまでは5m00の長さで、今ほど硬くないポールを使っていた。翌年の5m83は5m10と長いポールを使い始めたタイミングで成功させ、その後は徐々に硬さを増して世界と戦ってきた。

年齢的なこともあって近年は伸び悩んでいるが、今季は助走中のポールの倒し方など、技術を大きく変えているという。日本選手権の5m70の跳躍はかなり高さが出て、「5m80、90も見えてきた」と好感触を得た。
あらたな技術とトレーニングの結果、従来にはなかった斬新な発想でポールを選択し、年齢の壁を破って記録更新をする可能性がある。

山本は、特徴の異なる3人の戦いぶりに注目してほしいと話す。
「澤野さんは世界での戦い方を知っているベテラン。勝負を左右する高さでも1回目で跳んで行くと思うので、僕もそれを見習って戦いたいですね。荻田さんは海外選手と同じレベルのポールを使えるパワフルなところがすごいと思います。僕は外国選手と比べたら細いですけど、助走のリズムの刻み方や、突っ込みのところに勢いがあります。そしてポールの反発に乗るところは世界で勝負できる自信がある」

フィールド種目で日本選手2人が決勝に進めば、世界陸上初の快挙。3人がそれぞれの特徴を生かすことができれば、1+1+1が4の力となる。モスクワで歴史的なシーンが見られる可能性は十分。JAPANポールチームに期待したい。

寺田辰朗(てらだ たつお)プロフィール
陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。
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