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寺田的世陸別視点

第18回2013.08.17

極上の空中戦。
ボンダレンコとバルシムの特徴と、世界記録への課題は?

寺田的 impressive word
15th AUG.ボーダン・ボンダレンコ
「世界記録はいつも頭にありますが、一番重要なことは、小さな故障が続くことをどう克服するか、だと思っています」


●国際色豊かなメンバーによる争い
極上の空中戦が展開されていた。
8月15日のルジニキスタジアム。男子走高跳で2m38のバーに4人のメダリストが挑戦し、1人のウクライナ選手がその高さをパスしていた。下の6人のうち、2m35を失敗したキナード(米国)を除く5人である。上位6選手はアフリカ系と白人が半々で、国籍も全員が異なる。

バルシム(カタール)は6月1日に、屋外では今世紀初となる2m40(当時世界歴代4位タイ)をクリアした選手。アジア記録を実に29年ぶりに更新した。黒人だがカタール生まれ。身長は192cmで体重が72kg。手脚が長く、走高跳をするために生まれてきたような体型だ。

ドロウイン(カナダ)は白人選手で、やはり193cmの長身。「今大会のベストテクニシャンの1人」という評価もされていた。
ウホフ(ロシア)は昨年のロンドン五輪金メダリスト。地元期待の選手だが、今季は故障があり出遅れていた。196cmとやはり長身。数年前まではガッチリ型の体型だが、徐々にスリムになってきた。地元の大歓声を背に2m38のバーに挑んでいた。

トーマス(バハマ)は2007年の大阪世界陸上に優勝した黒人選手で、バスケットボールから転向して1年半で世界の頂点に立った。ドリブルを思わせる助走で、空中動作にはダブルクラッチ(シュート姿勢)の名残があった。だが、その後の世界陸上とオリンピックでは一度も入賞していない。今大会の2m32に成功した時点で6年ぶりの入賞を決めていた。

そしてこの高さをパスしたのが、隣国ウクライナのボーダン・ボンダレンコである。7月に2m41の世界歴代3位タイを跳び、今、最も勢いのある白人選手。身長は197cm。だが、優勝を決めるかもしれない高さをパスするのは前代未聞のこと。「2m38をパスするなんて信じられない」と、為末大さんがツイッターでつぶやくほどだった。

2m38を2人以上がクリアすれば、過去に数試合しかないハイレベルの戦いとなるし、世界新記録にバーが上がることも予感された。ルジニキスタジアムには“何かが起こるのでは?”というワクワク感と、ハイレベルの空中戦を目の当たりにする興奮が混じったような高揚感があった。

●2m40台での決着
バーは2m41に上がった。世界記録保持者のソトマヨル(キューバ)が持つ2m40の大会記録を1cm上回る高さである。
これに挑んだのは試技順にドロウイン、ボンダレンコ、バルシムの3人。1回目は全員が失敗したが、2回目にボンダレンコが成功した。オーソドックスな助走(補助助走4歩プラス本助走11歩)から右脚で踏み切る。空中姿勢は少しひねりが入っているのが特徴だ。スタンドのウクライナ応援団は大騒ぎである。

バルシムは2m41の2回目をパス。同じ2回目でクリアしても、2m32で一度失敗しているため、失敗試技数が多くなり勝つことはできない。
ドロウインも2m38で一度失敗しているので同じ状況だが、2m41のバーに向かった。目の前の高さを確実に跳んで、次の高さに勝負を持ち込むつもりだったのだろう。このあたりの判断は選手の性格も表れる部分である。ドロウインは3回目も失敗して3位が確定した。
バーは2m44に上がり、今度はボンダレンコがパスし、バルシム1人が挑戦した。成功すればバルシムが優位に立ち、3回失敗すればボンダレンコの金メダルが決まる。2m40に複数選手が挑んだ世界陸上は過去に2回あったが、2m44以上で2人が残っていたのは史上初めてのことである。

バルシムは6月1日に2m40を跳んだ後、3試合に出場したが2m33、2m24、2m25と低迷した。背中に痛みが出たためで、今大会はボンダレンコ圧倒的優位の下馬評。史上最高レベルの戦いとなったのは、バルシムが復調したからである。
2m44の2回目(2m41で1回失敗しているので最後のチャンス)は、本当に惜しい跳躍だった。悔しくないわけはないが、スタンドに両手を挙げて挨拶する様子は爽やかだった。
「観衆から大きなサポートをもらい、偉大な選手たちと跳び合うことができた。こんな戦いをして銀メダルを取れたことは本当に嬉しい」
会見でも笑顔を見せながら話していた。

●バルシムとボンダレンコの技術的な違い
ボンダレンコは2m46の世界新にバーを上げた。黄色と青のウクライナ国旗を模した応援団からは「ボーンダ、レンコ!ボーンダ、レンコ!」の大声援。ボンダレンコは助走に手拍子を求めないので、ピットに立つと場内は静まる。

1回目は、高さはそれなりに出ていたが肩をバーに当てて失敗。2回目も高さはあったように見えたが腰でバーを落とした。3回目はスタート前にトラックに仰向けになるなど、いつもとは違った集中の仕方を試したが、踏み切りが助走スピードに対応できず肩からバーにぶつかった。
それでも、マットからすぐに立ち上がり、スタンドに向けて両手を胸の前でぐるぐる回し、コーチ席のヴィクター・ボンダレンコ・コーチの元に駆け寄った。ボンダレンコの父親である。

「優勝できると信じていたけれど、優勝が決まる最後の瞬間まで油断しなかった。世界記録についてはいつも出したいと思っているが、条件に左右されるので、いつになるか予測するのは難しい」

本人は慎重だが、「世界記録を出せる」と話す跳躍指導者も多い。TBS世界陸上解説者の石塚浩氏(日女体大教授)もその1人。
「スピードがあって踏み切り前のカーブでしっかりと内傾し、踏み切り準備局面で後傾する。踏み切って体を起こす局面も、力を効率的に伝える動き、地面からの反発も受けやすい動きをしています」

石塚氏の分析では、この動きはロシアやウクライナなど、旧ソ連圏の国の選手は共通してしっかりしている。ソ連当時はコーチ養成や選手育成システムがきっちりしていた。そのシステムはソ連の崩壊とともに機能しなくなったが、当時のノウハウは今も旧ソ連圏の国々で受け継がれている。
「まだまだ職人的コーチの存在を感じます。女子走高跳のチチェロワ(ロシア)のコーチであるザガルルコ氏もその1人です」

一方のバルシムの本助走はわずか4歩。ただ、補助助走を8歩くらい、それもかなり速く刻む。以前は本助走がもう少し長かったが、「スピードが上がって対応できなくなったのでしょう。助走全体を遅くするとリズムを取りにくいので、走高跳の選手がこのような悩みを持った時にとる方法の一つです。助走最後のカーブの部分だけに絞って、残りは補助助走という考え方をしているのだと思います」と石塚氏は推測する。

跳躍全体の特徴は「軽くフワフワした印象があります。踏み切り準備や踏み切りへの後傾姿勢を取るときのタイミングが素晴らしいのでしょう」と分析する。
「体全体を鍛えれば、もっと力を伝えられる動きができるのですが、ただウエイトをやったり、補強をやりすぎると太くなって跳べなくなってしまう。筋繊維が太くならないようなトレーニングを気長に続けていくことが重要」
バルシムの方はもう少し時間がかかるかもしれない。

●世界記録更新への課題
ボンダレンコの世界記録更新は故障を克服できるかどうかにかかっている。前述のように力を受けやすい動きができる。記録が出やすいが体への負担も大きくなる。まだ23歳と若いのだが、国際陸連の“Focus on Athletes”という記事には、ここまでの競技人生が故障との戦いだったことが紹介されている。

2008年の世界ジュニアに優勝したが、ヒザの故障を抱えたシーズンだった。2009年は踵を痛めてしまい、石膏で脚を固めないといけなかった。その年の10月には2回に渡って手術も実施した。2011年には過密日程ながらテグ世界陸上代表となったが、アキレス腱の痛みを抱えながらの競技となり、決勝に駒を進められなかった。昨年のロンドン五輪も軽い痛みをいくつか抱えながら、シニア大会初入賞(7位)を達成した。

「私はもう、完全に故障がなく、何の痛みもなく跳躍ができたのがいつだったのか、思い出すことができなくなっています」
メダリスト会見でも、今大会直前に痛みがあったことを語っている。
「5日ほど前にお尻に痛みが出始めました。そして予選では足(足首よりも先)にも痛みが出始めた。小さな故障はつねに抱えています。決勝で2m32、38、44とパスをしたのは、足の痛みを考えてのことなのです。そういった状況も考えると、世界記録を破るのはまだ早いのかもしれません。一番重要なことは、小さな故障が続くことをどう克服するか、だと思っています」

ラッキーなのは、同じ世代に多くの有力選手がいることだ。金メダルのボンダレンコが23歳、バルシムが22歳、銅メダルのドロウインが22歳。若い選手たちがメダルを占めた。
ドロウインはバルシムの2m40がきっかけだったと言う。「あの跳躍が我々にモチベーションを与えてくれた。1980年代から90年代前半の、走高跳が全盛時代に戻ったと思う」
ボンダレンコは「ニュージェネレーションがここまで来た。リオ五輪までに世界新記録を見られると信じている」と記録更新への意欲を口にした。

寺田辰朗(てらだ たつお)プロフィール
陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。
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