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営業の先輩後輩
登場人物
吉野 達也 ■ 先輩

吉野 達也
(ヨシノタツヤ)

2001年4月入社
津波古 啓介 ■ 後輩

津波古 啓介
(ツハコケイスケ)

2007年4月入社
営業局営業部で外勤を5年半。2004年には全国縦断JRNリレードライブ企画を実現した。2006年10月に営業推進部に異動後はデスクとして営業企画を立案・管理しつつ営業マンの相談役を務めている。 営業局営業推進部の新人。スポットデスクアシスタントとして生CMの管理や枠内編集、確定という作業を行なってきた。生CMは確認事項も多いので、営業外勤と制作スタッフの間をつなぐため行ったり来たりが続く。
登場人物
吉 野
吉 野
どうしてTBSラジオを志望したの?
津波古 やりたいことがあって・・・放送作家。
吉 野 放送作家?
津波古 あ、はい・・・冗談と言うか・・・
吉 野 冗談だったの?
津波古 いや、冗談じゃないんです。ボク、学生時代に店をやっていたんですよ。店の中の自分がパーソナリティで、お客様をリスナーと考えると、いろいろなおもしろいことを発信して対話する事がすごく楽しくて面白いと思って。ラジオとすごく感覚が似てるなと感じて、受けてみたいと思いました。
吉 野 だいぶ無理があるね、お店とラジオって(笑)。だったらお店をやればいいじゃない?
津波古 そうですよね・・・
吉 野 お店でお客様をひきつけるというのであれば…、ラジオのしゃべり手になりたかったということなん?
津波古 いえ、しゃべり手じゃないんです。考え方だと思うんですけど、制作でも営業でもパーソナリティでも、誰でも発信者になれると思うんです。部署は関係ありませんでした。ただ、お店という形、お互いに向かい合ってコミュニケーションがとれるような形は、ラジオがとても近いと思ったんです。
吉 野 面接の時にそういう話をしたんだ?
津波古 面接の時には、ボクはずっと、『企画を考えたんですけど』っていうことしか話さなかったんです。『テレビのコント番組を、だれが考えてるんだろうとか思いながら見てました。字幕にディレクターとか放送作家の名前が出るんで、この職業ってなんなんだろうなぁ、と思って調べたら、作家さんはネタ出しして決定権があるのはディレクターさんやプロデューサーさんだったりする、ってわかった。だから、ネタ出しもできて決定権を持った人間になりたいと…』とか話しました。
吉 野 おまえの企画見せてもらったんだけど、良く考えたなコイツ、と思った。もちろんいろんなことをわかってなくて出した企画なんで、雑というか荒削りだったんだけど…。全国の学校を束ねて、昼休みの校内放送にうちで作った番組を放送できないか、という企画だったよね。よく覚えてるだろ?
津波古 ありがとうございます!!!
吉 野 それを実務で考えると、どうやって学校を束ねる、とか、学校からするとなんでTBSラジオなの?ってことになるし、いろんな制約とか条件とかハードルが出てくるから難しいかなぁ、ということになるんだけど、子供達の心が荒れてるというのをちょっとでもラジオの力で改善−
津波古 改善と言うか世直し−
吉 野 世直しって言ってたね、そうそう。世直しラジオ!
津波古 子供の時にたくさんハンバーガーを食べると、20歳を超えた時に、また食べたくなるという戦略があるんですって。ラジオはいいメディアなのに、今の子供達にとってあまり身近じゃないように感じていて、刷り込む機会があればいいな、と思ったんです。
吉 野 その話を聞いたとき俺は入社6年目だったんだけど、とても新鮮でヒントもありました。

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