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マスターズの軌跡

2人の男の夢

Bobby Jones ボビー・ジョーンズ

1902年3月17日、Robert(Bob)Tyre Jones,Jr.は、ジョージア州・アトランタで生まれました。ジョーンズは、アマチュアの選手として1920年代前半から1930年までゴルフ界で圧倒的な強さを見せていました。1923年から1930年の間、彼が参加したメジャー大会(当時4大メジャーは:全米オープン、全英オープン、全米アマチュア、全英アマチュア)21試合の内、13試合を優勝するという驚異的な記録を残しています。彼は全米アマを5回、全英アマを1回、全米オープンを4回、そして全英オープンを3回優勝しました。1926年、全米と全英の両オープンを同年で制した最初の男として歴史にその名を刻みました。
その後1930年には、セント・アンドリューズで行われた全英アマ、ロイヤル・リバープールで行われた全英オープン、インターラシエン・カントリー・クラブで 行われた全米オープン、とメリオンで行われた全米アマで優勝を飾り、史上初のグランドスラムを達成しました。彼が引退するまでに参加した全米と全英の両オープン最後の12回で、11回も2位以上の成績を残しています。ジョーンズは28歳の若さで、毎年参加していたマスターズ以外の競技ゴルフから引退しました。
ジョーンズは、スポーツ以外の世界でも同様な活躍を見せていました。ジョージア・テック大学で機械工学の学士を得た後、ハーバード大学で英語文学の学士も得ています。その後、法の勉強をするためエモリー大学に入学、わずか1年後に弁護士の資格を取得しました。 プレイヤーを離れたら、ジョーンズはゴルフクラブの設計、4冊の本を執筆、数百の新聞記事を書いたり、数本の映画でゴルフを教えたりと、いろんな分野で活躍をしていました。彼はマスターズとオーガスタ・ナショナル・ゴルフ・クラブの創設者の一人であり、1933年に会長に就任、今尚、永遠の名誉会長として名前を残しています。ジョーンズは1971年に、背骨の病気でこの世を去っています。

Clifford Roberts クリフォード・ロバーツ

1894年、アイオワ州、モーニング・サンの農場で生まれました。ロバーツはボビー・ジョーンズと共にオーガスタ・ナショナル・ゴルフ・クラブを創設しました。彼は1931〜1976年の間、オーガスタ・ナショナル(1934年からマスターズと名前を変更)のチェアマンを務めていました。ロバーツの死後、1977年に記念名誉チェアマンに任命されました。マスターズはロバーツの管理下で、ゴルフ界に今でも使われている新考案を取り入れました。彼は、ギャラリーの席を見やすい場所に設置したり、リーダーボードをコース上に設置したり、数々の斬新なアイディアを考え出しました。現在、どこでも使われている、各選手のスコアをアンダーパーを赤で、他を緑でというシステムも考えました。更に、初めてのマスターズのテレビ放送を実現するためには欠かせない存在でした。
ロバーツは1948年に、後にアメリカ大統領の政治と経済の顧問となったアイゼンハワー将軍をオーガスタ・ナショナルに招待しました。アイゼンハワーはその後、クラブの会員となりました。ロバーツが1977年で他界するまで数々の表彰を受けました。その中には、1943年に発足したPGA Advisory Committeeでの奉仕が称えられたり、USGAからBob Jones Award Selection Committeeの審査員に任命されたりと、遂には1978年に世界ゴルフの殿堂入りを果たしました。

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