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BACK NUMBER #670 2019.5.25 O.A.
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東京オリンピックで金メダルを 亡き父との約束を胸に戦う斉藤立
2020年東京オリンピックまで、あと1年。オリンピックで勝つよりも代表になる方が難しいと言われるほど、代表争いが熾烈な日本柔道界。事実、男子柔道界ではこれまで、10代でオリンピックに出場した選手は一人もなく高く険しい道のりだ。そんな中、国士舘高校に令和期待の星と言われ、オリンピック出場を期待されている、スーパー高校生がいる。斉藤立17歳。高校3年生。その体のサイズは規格外、身長190センチ、体重は155キロ。そんな彼の父は、1984年、23歳の時にロサンゼルスオリンピックを制し、さらに1988年のソウルオリンピックと、2大会連続で金メダルを獲得した、斉藤仁さん。引退後は全日本の監督も務めた柔道界のレジェンドだ。その偉大な父のDNAを受け継ぐ立は小学、中学時代に全国制覇を果たしている。高校では2年生の時にすでに高校日本一に輝いた。さらに、20歳以下で争う、全日本ジュニアでは当時16歳にして優勝を果たしている。今の目標は東京オリンピック。出場すれば、史上最年少での出場だ。そして親子二代での金メダルを目指している。いずれは父を超えたいと意気込み、日々練習をしているのだ。
そんな立は、国士舘高校の寮で生活をしている。部屋には大切にしている物があるという。お守りという気持ちで持ってきた、父・仁さんが使用していた柔道の帯。そして父の写真が飾られていた。仁さんは2015年胆管がんのため、54歳の若さで亡くなった。父が41歳の時に生まれ、溺愛されて育った立。柔道を始めたのは小学校1年生の時。以来、父の指導のもと成長を遂げてきた。そして、父亡き今、立は生前の父と交わしたある約束を胸に抱いて戦っている“オリンピックで優勝する”結果で、行動で、父に恩返しをすると心に決めていた。2019年、立は勝負の年を迎えていた。この1年間の成績は、東京2020オリンピックの出場に大きく関わる。4月には日本一を決める全日本選手権、その地区予選となる東京都選手権を3月に控えていた。立の指導にあたるのは、岩渕公一監督。国士舘高校を全国大会で32度も優勝に導いている名将。多くの名選手を育て上げ、アテネオリンピック金メダリストの鈴木桂治も教え子だ。そして、立の父・仁さんの5つ上の先輩で、高校時代のコーチでもある。そんな岩渕監督が、仁さんが亡くなる前、自分の亡き後の立の指導を託されたという。東京都選手権でベスト8に入り、全日本選手権への出場権を獲得。史上最年少17歳と1か月での出場権獲得という快挙だった。
そして迎えた、全日本選手権。体重無差別で日本一を決める、日本柔道界で最も権威のある大会だ。出場するのは国際大会でも実績豊富な、まさに日本トップの選手たち。父・仁さんはこの大会に20歳のときに初出場し、27歳で初制覇。その大会に立は17歳で出場する。初戦を一本勝ちで収め、2回戦は合わせ技で一本、史上最年少でベスト16に進出を果たした。日本一まであと4勝とまで迫ったが、3回戦、優勝候補の一角とされていた選手に、敗退してしまった。相手が一枚上手だった。試合後、立はすでにこの先を見据えていた。“オリンピックで優勝して、父に恩返しする”
立の東京オリンピックを目指す戦いは、終わっていない。この先の主要な国内外の大会で結果を残し、オリンピックへの道を切り開くべく、闘志を燃やしている。
そんな立は、国士舘高校の寮で生活をしている。部屋には大切にしている物があるという。お守りという気持ちで持ってきた、父・仁さんが使用していた柔道の帯。そして父の写真が飾られていた。仁さんは2015年胆管がんのため、54歳の若さで亡くなった。父が41歳の時に生まれ、溺愛されて育った立。柔道を始めたのは小学校1年生の時。以来、父の指導のもと成長を遂げてきた。そして、父亡き今、立は生前の父と交わしたある約束を胸に抱いて戦っている“オリンピックで優勝する”結果で、行動で、父に恩返しをすると心に決めていた。2019年、立は勝負の年を迎えていた。この1年間の成績は、東京2020オリンピックの出場に大きく関わる。4月には日本一を決める全日本選手権、その地区予選となる東京都選手権を3月に控えていた。立の指導にあたるのは、岩渕公一監督。国士舘高校を全国大会で32度も優勝に導いている名将。多くの名選手を育て上げ、アテネオリンピック金メダリストの鈴木桂治も教え子だ。そして、立の父・仁さんの5つ上の先輩で、高校時代のコーチでもある。そんな岩渕監督が、仁さんが亡くなる前、自分の亡き後の立の指導を託されたという。東京都選手権でベスト8に入り、全日本選手権への出場権を獲得。史上最年少17歳と1か月での出場権獲得という快挙だった。
そして迎えた、全日本選手権。体重無差別で日本一を決める、日本柔道界で最も権威のある大会だ。出場するのは国際大会でも実績豊富な、まさに日本トップの選手たち。父・仁さんはこの大会に20歳のときに初出場し、27歳で初制覇。その大会に立は17歳で出場する。初戦を一本勝ちで収め、2回戦は合わせ技で一本、史上最年少でベスト16に進出を果たした。日本一まであと4勝とまで迫ったが、3回戦、優勝候補の一角とされていた選手に、敗退してしまった。相手が一枚上手だった。試合後、立はすでにこの先を見据えていた。“オリンピックで優勝して、父に恩返しする”
立の東京オリンピックを目指す戦いは、終わっていない。この先の主要な国内外の大会で結果を残し、オリンピックへの道を切り開くべく、闘志を燃やしている。