バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #667 2019.5.4 O.A.

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名将逝く、命燃え尽きるまでマラソンを愛した男・小出義雄
2019年4月24日。平成の終わりと共に、この世を去った、女子マラソン界の名将小出義雄(享年80) 2015年、小出監督は心疾患で倒れ、それ以来左胸にはペースメーカーを装着。ここ数年は入退院を繰り返し、心臓の状態は思わしくなかったという。しかし、亡くなるわずか2か月前まで、小出監督は選手の指導をしていた。それは、命がけの指導だった。尽きることのないマラソンへの情熱。命燃え尽きるまでマラソンを愛し、マラソンに人生の全てを捧げた男は、数々の名ランナーを育てた。有森裕子、鈴木博美、千葉真子、そして…2000年シドニーオリンピック・マラソンで初めて女子陸上界に金メダルをもたらした高橋尚子もその一人だ。我が子のように育てた愛弟子・高橋尚子が現役時代、小出監督に渡した数えきれないほどの手紙。監督が亡くなる直前、入院中の時も何通も書き、届けていたという。その手紙には、小出監督への感謝の思いが溢れていた。「父親でもなく、兄妹でもなく、友達でも恋人でもないのに、それらのどの部分もあって、私以上に私を知っていてくれている。」高橋にとって小出監督はそんな存在だ。小出監督には、高橋の現役時代、家族以上に時間を一緒に過ごした中で最も忘れられない出来事があるという。それは、シドニーオリンピックの前年に行われた1999年世界陸上セビリア。オリンピックの前哨戦と位置付けられたこの大会で高橋は金メダルの最有力候補として、全国民の期待を背負っていた。だが、本番の8日前、高橋の左足にアクシデントが襲った。状態が良くならない状況でも高橋は出場を諦めずに走り続けていた。しかし、大会当日の朝、小出監督は悩みに悩んで苦渋の決断を下す。棄権…。無理をさせれば走れたかもしれない。だが小出監督は高橋の将来を見据え、レースを棄権させた。その時監督は高橋に、「お前は強くなったな。」そう言葉をかけた。それを伝えた時の高橋の姿が忘れられないという。そしてその翌年の2000年に高橋はオリンピック金メダリストに、さらに世界記録までも樹立した。
金メダルを取りたい一心で、マラソンの指導に人生を掛けた小出監督。常識に囚われない独自のトレーニング方法は、世界一の練習量と言われた過酷なトレーニングだった。さらに、選手のモチベーションをあげるため、褒めて褒めて褒めちぎる、指導方法。小出マジックと言われた監督の愛情あふれる一つ一つの言葉が選手たちの限界値を引き上げ、世界へと羽ばたかせた。
我々が独自取材で監督を追い続けていた中で、最後の取材となった、亡くなる2か月前の合宿、宿泊先でのインタビュー。そこで最後にカメラに語ったのも、マラソンへの溢れる情熱だった。「やればまだまだ金メダルの自信あるよ。」そう力強く語っていた…
しかし、その2か月後、2019年4月24日、小出義雄監督は肺炎のため、80歳でこの世を去った。通夜・葬儀には教え子や陸上関係者など、およそ600人が参列。最後の別れを告げた。女子マラソン界の一時代を築いた監督・小出義雄。マラソンにかけた、その80年の人生の一端を、われわれは伝えてきた。あなたが見せてくれた、とびっきりの優しさと笑顔を、決して、忘れない。
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