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BACK NUMBER #591 2017.10.21 O.A.

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長嶋茂雄×松井秀喜 25年後のドラフトの真実
2017年10月26日、プロ野球ドラフト会議。今回大注目なのが早稲田実業の清宮幸太郎。史上最多、11球団の指名が噂される中、水面下での激しい攻防が繰り広げられている。そして、今から25年前、1992年のドラフト会議で松井秀喜を引き当てた長嶋茂雄の笑顔は今も多くの人の記憶に刻まれている。しかしそこには、25年経った今だからこそ語れる知られざる真実があった。
当時、高校No.1スラッガーとして、清宮幸太郎同様、眩い光を放っていた石川・星稜高校の松井秀喜。松井は3年生で出場した春のセンバツで3本のホームランを放ち「ゴジラ」「怪物マッシー」と称され、一躍注目のバッターになった。そして臨んだ夏の甲子園で、今も語り継がれる高校野球史に残るあの大事件に直面する。5打席連続敬遠。その瞬間、甲子園は怒りに包まれ、試合は一時中断。社会問題にまで発展した。その一方で野球ファンを超え、その名が知られるようになった松井の進路に注目が集まった。ほぼすべての球団がドラフト1位候補に松井の名をあげていた。そんな中、夏の甲子園の2か月後、松井が初めて自らの希望球団を語った。
「タイガースの一員としてプレーしたい」
それは松井獲得を目指す他球団にとって衝撃の発言だった。この時、ドラフト会議まであと1か月半。幼い頃からの夢だけに、松井の意志は固いとみられていた。しかしそのわずか4日後、あの男が松井の人生を大きく変える会見を行った。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄。このとき長嶋は、12年ぶりに巨人の監督に復帰。1980年、長嶋は成績不振を理由に巨人の監督を事実上解任されてから、国民的スターとして様々な分野で活躍。巨人とのいきさつを考えれば、監督復帰などあり得ないと思われていた。そんな長嶋茂雄が再び監督に就任したのにはある思いがあった。それは、翌年、1993年のJリーグ発足を控え、一大ブームを巻き起こしていたサッカーに対し、プロ野球は巨人が2年連続で優勝を逃し、視聴率が低迷。陰りが見え始めていた。“もう一度野球人気を取り戻す”そんな強い決意で長嶋は再びユニフォームに身を包んだ。そして、新たなスター選手を自らの手で育てたいとも思っていた。実は1992年のドラフト候補には、バルセロナ五輪で活躍し、後に各球団の主力として活躍する好投手が揃っていた。しかし、長嶋の頭には松井秀喜の名前しかなかった。彼こそ野球界の救世主だと感じていた。しかし、松井の希望球団は阪神。巨人にとっては大きな逆風だ。しかし長嶋は、そんな状況を一変させる発言を監督就任会見でしていた。それは、ライバルチームを希望する松井への事実上の獲得宣言。松井にとってその会見は衝撃だった。熱狂的な阪神ファンの自分が巨人のユニフォームを着る。想像したこともなかった。実は長嶋には、松井を意識するようになったきっかけがあった。5打席連続敬遠をされた時の松井の立ち振る舞い。感情を一切表に出さず、しっかりボールを見極め、静かに一塁に向かう。その姿が、どんなホームランより長嶋の脳裏に刻まれていた。
「松井を育ててみたい」
長嶋新監督の発言を受け、巨人のスカウト陣は、阪神を希望していた松井の下へ出向き熱意を伝えた。その後、全球団の挨拶を受けた松井は、ドラフトの12日前、再び希望球団を口にした。阪神に加え、巨人、ダイエー、中日。なぜ阪神ファンの松井が巨人の名をあげたのか?それは監督就任会見で長嶋が口にした言葉により、巨人と長嶋監督の存在が大きくなったからだった。そして中日とダイエーは粘り強さに心を動かされたという。抽選が確実視される中、巨人は監督の長嶋にくじ引きを託した。そして迎えたドラフト当日。いよいよ運命が交差する時がやってきた。やはり希望球団として挙げられた4球団が松井を指名。くじは1992年の成績が下の球団から引いた。中日、ダイエー、阪神、巨人の順番だ。そして、長嶋がくじを引き当てた。長嶋の監督就任会見でのあの発言から運命に導かれるように決まった巨人軍入団。その後の松井は、長嶋との師弟関係で誰もが認めるスーパースターに成長。2人は強い絆で数々の栄光を築き上げただけではなく、低迷していたプロ野球人気を見事に復活させた。そして、あのドラフトから21年後の2013年、2人は揃って国民栄誉賞を受賞。ドラフトから始まった長嶋茂雄と松井秀喜の2人の伝説は私たちに勇気と感動を届けてくれた。
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