バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #571 2017.5.20 O.A.

バックナンバー
伝説の10.8決戦 23年目の知られざる真実
それはまさに伝説の試合だった。1994年、巨人vs中日の優勝を懸けた世紀の一戦。10.8決戦。プロ野球史上最高の試合と言われるこの激闘の陰には、敗者となった元中日投手の壮絶なドラマがあった。男たちの人生を大きく変えた戦い。23年目の知られざる真実に迫る。
今から23年前の1994年。この年巨人は、先発三本柱を軸にセ・リーグの首位を独走。しかし、ペナントレース終盤に中日が破竹の9連勝で首位巨人を猛追すると、69勝60敗と史上初の同率首位に並んだ。すると10月8日、巨人vs中日の直接対決が実現。勝った方が優勝というこの10.8決戦を長嶋監督は「国民的行事」と呼んだ。その日、試合が行われるナゴヤ球場には3万5000人を超す観客が押し寄せ、球場に入れなかった観客は近隣のマンションの屋上にまで殺到するほど異様な盛り上がりをみせた。この世紀の一戦は、全国で生放送され、視聴率はプロ野球史上最高の48.8%(ビデオリサーチ調べ)を記録。これは20年以上経った今も破られていない。死闘の口火を切ったのは2回、中日のエース・今中から巨人の4番・落合がソロHRを打つなどして2点を先制。しかしその裏、中日も巨人先発・槙原から連打で2点を返し同点。すると巨人は斎藤へスイッチ。さらに7回には桑田を投入するなど、なりふり構わぬ総力戦を繰り広げた。見事この死闘を巨人が制し、優勝。最後の瞬間まで目が離せない、緊迫した展開だったこの試合は、プロ野球史上最高の試合と言われた。
<山田喜久夫(45)>
彼はかつて甲子園のヒーローと呼ばれた男だった。愛知の名門、東邦高校のエースとして春夏3度の甲子園に出場。1989年には見事センバツ優勝に輝いた。当時の高校野球専門誌の人気投票でも1位に選ばれるなど、甲子園のヒーローとして一躍その名を轟かせた。そしてその年、ドラフト5位で中日に入団すると、高卒1年目から即戦力として一軍の試合に出場。サウスポーから繰り出されるカーブを武器に貴重な中継ぎとしてチームの信頼を掴み取っていた。そして迎えた1994年10月8日。入団5年目の山田は、強い自信を胸に大一番へと挑んだ。中日が3点を追う5回表、山田は先発・今中の2番手投手としてマウンドに上がった。この後の反撃に繋げるためにも完璧に抑え、チームを勢いに乗せたい。対するは入団2年目の松井秀喜。しかし、決め球のカーブが甘くなりHR。決して与えてはならない追加点を奪われ4点差となってしまった。すると山田は、この松井に投げたわずか4球で降板。この時山田の母は、スタンドで中日ファンに謝っていたという。結局試合は6-3で中日が敗れ、優勝を逃した。その光景をベンチで見ていた山田は、泣くことしかできなかった。10.8決戦の2年後、山田は左ひじの怪我の影響で出場機会が激減。99年に広島へトレードされるも活躍出来ず、28歳の若さで現役を引退した。その後、横浜と中日でバッティングピッチャーをしていたが41歳で引退。それを機に新しい職種へ挑戦してみようと、心機一転、わらびもち屋をオープンさせた。保存料を一切使わず、国産の本わらび粉で作るモチモチ食感が売りのわらびもちだ。最後に山田にあの時にもう1度戻れるとしたら松井にどんなボールを投げるのか?と質問してみた。
「もう1回、アウトコースいっぱいに決めてカーブで勝負したい」
<野中徹博(51)>
10.8決戦、勢いに乗る巨人のクリーンナップ相手に8回、9回のマウンドで伝説の力投を見せた元中日投手。その男は今、野球とは無縁の職場でデスクワークに励んでいた。
愛知・中京高校のエースとして最速147キロの快速球を武器に甲子園に3度出場した野中は、1983年、高校生ながらドラフト1位で阪急に入団。しかし、ひじや肩の怪我に泣かされ、1勝も挙げられないまま24歳で戦力外通告。しかしその後、台湾リーグに挑戦した野中は、なんと15勝を挙げる怒涛の活躍。この活躍が中日の目に留まり、野中は再び28歳で日本球界に復帰した。1994年、先発から敗戦処理まであらゆる場面で投げた。8月には10試合連続無失点をマーク。ペナントレース終盤にはフル稼働し、中日怒涛の追い上げを支え続けた。そして迎えた10.8決戦。野中は3点ビハインドの8回に登板した。無失点で凌げば、あと2回の攻撃で逆転の可能性は十分にある。先頭バッター・村田をフライに打ち取ると、その回を見事三者凡退。するとその裏、立浪が気迫のヘッドスライディング。惜しくも得点には繋がらなかったが、野中の好投は中日ナインの心を奮い立たせていた。そして9回、野中は続投。しかし、先頭バッターの川相に3ベースヒットを打たれ、ノーアウト3塁。絶体絶命のピンチ。それでもベンチは動かない。迎えるは3番・松井から始まる巨人強力クリーンナップ。ここから野中は凄まじいピッチングを見せる。フォークボールで松井を三振にすると、続く岡崎をファーストゴロに打ち取り、2アウト。そして5番・原との対決も見事打ち取り、2回を無失点で抑えた。しかしその裏、中日打線は逆転することが出来ず、優勝することは出来なかった。10.8決戦から3年後、野中はヤクルトへ移籍。1998年に腰を痛め、33歳で現役を引退した。それから19年、野中は今、新宿にあるコンビニやガソリンスタンドなどの看板を製造・設置する会社に勤務している。入社して11年、現場の安全管理が彼の担当だ。社員の多くは、野中の10.8での活躍を知らない。しかし彼は今、あの10.8で戦った誇りを胸に毎日を過ごしている。あの試合を振り返る野中の表情は晴れやかだった。
歴史に残る10.8決戦。そこには勝者に劣らない、敗れた者たちの野球に懸ける思いが詰まっている。彼らはその思いを噛みしめながら第2の人生を歩いていた。
[BACKNUMBER]
banner_AD
Loading…

SNS

TBSトップページサイトマップ Copyright© 1995-2017, Tokyo Broadcasting System Television, Inc. All Rights Reserved.