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BACK NUMBER #567 2017.4.22 O.A.

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元力士たちの第2の人生
1990年代、相撲界は若貴フィーバーで大いに沸いていた。その当時、現役力士だった男たちは今、どのような人生を歩んでいるのだろうか。現役時代、若貴を力でねじ伏せ、勝利したことのある男は32歳で引退し必死に働いた。しかし引退から5年、脳梗塞を発症。今もその後遺症に苦しんでいる。そしてもう1人、後に大関となる千代大海を力で打ち負かしたことがある男は、入門前から糖尿病を患い、そして引退後、更なる悲劇が襲った。過酷な力士としての現役時代を乗り越え、第2の人生を生きる男たちの今を追った。
【若ノ城】
朝の7時、自転車に乗って通勤する1人の男がいた。身長190cm、体重130kgの巨漢。現在44歳の彼は若ノ城という前頭6枚目まで昇進した力士だった。若ノ城は、相撲を引退した後、健康的な生活を送るため自転車通勤をしている。
沖縄県で生まれた若ノ城は、中学生ですでに身長180cm、体重110kgを超えていた。その体格を生かし柔道を始め、高校時代には全国大会に出場。豪快な払い腰で勝利を重ね、団体戦で全国制覇を果たした。その活躍に目をつけたのが2代目若乃花の間垣親方だった。親方は、沖縄に何度も足を運び、若ノ城をスカウト。そんな親方の熱意に押され、九州場所へ見学に行った若ノ城は、貴花田の相撲の迫力に心を奪われた。1992年、高校卒業後、鳴り物入りで相撲界へ入った若ノ城は、入門から4年で新十両となり、その場所、12勝3敗で十両優勝も果たした。そして24歳の時、後の大関・千代大海と同時期に新入幕を果たす。千代大海とは通算成績6勝4敗で勝ち越している。若貴ブームの真っ只中、若ノ城は、前頭6枚目まで昇進。しかし、若ノ城は体に爆弾を抱えていた。身長190cm、体重150kgだった高校時代、1日1升の白米を毎日食べ続け、その影響で血糖値が高くなり、相撲界へ入る直前に糖尿病を発症した。日常生活を送るには、毎日3回のインスリン注射を打たなければならない状態だった。相撲界には、糖尿病を患いながらも横綱にまで上り詰めた隆の里がいた。若ノ城は、隆の里の闘病記録を読み漁り、相撲界という独特の食生活の中で、糖尿病をうまくコントロールする食事療法を学んだ。相撲部屋で出されるちゃんこの中で、野菜や豆腐など低カロリーの食材を多く摂り、脂身の多い肉などには手を出さない。そして稽古の後もスポーツジムへ通い、筋力トレーニング。こうした努力で若ノ城は幕内昇進を果たした。しかし、幕内へ上がった頃から付き合いが増え、外食する機会が多くなった。これまで1滴も飲まなかったお酒も飲むようになると、食生活も荒れだし、糖尿病は悪化していった。糖尿病の悪化はすぐに相撲にも現れた。1999年の7月場所。前へ出てくる相手に、全く抵抗が出来ないまま土俵を割った。この場所3勝12敗と大きく負け越し。一度乱れた食生活は、元に戻すことが出来ず、番付は下から2つ目の序二段にまで落ちた。そして2004年31歳で、12年の相撲人生に終止符を打った。知り合いの紹介で、新しい職に就いた若ノ城だったが、慣れないデスクワークにストレスが溜まった。さらに仕事の忙しさから慢性的な運動不足。そんな生活を続ける中で彼の腎臓は、ほぼ機能しない状況に陥り、医師から透析を行うか、腎臓移植をするかの2択を迫られた。この時35歳。すでに結婚し、1才半になる子どもがいた。当時64歳だった母から腎臓を貰い移植手術。1か月半におよぶ入院生活を送り、若ノ城は改心した。支えてくれる人がいないとこの病気をコントロールすることは出来ない。移植手術後、妻は糖尿病を勉強し、徹底した食事の管理をしてくれた。そして自らも、運動不足を解消するため、高校以来の柔道の練習を再開した。現役時代160kg以上あった体重も130kgまで落とした。現在、糖尿病の症状は安定している。そんな若ノ城は、今、人生をかけ、介護の仕事に就いている。力士時代の知り合いの紹介で、5年前介護サービスを請け負う会社の社員となった。彼は第2の人生を懸命に生きていた。
【琴別府】
大分県別府市。足を引きずりながら仕事場に向かう1人の男。彼は90年代の相撲ブームで、輝きを放った力士の1人。琴別府(51)。
中学生で体重は既に120kg。卒業すると佐渡ヶ嶽親方にスカウトされ、相撲の世界に飛び込んだ。そして厳しい稽古に耐えながら徐々に番付を上げ、入門8年目で十両に昇進。その後、新入幕を果たし、将来の大関候補として期待された。琴別府を語るのに、欠かせないのが1993年の1月場所。当時27歳、前頭9枚目だった琴別府は、この場所で天国と地獄を味わう。7日目に対戦したのは、後に横綱となる6歳年下の若花田。見事勝利。7勝2敗で迎えた10日目には、関脇・貴花田との一番。貴花田も圧倒。破竹の7連勝で勝ち越しを決め、優勝争いの一角にいた。しかし13日目まさかの事態が起こる。立合いに、けたぐりを食らい、そのまま倒れ込んだ際、又割き状態に。そのまま琴別府は戦線を離脱。まさに、絶頂の頂で起きた悲劇だった。その後復帰し、4年間、幕内で奮闘するも、32歳の時、体の限界を感じ引退。働き盛りで無職になった。その時琴別府は既に結婚し、3歳の長男と1歳の次男がいた。彼が生きていくために選んだ仕事はラーメン店。幼い頃から無類のラーメン好きだった琴別府は、食べ歩きの経験を生かし、自分で店を持とうと考えていた。引退すると、熊本の有名ラーメン店に頼み込み、ラーメン店のいろはを一から修行した。そして3か月の修行を終えた1998年7月、千葉で開業。琴別府は一家の大黒柱として寝る間も惜しみ働き続けた。しかし36歳のとき悲劇が起こる。日々の重労働が体を蝕み、琴別府は脳梗塞で倒れてしまう。この時、子供は3人、妻は4人目を身ごもっていた。幸い、命に別状はなく2週間で退院。その後4年間、千葉で店を続け、2013年に故郷・別府に戻り新たにラーメン店を始めた。現在51歳。琴別府は、妻の鈴さんと自分の姉と3人で力を合わせ、この店を切り盛りしている。営業時間は午前11時から夜9時まで。1日8時間以上、立ちっぱなしなことも珍しくないという。開店4年目。今では1日200人が訪れる地元の人気ラーメン店になった。
華やかな大相撲の世界。そこで負った負の遺産と向き合いながら第2の人生を生きる元力士たちに心からエールを贈りたい。
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