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BACK NUMBER #555 2017.1.21 O.A.

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甲子園を沸かせた元プロ野球選手の第2の人生
かつて甲子園を熱狂させ、プロ入りした男たちの、第2の人生。「甲子園の怪物」と恐れられたブラジル人は、21歳の若さで戦力外通告を受け壮絶な人生を送っていた。そして、高校球界のスター。ドラフト1位でプロ入りした男は、ある悔しさを糧に、意外な転身を遂げていた。栄光からから一転、厳しい現実に直面した男たちの戦いを追った。
<瀬間仲ノルベルト(32)>
瀬間仲が日本にやってきたのは15歳のとき。絶対に日本で成功する。ブラジルの家族にそう誓い、家族と離れ宮崎県の日章学園へ野球留学生として入学。そして、チームの4番になり甲子園に出場した。そこで、ライトスタンド中段に突き刺さる、推定145mの特大ホームラン。一躍注目を集めた彼は2002年、ドラフト7位で中日ドラゴンズに入団した。自分を日本に送り出してくれたブラジルにいる家族の思いを背負い、プロの世界に入った瀬間仲。しかし、入団から3年間なかなか結果は出せず、わずか3年で戦力外通告。21歳という若さだった。彼は12球団合同トライアウトを受けるも他球団から声はかからなかった。厳しい現実に直面した彼の目からは涙がこぼれていた。何をすればいいのか…。仕事のあてなど全くなかった。それでも、日本で成功すると家族に誓いやってきた彼にとって、このままブラジルに帰るという選択肢はなかった。そんな瀬間仲の事を、ブラジルの家族は心配でならなかった。そして、姉のシルビアさんが家族を代表して来日。2人は日本有数のブラジルタウンである、群馬県大泉町に職を求めやってきた。英語が話せた姉のシルビアさんは語学学校の職に就くことができ、瀬間仲もスタッフとして働かせもらうこととなった。そんな中、大泉町に来て半年後の2008年、瀬間仲はある女性と出会う。星野美奈さん(45)。美奈さんは、17歳までブラジルで生活しており、その時お世話になっていたのが、なんと偶然にも瀬間仲の父だったのだ。美奈さんは当時の恩返しの思いで、第2の人生に苦労する瀬間仲の生活が少しでも楽になればと、なんと瀬間仲一家を招き入れ一緒に暮らすことにした。この日、瀬間仲と美奈さんは自宅近くのプレハブ小屋である作業をしていた。実は瀬間仲、美奈さんとアイデアを出し合って、2015年に新たな仕事を始めた。それはブラジル料理店。瀬間仲はオーナーとして主にフロアを担当。美奈さんが厨房に立つ。おすすめのメニューはパステウというパイ生地でチーズやハムなどを挟んで揚げたブラジルの家庭料理だ。大泉町にはブラジル料理店は多いが、ほとんどはシュラスコがメイン。パステウに力を入れているところがなく、この料理なら勝負できると考えたのだ。開店から2年が経った現在、100席ある店内が満席になるほど繁盛している。
2017年元日、瀬間仲が暮らす家では、近所に住む姉のシルビアさんも参加し、少し遅れた大掃除をしていた。すると、思い出の品が見つかった。引退してから10年、ずっとしまったままだった、中日ドラゴンズのユニフォーム。このユニフォームは、瀬間仲が、家族の思いを背負って必死に戦った証。姉のシルビアさんにとっては初めて見る瀬間仲のユニフォーム姿だった。当時の様々な思いが溢れてきた。瀬間仲は、プロ野球の世界では、夢を叶えることができなかった。しかし今、彼は支えてくれる多くの人々と一緒に日本で成功への道を歩んでいる。
<澤井良輔(38)>
群馬県のとあるバッティングセンターに1人のスーツ姿の男がいた。月に2、3度、仕事終わりにくるというこの男。130キロの球に快音を響かせる。この男は、かつてプロ野球界で将来を嘱望されたバッターだった。元千葉ロッテマリーンズ・澤井良輔(38)。澤井は、高校野球界のスターだった。高校時代、当時PL学園の福留孝介と共に強打者として注目され、西の福留、東の澤井と言われた。2人は高校3年生の時に直接対決。澤井の活躍でPL学園が勝利。ライバルの福留に勝った澤井は、その勢いのままチームを甲子園準優勝に導いた。そして、1995年のドラフトでロッテから1位指名を受け入団。しかし、プロ生活は苦しいものとなった。プロの球についていけず、入団以来ほとんどが二軍生活。ようやく一軍での出場が増えたのは、プロ7年目のことだった。だが、結果を残したい思いが空回り。焦れば焦るほど、バットが空を切り結果が出なかった。そんな中、彼の目に飛び込んできたのは、高校時代のライバルだった福留の活躍だった。当時福留は、中日で首位打者を獲得するなど、強烈な光を放っていた。澤井はその姿を、忸怩たる思いで見つめていたという。しかしその後も、右肩腱盤の部分断裂という怪我に見舞われるなど、苦難の野球人生は続いた。そして、プロ10年目の2005年、戦力外通告。澤井は27歳のときにプロ野球界を引退した。
それから12年が経った今、澤井は意外な転身を遂げていた。彼は現在、生命保険会社に勤めるサラリーマンをしている。澤井はプロ野球界を引退した後、独立リーグなどでコーチを行っていたが、31歳のとき、定年まで働ける一般企業への転職を決意。そして、保険業に興味を持った澤井は2010年に、就職試験を受け見事合格した。正社員として働き、今年で8年目。澤井がいつも持ち歩いているというあるものを見せてくれた。それは自分のプロ野球カード。お客様との会話の1つとして使用しているという。そんな澤井は、入社1年目に、新入社員で契約件数などの成績上位者に送られるルーキー賞を獲得。プロ野球選手時代にはもらうことのできなかった初めてのタイトルだった。メジャーリーガーにまでなった福留の姿が何よりの発奮材料だった。彼は着実に成果を上げ、現在5人の部下を持つチームのリーダーとして重要なポジションを担っている。
高校時代の栄光から一転。厳しい現実に直面した男たち。彼らはその苦難を糧に第2の人生で夢を掴むべく戦い続けている。
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