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BACK NUMBER #554 2017.1.14 O.A.

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入団から5年…わずか23歳で戦力外通告を受けた男の再起を懸けた戦い
2016年プロ野球界で戦力外通告を受けたのは105人。その平均年齢は28歳。彼らは20代のうちに職場からリストラされ人生の大きな岐路に立たされる。そんな中、わずか23歳にしてクビを宣告された男もいる。元読売巨人軍捕手・芳川庸。高卒で入団してから5年で人生の瀬戸際に立たされた。23歳という若さで職を失うという状況は、その社会の荒波に飛び込ませた両親にとっても心を痛める瞬間だ。特に息子の夢をずっと後押ししてきた父にとっては身が引き裂かれる思いだった。そんな父の思いを芳川自身も痛い程分かっていた。父と歩んできたプロ野球選手への道のり。それはとても険しいものだった。
小学生時代、身長160センチ、体重70キロという恵まれた体格を武器に少年野球で活躍した芳川は幼い頃から大きな夢を抱いていた。
「将来は野球選手になる」
その夢を全力でサポートしたのが父の薫さんだった。薫さんにとって芳川は43歳の時に産まれた子ども。当時、高校の教師をしていた薫さんは息子の抱いた夢にとことん付き合った。息子が中学生になるとチームの練習とは別に毎日早朝からトレーニングを課した。しかし現実は厳しかった。高校進学を控え、甲子園出場を狙える名門校のセレクションを受けるも不合格。近所の公立高校に進学した。それでも芳川は諦めなかった。4番バッターとしてチームを牽引。放ったホームランの数は高校通算39本。弱小チームを京都府大会のベスト16まで導いた。夢に向かってひたむきに努力を続ける息子を目の当たりにし、薫さんは何か手助けできることはないかと考えた。そして、スカウトの注目を集めることのなかった息子がプロに入れる方法を探し当てた。それがプロ野球の入団テスト。12球団の中には、無名選手を発掘する目的で独自で入団テストを行う球団もある。薫さんは、巨人が一般参加者を対象に入団テストを行うという情報を聞きつけ、息子に受験を勧めたのだ。芳川は入団テストに懸けた。合格を目指して近所の公園で父と一緒に毎日練習に励んだ。そして臨んだ入団テストで力強いバッティングを猛アピール。その結果、見事合格を勝ち取り、育成選手ながらついに念願のプロ野球選手となった。息子のプロ入りを誰よりも喜んだのは薫さんだった。京都にある自宅には1部屋が埋まるほど、プロ入り後の息子にまつわる品々を集め飾った。応援してくれる家族のためにも結果を残したい。芳川は育成選手が出場する練習試合でアピールを続けた。しかしその頃、巨人のキャッチャーは阿部慎之助が君臨。控えには実松、加藤、さらにその後もドラフト1位で小林誠司、FAでベテラン相川まで入団する分厚い選手層を誇り、育成選手の芳川は二軍戦にすらほとんど出場できなかった。そして5年目のシーズンを終えた2016年10月、球団から戦力外通告を言い渡された。入団テストを受けなんとか掴みとったプロ野球選手の座。何も出来ないまま終わってしまった悔しさで頭がいっぱいだった。そんな失意の芳川の心を支えたのは、戦力外通告を受けた直後に送られてきた父からメールだった。
『まだ若いから必ず道は開けるよ。まだやれる自信があれば挑戦するべきだよ。
本当に5年間ワクワクさせてくれてありがとう。もう少しワクワクさせて欲しいなぁ』
プロ野球選手として輝いている姿を見せられないまま諦めることなどできない。わずかな可能性を信じて、芳川はトライアウトを受ける事を決意した。芳川の最大のアピールポイントはバッティング。大学や社会人相手の非公式戦ながら、2年連続打率3割を残した実績もある。クビを宣告されてから1か月間、毎日200球以上、ひたすらバットを振り続けた。
トライアウトの2日前、芳川は会場である甲子園に向かう前に、京都にある実家に帰省した。父・薫さんは息子はまだやれると信じていた。次の日、芳川は父・薫さんと近所にある公園に出かけた。そこは、かつて巨人の入団テストに向け練習を行った場所。運命が決まるトライアウトを前に息子の為に何かしてやりたい。そんな思いで薫さんは練習相手を務めた。そして練習後、2人が向かったのは公園の脇にあった小さな地蔵。巨人の入団テストに合格する前も毎日ここで願をかけていたという。5年前、入団テストに合格した時のように、もう一度奇跡が起きて欲しい。すがるような気持ちで父は想いを伝えた。
2016年11月12日、12球団合同トライアウト当日。父の思いを胸にトライアウトに挑む元巨人の芳川庸が甲子園球場にやってきた。息子の姿を見守るため父・薫さんも駆けつけた。この日、参加した元プロ野球選手は65人。バッターは6人のピッチャーと対戦。カウントは1ボール1ストライクからとなる。芳川の運命の戦いが始まった。最初の相手は、かつてドラフト1位でロッテに入団した木村雄太。結果はピッチャーゴロ。2人目は元DeNAの萬谷康平。高めの速球をフルスイングしたが外野フライ。その後もデッドボールやフォアボールなど不完全燃焼の打席が続いた。そして迎えた最終打席。ピッチャーは元中日の育成選手・石垣幸大。何とかアピールしたい。しかし、2球目続けてボールとなりスリーボール。その後1球ファールをはさみ、フルカウントとなった4球目。何とか結果を残そうと果敢に振りにいったが三振に終わった。結局6打席でヒット無し。結果を残すことができなかった。引き上げる息子を、父・薫さんが待っていた。自分を信じて応援し続けてくれた父に芳川はただ謝ることしかできなかった。
トライアウトから1週間。芳川のもとにプロ野球からのオファーはなかった。しかしその間、巨人から球団職員として働かないかと誘われていた。次の人生に向け、芳川は決断を下した。
決断から1ヶ月が経った12月21日。芳川は次の人生へのスタートを切った。巨人での新たな配属先は、幼稚園児から小学生までを対象とした野球スクールのコーチ。そこには、かつて中継ぎで活躍した河本育之や代打の切り札だった古城茂幸なども講師を務めている。
これからは指導者としての道を歩む芳川。未来のプロ野球選手を育てる側となった彼を心から応援したい。
今季の契約更改の場で、球団から将来的なメジャー移籍が容認された。ビッグマネーでの争奪戦が洋装されるなど、注目度はますます高まっている。そんな中、3月のWBCで日本代表として世界のスター選手を相手に大谷はどう挑むのか?
今回様々な顔を見せてくれた大谷翔平。日本球界の宝。その素顔は22歳の素直で人懐っこい好青年だった。そして一番印象的だったのは、野球へのストイックで研究熱心な取り組み、貪欲に自分を高めようとする姿だった。まだ22歳。その可能性は計り知れない。日本中が期待する彼の未来が楽しみでならない。
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