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BACK NUMBER #537 2016.9.10 O.A.

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元プロ野球選手第2の人生 小斉祐輔/安斉雄虎
戦力外通告を突き付けられた野球選手の決断、それは野球を諦めるか…それとも現役続行へ、あがき続けるのか…。両者の違いは一体どこから来るものなのか。
<小斉祐輔(33)>
この男は、あがくことなく身を引いた元プロ野球選手。彼は昨年、戦力外通告を受ける前に自らユニフォームを脱ぐ決断を下した。現役時代2軍では数々のタイトルを獲得するも、一軍では力を発揮できず“2軍の帝王”とも揶揄された。それでも血の滲む努力を続け、過酷なプロ野球界で10年間戦い続けた。しかし一体なぜ、彼は抗うことなくユニフォームを脱いだのか。現在、収入は現役当時に比べると1/5ほどにまで激減し、妻と2人の子どもを養いながら、野球とは全くかけ離れた職場で、社会の荒波にもまれている。実はこの男の決断の背景にこそ、現役続行へあがく者とそうでない者の違いと、過酷なプロ野球界の現実が隠されている。
小斉は中学生の頃から、地元大阪で知らぬ者はいない強打者だった。1999年、PL学園野球部に入部。ここで3年間練習すれば必ずプロ野球選手になれる。小斉は大きな自信を抱いていた。しかし当時のPLの同級生には、現在楽天で活躍する2億円バッター今江敏晃を筆頭に2001年のドラフト1位投手、朝井秀樹ら超高校級の強者がずらり。彼らに追いつこうと、必死に練習を重ねた小斉だったが、結局プロ入りは叶わなかった。それでも夢を諦めきれず、地方の大学で4年間さらなる努力を重ね、2005年、育成ドラフト1位でソフトバンクに入団。なんとかプロの世界にすべり込んだ。ここから絶対に這い上がってみせる。その一心でファームで着実に結果を残し、入団わずか半年で念願の支配下登録。しかしこの後、小斉には「2軍の帝王」というレッテルが張られてしまう。2軍戦にはめっぽう強くウエスタンリーグの首位打者や打点王にも輝くなど、勝負強さを発揮。しかし一軍で起用されると勝負強さは突如、鳴りを潜めてしまう。必ず結果を残してみせると、これまでにも増して血の滲む練習を重ねた小斉。しかし、どれだけ練習を重ねても一軍レギュラーの座を勝ち取ることは出来なかった。そして入団6年目の2011年11月、楽天へトレード。しかし新天地でも一軍で活躍することはできなかった。そしてプロ10年目となった2016年、ついに2軍でも出場機会が減少。この現実を小斉は冷静に受け止めていた。努力では、どうしても埋められないプロ野球の高い壁を痛切に感じていた。小斉には、もうこれ以上絞り出せる力は残っていなかった。
引退から1年、小斉は現在、新たな職場で第2の人生をスタートさせていた。彼が選んだ新たな仕事、それは仙台名物の牛タン専門店。仙台でも屈指の人気店「司」。ここで小斉は、見習いとして、接客や食材の下ごしらえに至るまで一から修業を行っている。料理経験などほとんどない。それでも自分には決して諦めず、見習いからでも這い上がれる努力の才能があると、迷うことなく料理の道へと進んだ。そんな夫の新たな挑戦を、誰より側で見守ってきた妻も応援していた。目指すはプロ野球人生をスタートさせた福岡に自らの店をオープンさせること。現在33歳。愛する家族に見守られながら、第2の人生へ力強く歩み出した。
<安斉雄虎(24)>
この男は入団からわずか4年、22歳という若さでプロ野球の世界からはじき出された。元横浜DeNA、安斉雄虎。150キロ近い伸びのある速球を武器に契約金4500万で入団。未来のエース候補としての活躍が大いに期待されていた。しかし男のプロ野球人生はあることをきっかけに激変してしまう。そして戦力外通告から3年、22歳の若さでどん底に叩き落とされた男がたどり着いた第2の人生とは?
神奈川県の強豪、向上高校のピッチャーだった安斉。190cmから投げ下ろす150キロ近い速球がスカウトの目に留まった。そして2009年、高卒ながら契約金4500万、ドラフト3位で横浜ベイスターズに入団。安斉の伸びのある快速球は当時の尾花監督にも期待されていた。高卒ルーキーの安斉は1年目、2軍で14試合に登板。1軍に上がることはなかったが、大型右腕として首脳陣から活躍が期待された。しかし、入団2年目の4月、安斉に悲劇が襲い掛かる。右ひじを疲労骨折。このケガにより安斉のプロ野球人生は大きく変わってしまった。1年のブランクを経て復帰したものの、安斉は自分のピッチングを取り戻すことが出来なかった。そして入団からわずか4年、22歳の若さで戦力外通告を受けた。自分はプロに入ってまだ何もしていない。こんな中途半端な形で、野球人生を終わらせる訳にはいかない。プロ続行を懸け、安斉は12球団合同トライアウトに参加。そこで、打者5人に対し4者連続三振という圧巻のピッチングを見せた。だが、確かな手応えを感じていた安斉に、どこからもオファーは届いていなかった。他の参加者の去就が、続々と報じられている中、未だ連絡がない現状に苛立ちを隠せずにいた。戦力外通告から5ヵ月後、このまま引退かと思われた安斉の状況が一変する。独立リーグの富山サンダーバーズが安斉獲得に名乗りを上げたのだ。この時まだ22歳。もう一度プロ野球界に戻ってみせると強い覚悟で独立リーグのマウンドに上がった。しかし、ここでも結果を残すことが出来なかった。登板わずか8試合。1つも勝ち星をあげることが出来ず、防御率はチームで最低。突き付けられた結果を安斉は受け入れるしかなかった。そして2014年10月、安斉は23歳で野球人生から身を引いた。それから2年、安斉は実家のある神奈川県に戻り第2の人生をスタートさせていた。炎天下の中、職場の最寄り駅から歩くこと20分。着いた先はショッピングセンターの中にある大型スポーツ量販店。ここで野球用具売り場の店員として働いている。引退後、子どもたちに野球の楽しさを伝えたいという思いから知人に紹介をしてもらい今の仕事に就いた。これまで培った経験を活かした的確なアドバイスとお客さんに寄り添った親切な接客が好評で安斉を目当てに来る客も少なくない。
苦難のプロ野球人生を送った2人はこれまでに培った経験を活かし第2の人生を歩んでいる。新たな目標に向けて真摯に取り組む彼らをこれからも応援していきたい。
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