バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #531 2016.7.30 O.A.

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ヤクルト・由規 1771日ぶりの奇跡の復活
かつて、この男の剛速球が日本中を沸かせた。甲子園最速記録を引っ提げプロに入ると、日本人として初めて160キロの壁を破った。ヤクルトスワローズ・由規(26)。球界のエース候補とまで言われた逸材は、5年前、突如1軍のマウンドから姿を消した。剛速球を繰り出す右肩の怪我。投手にとって命とも言える肩にメスを入れた。過酷なリハビリを乗り越えても、何度も襲いかかる激痛。カムバックまでの空白の5年間…そこに隠されていた真実。奇跡の復活までの1771日、その壮絶な戦いの舞台裏を追った。
2011年9月3日。先発ローテーションの一角を担う由規は、7回を投げ、先発の役目を果たした。しかし、いつもとは違う肩の違和感。「大丈夫」そう言い聞かせながら、次の登板に向け投球練習を行った。ところが、今まで感じたことのない肩の痛み。これをきっかけに由規は5年もの間、1軍のマウンドから遠ざかることとなる…。
この時、シーズン終盤だったこともあり、由規は大事をとって肩を休め、マッサージや針治療などを行なった。すると翌年(2012年)には、肩の痛みは消え、春季キャンプから全力で練習に打ち込んだ。しかしその途中、今度は左ひざを痛めてしまった。前のシーズンの終盤からチームを離れた由規は、その分頑張ろうと、ひざの痛みに耐え、投球練習を続けた。しかし、左ひざを庇いながら投げ続けた事で、一度完治した右肩の痛みが再発。1度目に肩の痛みが発症した時と同じように、あらゆる治療を試みたが、4か月間、肩の状態が良くなることはなかった。それどころか、痛みは酷くなる一方…。投球も出来なくなり、日常生活に支障がでる程まで悪化した。2013年2月。肩の再発から9か月後、精密検査を受けるため、由規は病院を訪れた。すると医師から告げられたのは「右肩関節唇損傷」。「右肩関節唇損傷」とは、肩の関節と繋がっている関節唇がズレる事で起こる肩の病気。由規の場合は、関節唇が毛羽立った状態になり、肩を動かすと筋肉との摩擦で肩に激痛を起こすというものだった。治療には2つの方法がある。1つは、保存療法で筋力強化などを図る方法。そしてもう1つは手術。しかし、手術をしても再発の可能性はある。事実、ヤクルトの伊藤智仁やソフトバンクの斉藤和巳などが同じ病気に苦しめられ、手術をしたが完治せず、引退に追いやられた。ピッチャーの命ともいえる肩にメスを入れる…。しかも、完治する保証はない。由規は悩んだ末に手術の決断をした。そして、初めての肩の痛みから1年7か月後。由規は横浜市内の病院に入院した。手術の内容は、痛みの原因でもある磨耗した関節唇を内視鏡で取り除くというもの。由規は不安を隠せずにいた。そして手術開始から1時間後、無事成功。1年7か月もの間、怪我と戦い、ようやく一筋の光が差し込んだ。このときまだ23歳。由規の新たな戦いが始まろうとしていた。
手術翌日、早速リハビリが始まった。正常な肩の動きを取り戻すためには、まず指先を動かすことから。そして手術で固くなっている肩を元に戻すために、動く範囲を確認しながら、少しずつストレッチを行う。もう2年近く全力でボールを投げていない。果たして右肩は元に戻るのか?そんな不安が常に由規の心に付きまとう。一から肩を動かすリハビリは、4か月間続けられた。そして、リハビリを終えた2013年8月。半年ぶりにキャッチボールを行う日がやってきた。ボールを投げた時、あの激痛がまた起こるのでは…。そんな思いが頭をよぎる。しかし、20mのキャッチボールだったが、肩の痛みはなかった。その後も順調にリハビリを続け、手術から8か月後には、ピッチング練習も始めた。そして手術から1年2か月がたった2014年6月。ようやく2軍戦に登板。なんと最速155キロをマーク。しかし登板は1イニングのみ。先発復帰に向け、5回を投げきることが次の課題となった。
2015年3月27日、プロ野球が開幕。その試合を由規は、1人テレビで見つめていた。しかしこの2か月後、またしても悪夢が襲い掛かる。由規の右肩に3度目の痛みが発症したのだ。右肩の再々発の原因は、4月から2試合連続で5イニングを投げたことによるものだった。球数が70球を超え、スタミナが切れてフォームが乱れた。その結果、肩に負担が掛かった。そこで由規は大きな決断を下す。右肩の怪我で、1軍から4年も遠ざかっているが、無理をして肩を悪化させることだけは避けたい。コーチに「休ませてほしい」と相談し、了承してもらった。由規は、肩に負担が掛からないように慎重にトレーニングを行った。そして、ボールを投げられない間、徹底して下半身を強化した。3度目の肩の怪我から2か月、投球練習を再開。ブルペンに入る回数を減らし、投球フォームを確認するため、3か月間ネットにボールを投げ込んだ。しかし、その年のシーズンオフ。4年間、1軍出場のない由規は背番号3桁の育成契約となった。その後も必死でリハビリを行い、肩の痛みは消えた。体力強化の筋トレに加え、毎日3キロ以上を走りこんだ。その成果は今年の自主トレから現れた。5月に入ると2軍で5回以上投げ切り、スタミナ面の課題もクリア。そして7月5日、球団は由規の支配下登録を発表した。1軍復帰の日は7月9日。
そして迎えた1軍登板の日。5年ぶりの大歓声が、由規の全身を包む。この日を待ち続けたファンにどんな姿をみせるのか?いや、この日を誰よりも待ち続けたのは、佐藤由規、自身に他ならない。その胸に押し寄せる5年間の思い。プロ野球選手である以前に、ただ物を掴むことさえ困難だった。あの日の辛さをこの一球にこめる。由規は、全力で右肩を振り続けた。その投球から5年間のブランクなど感じさせないほどに。勝利こそ掴めなかったが、由規は新たな野球人生の第一歩となる魂の投球を見せた。
日本人最速投手の名を、欲しいままにした由規。右肩という、ピッチャーの命にメスを入れ、一つの壁を乗り越えた彼は、まだ26歳。輝かしきバース・デイを、これからも期待する。
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