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BACK NUMBER #524 2016.6.4 O.A.

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元プロ野球選手 第2の人生 男たちの新たな希望
かつて、巨人で4番バッターを務め、プロ野球の監督にまで上り詰めた大久保博元(49)。彼は今、その栄光とはかけ離れた意外な仕事で汗を流している。そして、あの野茂英雄に次ぎ、史上2人目の契約金1億円を手にした男。しかし、戦力外通告が男の人生を大きく変えた。プロ野球選手というプライドをかなぐり捨て、今を必死に生きる男たち。彼らが見出した人生の希望とは?
<大久保博元>
今から32年前、大久保はドラフト1位で西武に入団。その才能が花開いたのは1992年。移籍した巨人で、ここぞというチャンスで長打力を発揮。翌93年には、当時の長嶋監督に4番に任されるなど、絶大な信頼を寄せられた。現役引退後は、野球解説の仕事などを経て、2008年、41歳で西武の打撃コーチに。さらに楽天で打撃コーチや2軍監督を歴任し、2014年10月、47歳にして楽天5代目監督に就任した。しかし、現実は厳しいものだった。主力選手の不振、相次ぐケガに泣かされ、7月には泥沼の8連敗を喫するなど、浮上のきっかけが見いだせなかった。そして、チームは2年連続最下位に終わる。大久保はその責任をとり、監督就任わずか1年で仙台を去った。そして半年後。大久保は監督経験者としては意外な転身を遂げていた。彼はなんと居酒屋のオーナーになっていた。大久保はオーナーでありながら、自ら厨房に立つ。2016年3月にオープンした「肉蔵でーぶ」。監督を辞めてから資格を取った。飲食業をやろうと考えたのには、監督になって初めて味わった苦悩がかかわっていた。コーチ時代とは比べものにならない重圧。そんな日々から距離を置き、自分を見つめ直したい。そんなとき、ふと浮かんだのが居酒屋だったという。できるだけ安く、美味しいものを提供したい。そのため、ほとんどの業務を自分で行う。営業が始まると、焼き場の担当として、1日6時間ひたすら肉を焼き続ける。額に汗して肉と向き合うその姿は、半年前まで監督だったとは思えない。まさに職人だ。オープンから1か月。味だけでなく、プロ野球の元監督と気さくに話せると評判を呼び、連日、多くの客が訪れる。しかし大久保は、野球への情熱を無くしたわけでない。忙しい居酒屋業務の合間を縫い、野球教室や解説の仕事を今も続けている。
<水尾嘉孝>
水尾の名が野球界に知られるようになったのは1989年。福井工業大学4年生のとき、日米大学野球で日本代表に選ばれると、強打を誇るアメリカ打線を7回9奪三振に抑え、プロ注目の選手となった。そして1990年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。契約金は、あの野茂英雄に次ぐ史上2人目の1億円。日本球界を背負って立つ逸材として大きな話題を呼んだ。しかし、水尾を待ち受けていたのは、あまりに厳しい現実だった。プロ1年目、持病の腰痛が悪化し1軍登板はゼロ。2年目、ようやく1軍のマウンドに上がったものの期待に応える結果を残す事は出来なかった。「契約金1億円」「勝って当然」そんな周囲の期待が、プレッシャーとなり重く圧し掛かかる。その後も先発で起用されるも、勝ち星を挙げることが出来ない水尾に、ファンから厳しい声が飛んだ。そしてプロ4年目のシーズンオフ。ドラフト1位で入団した水尾は、1勝も出来なままオリックスにトレードされた。当時、ファンから言われたある一言が、今でも水尾の心に深く残っている。“契約金泥棒”。そんな厳しい言葉が水尾を奮起させた。移籍3年目、オリックスで中継ぎとして起用されると目覚ましい活躍を見せる。140キロ後半のストレート。そしてスライダーを武器にセットアッパーとして自己最多の68試合に登板。しかし、移籍6年目に左ひじの故障や持病の腰痛が悪化し出場機会が激減。32歳で戦力外通告を受けた。その後、西武、さらにはアメリカにも行き場を求めたが、結果を残すことは出来ず、水尾は37歳で現役を引退した。引退から10年…。水尾は現在、東京・自由ヶ丘でイタリアンレストランのオーナーシェフとして働いている。「引退を自分で決められる仕事に就きたい」という思いから野球を辞め、すぐにシェフになる道を選んだ。料理経験はゼロ。しかし、シェフになると決めた水尾は、馴染みの洋食店に頼み込み、37歳でアルバイトから修行を始めた。朝7時から夕方6時までアルバイトをしながら、夜は調理師免許をとるため専門学校に通い、料理漬けの日々を過ごした。そして、現役引退から2年後の39歳のとき調理師免許を取得。その後も別のレストランで3年間修行に励んだ。そして2011年、42歳のとき、ついに東京・自由ヶ丘に念願のイタリアンレストランをオープン。店の開店資金4000万円は、手をつけずにいた契約金でまかなった。オーナーでありながらオープン前の準備は全て1人で行う。やれることは何でも自分でやり、少しでも経費を削る。従業員は営業時間だけホールを受け持ってくれるアルバイトのみ。店の看板メニューは、岩手県産のブランド豚を使ったスペアリブ。この料理は、なんと丸1日かけて作られる。そんな彼の料理を求めて連日多くの客が集まる。しかし客のほとんどが、水尾がかつてプロ野球選手だったことを知らない。努力の末、彼は新たな人生を掴み取った。
苦難の野球人生を辿った男たちは、プロ野球選手だったという誇りを胸に第2の人生をひた向きに歩んでいる。新たな希望を見いだし、力強く生きる彼らをこれからも応援したい。
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