バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #449 2014.12.6 O.A.

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天国の恩師に捧げる勝利「それでも、私はボクシングを続けていく」
それは、抉られる悲しみだった。ボクシングへの道を作ってくれた恩師との別れ。ボクシングから離れようとしたこともあった。しかし、彼女は再び戦う事を決めた。亡き恩師への思いを胸に刻んで。2年後のリオ・デジャネイロ五輪を目指す山崎静代、35歳。そこには大きな試練が待っていた。
2013年、7月29日。ボクシング界に貢献した、ある男の告別式が営まれた。梅津正彦、享年44。そして、深い悲しみに沈む、1人の女性。南海キャンディーズのしずちゃんこと、山崎静代。人気お笑い芸人である山崎が、本格的にボクシングを始めたきっかけこそ、5年前に逆上る、梅津との出会いだった。梅津の指導は、技術に止まらず、精神面にもおよび、山崎の全てをサポートした。
2人の出会いは、2008年。ドラマでボクサーの役を演じる山崎を、梅津が指導したのがきっかけだった。ボクシングに魅力を感じた山崎は、梅津の下に通い続けた。1年後、1つのニュースが山崎を揺さぶった。2012年のロンドン五輪で、女子ボクシングが正式種目に決定したのだ。お笑い芸人の無謀な挑戦だと、誰もが思った。しかし、専属トレーナーになった梅津は、その夢に向き合った。素人同然の山崎を手取り足取り、一から指導。そして、ボクシングだけではなく、指導は日常生活にまで及んだ。どんなに苦しくても、山崎は必至に食らいついた。出会って3年半、信じられない成長を見せた山崎は、日本選手権に出場。一歩も引かない戦いで、なんと優勝。山崎は、ついに日本代表になった。しかし、実はこの4日前、恩師・梅津に皮膚がんが発覚していた。
梅津は、病と闘いながらも山崎の指導を続けた。辛い体に鞭を打ち、時には自らミットを付け、相手になる。山崎も、そんな梅津の思いに応えたかった。そして、2012年5月。ロンドン五輪をかけた、世界選手権が始まった。当時、アマチュア選手の出場資格は34歳まで。33歳の山崎には、ラストチャンスだった。初戦を勝ち、3回戦。ドイツのシュトローマイヤーと対戦。しかし、3度のスタンディングダウンを奪われ、レフェリーストップ。ロンドン五輪の夢は、あっけなく絶たれた。
世界選手権後、梅津はがん治療に専念。しかし、病状の悪化を止めることは出来ず、医師から余命宣告をされていた。山崎は、ボクシングに向き合えなくなった。自分が勝っていれば…。そんな思いが心に重くのしかかり、トレーニングすら出来なくなった。病と闘う恩師、梅津のために、今、自分に何が出来るのか。
その頃、女子アマチュアボクシング界に、大きな変化があった。出場資格の上限が34歳から37歳に引き上げられたのだ。自分がリオ・デジャネイロ五輪を目指せば、恩師の生きる力になるかもしれない。そんな思いが山崎を再びボクシングに向かわせた。そして、2013年、4月。復帰戦を行った山崎は見事勝利を獲得した。
その2か月後の6月、亡くなる1か月前にも、山崎の前には、梅津の姿があった。1日でも、1分でも長くこの時間が続いて欲しい。2人はそんな思いで練習に取り組んでいた。そして2013年7月29日、梅津は44歳で帰らぬ人となった。
梅津の亡きあとも、山崎は同じジムで練習を続けている。彼女を指導するのは、梅津の下でサポートしていた木村トレーナー。当面の目標は、2014年11月に韓国で行われる世界選手権。
「世界に通用するボクサーになれ」
そう言い残し、この世を去った恩師に成長した姿を見せたい。山崎はそんな強い決意でハードな練習を続けた。そして迎えた1回戦。相手は、エジプトのアブデルハミド・ラナ。2Rにスタンディングダウンを奪われた。その後も相手のペースで進み、0-3の判定で1回戦敗退。世界との差を見せつけられる結果となった。試合後、山崎は梅津へ勝利を届けられなかった悔しさと怒りでいっぱいだった。
12月4日、全日本選手権でミドル級4連覇を達成。2年後のリオ・デジャネイロ五輪へ、日本の運命は、彼女にかかっている。世界でその実力を発揮するその日を多くの人が期待しているのだ。
道を開いてくれた恩師の死。その悲しみを胸に、世界に挑むボクサー、山崎静代。五輪という頂点を目指す彼女に、どんなバースデイが訪れるのだろうか?
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