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BACK NUMBER #429 2014.6.21 O.A.

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伝説のラガーマン吉田善人 メダル獲得を目指す熱き戦い!
2016年のリオデジャネイロ五輪で正式種目となった7人制ラグビー。
メダル獲得に向け、伝説のラガーマンが日本代表選手の育成に名乗りを上げた。
しかし、そこには思わぬ試練が待ち受けていた。メダル獲得を目指し翻弄する熱き男の戦いの日々を追った。
2013年11月、戦力外通告を受けたプロ野球選手が再起をかけて臨む、トライアウト会場に意外な男の姿があった。ラグビー元日本代表、吉田義人45歳。?世界の吉田″と言われた伝説のラガーマンだ。
ラグビーの吉田が野球のトライアウト会場にいたのには、ある理由がある。
2016年のリオデジャネイロ五輪で正式種目となった、7人制ラグビーの日本代表候補をスカウトに来たのだ。実はこの競技、メダル獲得のチャンスが期待されている。
一般的に知られるラグビーは15人制。組織的な展開が多く、コンタクトプレーでの体格やパワーが局面を大きく左右する。一方7人制ラグビーは、人数が半分以下でも、グラウンドの広さが15人制と同じため、選手個人のスピードと敏捷性が重要となる。同じラグビーでも競技制が違うのだ。
そこで吉田は、ラグビー選手以外にも足の速い選スカウトしようと、野球トライアウトに来ていたのだ。
ラグビーの名門・明治大学に入学した吉田は、1年生の時から不動の左ウィングとして活躍。キャプテンとして挑んだ1991年の大学選手権では50mの独走トライという日本ラグビー史に残るプレーを見せた。同年のワールドカップでも吉田は強豪アイルランドを相手に世界を魅了するプレーを見せ、ラガーマンとして一時代を築いた。2004年35歳で引退した吉田は、指導者としても活躍。4年間勤め上げ、勇退した。しかし吉田には、気がかりなことがあった。それは、2009年に7人制ラグビーが五輪の正式種目に決定したものの、日本代表の選手のほとんどが、15人制のチームから選ばれていた。実は日本には、7人制専門のチームは、当時わずか1チームしかなかったのだ。そんな状況に吉田は、新たな7人制専門のチーム、サムライセブンを設立した。
2013年、12月、吉田はチームの入団テストをするために様々な競技から人材を集めることにした。参加条件は18歳以上という年齢制限のみ。ラグビー経験は問わない。
吉田の呼びかけに集まったのは43人。ラグビー選手はもちろん、サッカー、野球、陸上競技など、16種目の競技から五輪を目指す者たちが集まった。テストは、身体能力の高さのみを重視。ラグビーの実技は一切行わず、瞬発力や敏捷性などスピードに特化して行った。
合格したのは30人。そのうち、ラグビー選手が20人、他競技からは10人が選ばれた。
テストから2か月が過ぎた2014年2月。吉田の新チームが動き出した。チームは0からのスタート。中でも他競技から来た10名は未経験者のため、吉田はボールの持ち方から教えた。そして、ラグビーの中で最も壁となるのが、タックル。防具を一切付けずにぶつかり合うタックルは技術のみならず、恐怖心との戦いでもある。一つ間違えれば、大ケガへとつながる。五輪を目指すには、あまりにも遠く感じる道のり。しかし吉田は、大きな可能性を感じていた。
チーム発足から2か月の4月27日。ついに初めての公式戦に臨むことになった。相手は、大学強豪校の関東学院大学。しかし、試合開始1分で失点。後半に入ってもタックルが決めることができず、敗れた。続く2戦目、3戦目も選手たちは果敢にタックルに挑むが勝利を掴むことはできなかった。そして3戦目。相手は15人制ラグビーの強豪・釜石シーウェーブス。外国人選手が多数を占める優勝候補だ。その釜石を相手にサムライセブンの選手たちは、果敢にタックルに挑み続けた。すると、陸上競技出身の飯田が先制トライ。さらに、ラグビー経験者の小宮山が追加点を決めた。これまで全敗のサムライセブンだったが、強豪・釜石相手に対等の戦いをみせた。そして、28−12とリードのままサムライセブンが初勝利を挙げた。
伝説のラガーマン・吉田義人と選手たちの五輪を目指す挑戦はまだ始まったばかり。2年後のリオデジャネイロ五輪に向けて戦いは続く。
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